Site menu:

JACIM 別館へ

jcm

JACIM Booksへ

jb

好評発売中:

DVD「思考の逆転」

「・・この思考の逆転をもたらすために聖霊が用いる大いなる学びの補助手段が、赦しである。」
『奇跡講座』まえがき から

                                   

  

  g                                          

サイト内検索

関連サイト

【質問】No.8 (org.11: 11/06/2002)

「聖霊の声を聞く」ということについて

聖霊「声」を探し求める際に、そのを聞きやすくしてくれる特定の方法、または練習といったものはあるのでしょうか。『奇跡講座』は、その声を聞ける人などほとんどいないと言っているように思えますし、そういうことなら赦しの練習ができなくなるように思えるのですが。

【回答】

聖霊を聞くのに最大の障害となるものは、「自我のやかましい叫び声」です。『奇跡講座』は、聖霊は「ひっそりとした小さな声」(T.21.V.1:6)であると私達に教えています。

私たちは、この(もともといつも私たちと共にある)を探し求めるというよりも、自分の心の中で、聖霊をかき消してしまう叫び声を上げさせている想念に注意を払うことにより、赦しの練習をすることができます。分離や裁きや攻撃の想念について、その正体を見抜くことができます。すなわち、そうした想念の正体とは、たとえば、自分の自我としてのアイデンティティーを防衛しようとする試みであったり、自分が正しくては間違っているとか、罪悪感は正当化されるなどといったことを証明しようとする試みであったりするわけですが、それを見抜く、ということです。

こうした想念を認識すること、そして、まさに聖霊を聞かないようにするためにこそそうした想念を選択してしまったという責任を受け入れること、それが赦しの練習であると同時に、聖霊を聞く練習の始まりです。そのあとで初めて、もし私達が聖霊の声を聞きたいと望むのなら、そのように選択する機会が得られます。聖霊とは、現実には声ではなく、たいてい、何らかの状況や人物や事柄について自分がいま見ている見方は間違っているという認識や、それらを違った見方で見ようとする意欲などです。ですからその瞬間には、その認識や、その意欲や、違った見方で見ることが、聖霊に他なりません。誰もが、このようにして聖霊を聞くように、と呼びかけられているのです。

聖霊を現実に声として聞く人はほとんどいないでしょうし、そのようなことは赦しの練習をする上で必要ないのです。