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「・・この思考の逆転をもたらすために聖霊が用いる大いなる学びの補助手段が、赦しである。」
『奇跡講座』まえがき から

                                   

  

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【質問】No.14 (org.#18)

「意志」というものの意味について

『奇跡講座』は、至る所で「意志」について語っています。たとえば、意志は知覚には関与していない(C.1.7:2)とか、私は自分の意志を幽閉してしまった(T.9.I.4:1)とか、私の心が分裂していなかったなら、私は「意志すること」が救済であることを認識するはずである(T.9.I.5:4)などと言っています。

『奇跡講座』が言っている「意志」とはいったい何のことなのでしょうか? そしてまた、もしそれが<夢>の中で何らかの目的に役立つとしたら、それはどういった目的なのでしょうか?

【回答】

『奇跡講座』が「意志」について語る時、それは常に神の意志のことを言っています。「在るのはただ神の意志だけである」(C.3.6:1)と言われている通りです。つまり、このコースは、心のレベルの中でも私達の意志がのそれと一体であるレベル、真理が真理であって他の全ては虚偽である(T.31.I.1:7)というレベルで語っているのです。

これは、『奇跡講座』の一元論の一例であり、それによれば、神の意志から切り離された意志は在り得ず、神の意志が私達の救済であり、私達の真の意志は神の意志と一つである、ということです。私達は、自分自身についての真理を受け入れることを選択している時にのみ、<意志している>(すなわち、私達の意志の力を行使している)のであり、それが私達の救済です。

『奇跡講座』は、「意志すること」と「欲すること」とを区別します。私達が、罪を実在するものと見なすことを選択するとき、すなわち、<夢>の中で、自分が本当は誰であるかについての自我の嘘を信じることを選択するとき、私達は、神の意志に代わる架空の意志を作り出したい、そして、この偽造された自己を守りたい、と「欲している」のです。これが、私達の真の意志を幽閉する、ということです。つまり、このようにして、私達は真の意志を否認するのであり、これが、知覚 — 自分が見たいと望むものを見るということ — の起源です。

私達の学びを助けるために、『奇跡講座』は、私達の<夢>の中での経験について語る際には、<意志>に関連する言葉として、<わずかな意欲>という用語を用いています。

この意味で言えば、意欲を持つということは、別な見方で見るという選択をすることに同意することです。つまり、別な解釈を受け入れたり、自分が全ての対人関係やこの<夢>の中での経験全体に付加している価値を疑問視したり、自分が自我の決断をしたことで生じた結果を見て、何をその代価として失ったかについてよく考えてみるといった選択をすることに、同意することです。これで十分だと、『奇跡講座』は私達に教えています。つまり、私達が旅の方向を転換し、の内にある故郷、と共有する一なる意志へと戻っていくには、これで十分なのです。は私達のであり、私達は罪の無い神の子です。このようにして私達は、神と共有する意志に私達を同調させる『奇跡講座』を練習し実践するなかで、<夢>の中でも、選択をすることができるのです。