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「・・この思考の逆転をもたらすために聖霊が用いる大いなる学びの補助手段が、赦しである。」
『奇跡講座』まえがき から

                                   

  

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【質問】No.19 (org.#30)

中毒性の習慣をやめることについて

私はコンピューターゲームで遊ぶのが大好きで、やみつきになっています。いつかはこうしたゲームで遊ぶことを止める必要があると思っています。聖霊による別の選択肢の方を望んでいるからです。それから、もう一つ他にも私が手放せない気晴らしがあって、それはもう中毒性習慣にすらなっています。この気晴らしは、私を正しい心の状態から完全に逸脱させます。それは、興奮やスリルを与えてくれますが、多くの副作用や不都合、期待感という重荷などを伴います。イエスと共にそれを真に眺めるとき、私はもうそれを望んでいません。それなのに、(今までのところ)まだ、やめることを選択できずにいます。そうしたものを放棄するのが嫌だと思う気持ちがあります。… たしか、[イエス]は、たびたび靴のショッピングに出かけるヘレンにしばらくの間は付き合いましたが、その後、彼女にそれを手放すようにとアドバイスしましたよね。

([訳注]このショッピングのエピソードについては、『天国から離れて―ヘレン・シャックマンと『奇跡講座』誕生の物語』(中央アート出版社刊)の16章を参照。)

【回答】

これは一つのプロセスであり、ほとんどの人々にとって時間のかかることだということを覚えておいて下さい。自分自身に対する忍耐と優しさが、このプロセスを達成するための鍵です。それがなければ、私たちは誤りを実在するもののように扱ってしまうという自我の罠にはまってしまいます。「決断のためのルール」というセクションの冒頭で、イエスが私たちに与えている重要なアドバイスは、「自分自身と闘うことはしないように」(T-30.1.1:7)というものです。

したがって、最も役に立つアプローチは次のようなものと言えるでしょう。すなわち、聖霊による別の選択を受け入れることを嫌がる気持ちが自分にあること、及び、イエスの愛だけでは十分ではないと自分が感じていることを、単に正視して、その上で、自分がそのように感じていることについて自分をとがめない、というものです。『奇跡講座』が教えていることを信じて受け入れることを、自分がどれほど望んでいないのかについて、自分自身に対しても、イエスに対しても正直であり続けるようにし、その上で、それを理由にして自分自身を裁くことはしないようにする、ということです。

もし、これができれば、あなたはこのコースを非常に効果的なやり方で実践していることになります。そして赦すということが意味しているのは、ただ、それだけのことなのです。そのときあなたが学んでいるのは、自分が犯したとしてあなたが自分を責めてきた「罪」は、何の結果ももたらしていないということであり、そしてまた、それは、単なる「小さな狂った考え」に過ぎず、それが、愛をどのようにも変化させることはなかった、ということです。

イエスの関心の対象は、常に、そして唯一、目的だけです。ヘレンは、ショッピングに耽るという行為の目的を変化させる準備ができていたのです。イエスの愛から自分を「保護する」ことを、彼女はもはや必要としていませんでした。だから、彼女にはもうショッピングをして回る必要がなくなったのです。イエスの愛を受け入れることに対する私たちの恐れが減少するとき、その愛を受け入れまいとして私たちが防衛を張りめぐらせる度合いもまた減少していきます。

そのとき、その特定の行為自体は依然として私たちの生活の一部であり続けるかもしれませんが、その目的は全面的に変化しています。問題は常に「形態」ではなく「内容」なのです。平安を体験するか、葛藤を体験するかは、その行為そのもの、あるいはその対象そのものとは無関係です。平安や葛藤は、私たちが自我かイエスのどちらを自分の教師として選んだかの結果なのです。

最後に、中毒性習慣に関して一般的なことを述べておきます。多くの場合、まず最初は、その行為そのものに対処することが必要です。つまり、その破壊的な行為を減らしたり止めたりするための何らかの手段をとるということです。これは、自分自身や他者に対して、もう少し愛情深くありたいという、その心の決断を反映することになります。そのあと、その行動がもう少し抑制できるようになった時点で、その人は、自分の心の中にあるその中毒性習慣の原因に対処し始めることが可能になります。中毒性習慣は、ほとんどの場合、極めて大きな自己嫌悪や罪悪感に根ざしており、それらが自分の肉体や他者の肉体の上に投影されたことから生じています。