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【質問】No.24 (org.#41)

睡眠中に見る夢と、目をさましているときの<夢>について

私たちが目をさましているときの<夢>の中の様々な出来事、活動、関係などが私たちの<教室>を構成し、赦しのレッスンを学ぶための媒体となっているわけですが、「睡眠中に見る夢」には、赦しを学ぶプロセスにおいて、何らかの特定の意義や価値があるのでしょうか?

また、睡眠中に見るそうした映像に対する私たちの反応は、目をさましているときの<夢>という<教室>に対する対応とは何らかの点で違ったものであるべきなのでしょうか?

【回答】

目をさましているときの<夢>にしても、睡眠中に見る夢にしても、夢を見ている主体は同一の心です。

この二通りの夢の間に真の違いがあると、私たちに確信させようというのが、自我による数多くの策略の一つであり、自我は、私たちは本当はまだ眠っていて同じ分離の夢を別な形で見ているに過ぎないのに、目覚めていると信じさせようとします。

私たちが目覚めたかに見える状態へと移行する際に、睡眠中の夢は私たちに様々な洞察を提供してくれますが、中でも重要なのが、「私たちの心は、夢の中では、それを見ている間は非常に実在性があるように思えるような世界を作り上げるだけの力をもっている」という実感です。しかもそれは、自分自身の個人的な必要を満たすためだけに作り上げられた世界です。

イエスは、私たちが睡眠中に見る夢のこの側面について、次のような一節の中で、非常に明快にその詳細を語っています。

「夢の中には、本当に実在しているように見える世界が現れてこないだろうか?・・・・・そしてそれを見ている間は、あなたはそれが実在することを疑わない。けれどもここにあるのは、明らかにあなたの心の中にありながら外側に存在するかに見える世界である。あなたはそれに対し、その作者として応答することはしないし、夢が生み出す感情は自分自身から発しているはずだということも理解しない。・・・・そしてあなたは目を覚ましたように思い、夢は消えてしまう。だが、あなたが認識できていないことは、夢の原因となったものは、夢と共に消えてしまったわけではないという点である。実在しない世界をもう一つ作り出したいという願望は依然としてあなたと共にある。そしてあなたが目をさましたように思えるときに見る世界は、睡眠中の夢の中で見るのと同じ世界の別の形に他ならない。あなたの時間のすべてが夢を見ることに費やされている。あなたが眠っているときの夢と目を覚ましているときの<夢>は異なった形をとるが、異なっているのはそれだけである。その内容はどちらも同じである。いずれも、実相に対する反抗であり、自分には実相を変えられるという狂った固定観念である。」(T-18.II.1:1;5:2,3,4,8,9,10,11,12,13,14,15)

睡眠中に見る夢の中でも、私たちには、「目をさましている」ときと同じく、どちらの教師を選ぶかという選択肢があります。

そして、いずれ、私たちは夢の中における自分の判断はまっとうなものではないと認識するようになり、時の経つうちに、睡眠中でも赦しを選択することができるということを発見することもあるでしょう。明晰夢を見ることさえできるようになるかもしれません。つまり、夢を見ている最中でも、明晰な意識を保ち、自分が眠っていて見ている夢は、自分の心が作り出したものであるということを自覚できるようになる、ということです。

それは、私たちの目をさましているときの<夢>においても、最後には私たちに訪れるはずの自覚を予示しています。

そしてまた、目をさましたときに、睡眠中に見ていた夢の中で自分が経験する動揺の源は、他の誰かが自分に対し行っていることとはまったく関係がないということを認識するなら、睡眠中の夢はまた、イエスが私たちを導いて行こうとしている赦しの真の意味を理解する機会も与えてくれるでしょう。私たちの動揺は、「自分は動揺することにする、そして、この平安の喪失を自分の外側にあるかに見える原因のせいにする」と決めた私たちの心の中の決断を反映するものであり、それ以外の何ものでもありません。

これが、私たちが目をさましているときの<夢>の中でもやっていることだという自覚が、イエスが、『コース』の中で次のように私たちに提示している赦しのプロセスの土台となります。

「私は自分で考えているような理由で、動揺しているのではない。・・・・・私が動揺しているのは、存在しない何かを見ているからである(W-pI.5,6)。赦しは、兄弟があなたに対して行なったとあなたが思ってきたことが、実際には為されていなかったと認識する。」(W-pII.1.1:1)

この認識を、眠っているときに見る夢から、目をさましているときの<夢>へと普遍化させていくことができるなら、私たちは、すべての<分離>の<夢>から目覚めるための道をしっかりと進んでいくことになるでしょう。