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「・・この思考の逆転をもたらすために聖霊が用いる大いなる学びの補助手段が、赦しである。」
『奇跡講座』まえがき から

                                   

  

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【質問】No.30 (org.#93)

「イエスと共に見る」ということの意味

私はこのコースを学んで数年間、「イエスと共に自分の内面を見つめる」とか、「イエスの目を通して見る」ということに関して先生が述べておられることに従おうと努力しました。でも、そうしたことが本当に起こっているということを一度もイメージすることができませんでした。

最近になって、「イエスと共に見る」というのは、『奇跡講座』の中のイエスの教えを、私の自我による知覚に適用することを意味するのだろう、ということで納得するようになりました。換言すれば、教えを信じるということは、それを教えている教師を信じて受け入れることも意味する、ということです。このように考えることで、私は、イエスに自分と一緒にいてもらうということの意味について、もう少し良く理解できるようになりました。

こんなふうにイエスと私の関わりをイメージすることは、良い方法といえるでしょうか? あるいは、何かもうすこし個人的なやり方であるべきなのでしょうか?

【回答】

『コース』の教えをあなたの自我の知覚に適用するという、あなたが述べておられるプロセスは、まさに、イエスと共に見ることについての非常に適切な練習と言えます。

イエスは、『コース』の内容を表す一つの象徴ですから、その教えを私たちが自覚しているときには、彼は私たちの心の中に現存しています。さらに、私たちが自ら進んで、自分の自我による知覚にそうした教えを適用しようとしているとき、そしてまた、イエスのメッセージの観点からそうした知覚の信憑性を疑問視しようとしているときには、特にそうだと言えます。

私たちは自分たちが知覚しているものと一体感を持ちますから、それはまた、非常に個人的なやりかたでイエスと関わる方法であるとも言えます。あなたは、『コース』の教えという形で自分と一緒にいてくれるようにと、イエスを招いたのです。それは、私たちの暗くなっている心に新たな光を投げかける一つのランプにも喩えられます。

「私はあなたにランプを与え、あなたと共に行く。あなたはひとりでこの旅に出るのではない。私があなたを、あなたの真の父のもとへと導いていく。私があなたを必要としているのと同じように、父もあなたを必要としている。」(T-11.in.4:5-7)

 
〔訳注〕 この回答で「イエス」と述べられているところは、すべて「聖霊」と置き換えて差し支えありません。