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「・・この思考の逆転をもたらすために聖霊が用いる大いなる学びの補助手段が、赦しである。」
『奇跡講座』まえがき から

                                   

  

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【質問】No.32 (org.#101)

『コース』を学んで「悟りに達した人」はいるのでしょうか?

私が知りたいと思っているのは、『奇跡講座』を実践してきて悟りに達したという人がいるのかどうか、ということです。自らがと絶対的なつながりの中にあることを実感していて、それゆえに決して平安の状態を失わない、といった人を、誰かご存知でしょうか?

【回答】

これまで、誰からもそういう報告を受けたことはありませんが、報告がないということには何の意味もありません。真に悟りに達した人は、自分が自我を完全に超越したことをわざわざ他の人々に知らせる必要など感じないはずです。実際のところ、むしろこの点が、自分は悟りに達したという宣言が本当かどうかを見分ける助けとなるとも言えます。もし人がそのことを公表して回るとしたら、それはほとんど確実に、まだそこには自我が残っているしるしだと言えます。悟りを得た状態について『コース』が描写しているところによれば、そうした場合に顕著な特徴はただ一つあるのみです。それは、その人は以前よりもっと微笑むようになるということだけです。

    「存在するように見えるが実は存在していないこの世界の中で生きるための、一つの生き方がある。あなたの外見が変わることはないが、あなたはもっとたびたび微笑むようになる。あなたの額は穏やかで、瞳は静かである。そして、この世界であなたと同じように歩む者たちは、自分と同じ者たちを認識する。」(W-pI.155.1:1-4)

けれども、『コース』を学んでいる人々から、自分たちの思考や反応の仕方が大きく変化したという話は、数多く耳にしています。たとえば、以前は、神経をさかなでてばかりいた事柄が、今ではもはや、昔と同じような反応を引き起こすことがなくなったと言っています。換言すれば、赦しには効き目がある、ということです。だから、そこに毎日の焦点を合わせるべきなのです。

最後に、「と絶対的なつながりの中にある人」についてですが、「教師のためのマニュアル」中の「直接、に到達することはできるか」(M-26)というセクションを参照されるようお勧めします。そこでイエスは、私達に次のように告げています。

    「時には、の教師がとの直接的融合をつかの間、体験することもあるかもしれない。この世界では、それが持続することはほとんどあり得ない。おそらく、多大な専心と献身の後にそうした体験が勝ち取られることはあるかもしれないし、その後も、地上で生活するかなりの期間維持される、ということもあるかもしれない。しかしこれは実に稀なことなので、実現可能なゴールと見なすことはできない。もしそれが起こるとすれば、それはそれでかまわない。起こらなければ、それでもかまわない。この世界のすべての状態は幻想でしかありえない。もし自覚が持続されたままでに直接到達したとなれば、肉体は長くは維持されないだろう。」(M-26.3:1-8)

ですから、との直接的な融合は、このコースのカリキュラムが目標とすることではありません。平安の状態に到達することがそのゴールであり、そこに達したときには、私たちは、イエスとともに戦場から離れて高みへと上昇し、そこから、あらゆる人に対する慈しみの気持ちを抱いて下方を振り返り見るのです。

    「このコースは智識に行き着くが、智識そのものは依然として、このカリキュラムの履修範囲を超えたものである。また、永遠に言葉を超えたところにあり続けるものについて、私たちが語ろうとする必要はない。覚えておくべきことはただ一つ、実相世界に達した者は誰でもそこを超えていくことになるが、そこから先にはもはや学びはなくなるので、それとは異なる方法で超えていく、ということだけである。学びが終わるところで、が始まる。が始まる場所は終わりというものがない場所でもあり、そこにおいて完全であるを前にして、学びは終わるからである。達成できないものについては、私たちが考え続けてもしかたがない。学ぶべきことはあまりに多い。智識を受ける準備が整った状態を、まだこれから達成しなければならない。」
    (T-18.IX.11)