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【質問】No.51 (FACIMビデオ講座から)

 

「2012年について」

 
今日は、多くの皆さんが気にしている話題を取り上げます。 「2012年という年」についてです。

私はこのビデオを2012年に録画しており、皆さんはそれを2012年に見ることになりますが、2012年というのは、あらゆる種類の思想をもつ人々にとって非常に意味深長な年と見なされています。それは、長い間、ニューエイジ思想の中で重要な位置を占めてきました。多くの方々がご承知と思いますが、この話の発端は、2012年で突然途切れているように見えるマヤ暦にあります。それが、ありとあらゆる話題を生み出しました。すなわち、暦が途切れていることが何を意味するかについてのありとあらゆる推論です。たとえば、それはこの世界が終わることを意味しているのではないか、それとも、今の私たちが知っている通りのこの世界が終わって、いわゆる霊的意識の夜明け、もしくは新たなる覚醒といったものが訪れることを意味しているのではないか、などなどです。

私が思うに、『奇跡講座』を学んでいるなら、こうしたことについてあなたにできることは、ただ一歩退いて笑いながら、「何とたわいもないこと!」 と言うことだけです。時間が存在せず、この世界も存在しないのであれば、暦が告げていることがどんな違いをもたらすというのでしょう? どのような集団がそれについて述べているにしても、また、たとえその集団の人々がいかに賢明であったとしても、何らかの違いが生じるでしょうか? 人々が、2012年を太陽活動や惑星運動といったものに結びつけて考えてみたり、あるいは「100匹目の猿」という考え方に結びつけ、意識を変化させる一群の人々が存在するようになることで、局面が変わって、私たちがひとつのものとして癒されることになる、と考えたりしたところで、どんな違いを生むというのでしょう?

だからこそ、「時間も空間も存在せず、存在するのは心だけである。そして、その心の中で何が起こるかだけが重要なことだ」と、このコースが述べているのを覚えておくことが、非常に助けになるのです。

何億何兆のそのまた何億倍の数の神の子の断片が存在するかに見える幻想があるかもしれませんが、存在するのはひとりの神の子だけです。それゆえに、「教師のためのマニュアル」の中には次のような非常に重要な質疑応答が見られるのです。すなわち、「この世界を救うのに何人のの教師が必要か」という質問と、「一人である」という答えです。そしてその一人というのは、必ずしもイエスや仏陀やその他の悟りを開いた存在とは限りません。その「あなた」とは、このコースを学んでいるあなたのことなのです。なぜなら、あなたの個人的な心が癒されて、自分に贖罪を受け入れたとき、そして裁きや<特別性>がなくなり、投影もなくなって、あなたの心の中にはあのの平安だけが存在するようになるとき、そうして、あなたが実際にあの静けき中心に、すなわちあの内なる荘厳な静けさの中に常住するようになるとき、あなたの心は癒されています。そうなるとあなたは、分離が存在しないことを悟ります。もし分離がなければ存在するのはただ一人の神の子です。それは幻想の中では一なるから分離したかに見えた一なる神の子であり、天国においてはキリストである一なる神の子です。

ですから、この世界を救うのに必要とされるの教師は一人なのです。あなたの心が救われるとき、私たち全員が救われます。イエスはこのコースの中で二度、彼がよみがえったとき私たちは彼と共にいた(M-23.6:8-10; C-6.5:5)と述べていますが、これがその言葉の意味です。すなわち、イエスが死の夢から目覚めた時 — ちなみに、これがコースによる復活の定義であり、聖書中の神話とは関係ありません — つまり、彼が贖罪を自分に受け入れた時、私たち全員が一なる神の子であるがゆえに私たち全員が彼と共にいた、ということです。

ですから、これが起こるのが2012年か、2112年か、それとも2013年か、あるいは1942年にすでに起きていたのか、そうしたことは一切、何の違いも生み出しません。時間は存在しないのですから・・・。これは本当に重要な点です。

だからこそ、私が『奇跡講座』の受講生たちにいつも強調するのが、このコースを理解し、それを生きようとする者として、あなたはこのコースの形而上学からあまり遠く離れてはいけない、ということです。なぜなら、そこから離れずにいることがあなたをこのコースの正道にとどまらせるからです。

そして、繰り返しますが、このコースの一元論の形而上学は、この世界は存在しないと教えています。ワークブックのL132は次のように述べています。「世界は存在しない! これがこのコースが教えようとしている中心概念である」と。世界が存在しない理由は、それが<小さな狂った考え>という一度も生じたことのないものの投影にすぎないからです。それならば、どうして「無」から生じている「無」が、「有」であり得るでしょう。もともと一度も起こっていない何らかの年に、何らかの重要なことが起こるなどということが、どうしてあり得るでしょう。

ですから、このことを理解することは本当に重要です。理解していれば、あなたがそうした騒ぎに巻き込まれて、「素晴らしいキリスト意識の目覚めと夜明けが何らかの形で訪れて、この惑星を癒すだろう」と考えたりしなくてすみます。そのように考えることは、馬鹿げています。いったい、癒されるべきどんな惑星があるというのでしょう。癒されるべきは、2012年12月31日までにであろうと、あるいは人々が噂する何らかの別の期日までにであろうと、その時までに癒されることになる惑星といったものが存在している、と考えるあなたの心なのです。

2013年の元旦に目を覚まし、私的な世界であれ、中東やアフリカや南米や、首都ワシントンで起こっていることであれ、相変わらず混乱だらけの惨めな世界を目にした時、多くの人々は非常にがっかりすることになるでしょう。何も変わりません。変わるのは、あなたの個人的な認識です。変わるのは、あなたの心です。

要するに、私たちが言うべきこと、それも思いやりに欠けることのない態度で言うべきことは、「いったい、どの世界のことを言っているのでしょうか。どの世界が癒されなければならないというのでしょう。どの意識が高められなければならないというのでしょう」ということです。このコースは、意識は分離後の心に導入された最初の分裂だと教えています。それゆえに、意識は自我の領域です。なぜ存在もしない意識を進歩させたり、目覚めさせたりしたいと望むのでしょうか。ですから、『奇跡講座』の受講生にとって非常に重要なことは、このコースの形而上学から離れてしまって、このコースが認識すらしない何らかの年についてのお祭り騒ぎに巻き込まれたりしないようにすることです。

したがって、2012年についての様々な懸念に対し、私たちが為すべき最善のことは、自分の毎日の学習にひたすら取り組み、暦のことは暦に任せておく、ということです。そして、明けても暮れても、ベストを尽くして自分の赦しの練習に、とにかく励むことです。

― FACIMのビデオ講座 2012_Practical Application of ACIM より