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【質問】No.64 (org.#375)

「訂正は下から上へ垂直に」(T-1.VI.3:3)

 

「訂正は下から上に垂直に導入されなければならない。」(T-1.VI.3:3)というのは、
どういう意味なのでしょうか。

 

【回答】

『奇跡講座』のいくつかの箇所では、私たちがから分離したことと、その後その分離を取り消していくプロセスについて語るときに、「階梯」という比喩を用いています。から分離するという私たちの選択は、私たち全員を階梯の一番下の段まで引き降ろすことになった一連の力動を起動させました。そしてその一番下の段が、私たちが、今、自分自身として、また自分の人生として経験しているものです。

したがって、私たちがへと戻っていくには、今、自分がいるところから始める必要があり、そのあとは、私たちはイエスにやさしく導かれながら、この階梯をその一番上まで一段づつさかのぼっていきます。

ここに始まった救済は、分離へと下降してきた一段一段の進路を変更していき、いずれは、すべての段階をさかのぼって階梯を消し去り、世界のすべての夢を取り消すだろう。・・・救済を超えたところにある完璧な確かさの中で何が待っているかは、私たちの関心事ではない。なぜなら、あなたはまだ、分離が下方へと導いた階梯を、上に向かって不確かな足取りで登り始めたばかりだからである。現時点では、奇跡だけがあなたの関心事である。私たちはここから始めなければならない。(T-28.II.12:7; III.1:1-4)

こうして、訂正の焦点は、物理的な世界における一個の肉体としての私たちが、現在経験していることの上に置かれます。

だからこそ、私たちは、階梯の一番下から一番上まで一気に駆け上がろうとして自分たちの肉体や物理的世界の生活を否定するようなせっかちな進み方には、厳重に注意している必要があるのです。もし私たちがそうしたことをするなら、それにより経験する癒しは、どれもみな短命に終わることになります。なぜなら、根底には罪悪感が存続するからです。

癒しのプロセスは、個別の物理的な存在としての私たちの様々な経験と共に始まります。というのも、私たちが自分はそういう存在だと信じているからであり、それを信じていなかったなら、そもそも私たちはそうしたことを経験してはいないはずだからです。

聖霊が優しくあなたの手を取り、自分自身の外側へと向かったあなたの狂気の旅路を一緒にさかのぼり、内なる真理と安全のもとへと、あなたを優しく連れ帰る。(T-18.I.8:3)