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【質問】No.68 (org.#755)

私の理解は深まっているのでしょうか?

 
私は長年 『奇跡講座』 を学んできました。最初に一読した時から、興味を覚えましたし、理解できたと思いました。

ところが、今でもまだ、読んでいて、この本を初めて読んだかのような気持ちになります。
これで、私の理解のレベルは深まっているのでしょうか。

 

【回答】

『奇跡講座』 を学ぶということは、何度も読み返してはまた読み返すといったことが必要な一つのプロセスを通過することです。なぜなら、このコースが教えていることは、私たちが信じていることのすべてを逆転させるものだからです。

「このコースを学ぶには、あなたが抱いている価値観のすべてを疑ってみようとする意欲が必要である」(T-24.in.2:1)。

これは、易しい課題ではありません。肉体と同一化するという選択をしたことにより、数多くの多様な価値観や信念のように見えるものが生じているからです。この「肉体との一体感」を手放すことに対する恐れが、その一体感を支える思考体系を維持しています。

多くの場合、苦痛をもたらしている信念があると経験されたときに、自分の信念を疑ってみるということが始まります。望ましくない信念の方が手放しやすいからです。けれども時間が経つにつれ、私たちは、肉体としての自分について自分が信じているあらゆることがらが、何らかの形で自分に苦痛を引き起こしているということを発見します。そして、その苦痛を軽減させようとして私たちが行うことのすべてが、実際にはうまくいかない、ということも発見します。たいていはそれが、私たちが新規まき直しをしてあらためて学び始めるときです。そしてそのとき、まるで初めて学んでいるかのように感じられたりします。

自分の中の隠された想念や信念や価値観を認識できるように心を訓練するには、長年にわたる学習と実践が必要です。私たちが実践すればするほど、『奇跡講座』 を読むときに理解が深まります。そしてこの「理解が深まった」ということの意味は、たいていの場合、自分が以前は理解していなかったと気づいたり、今、理解していないとわかったりする、ということなのです。

あなたの経験していることは、全員とは言わないまでも多くの 『奇跡講座』 の受講生たちが経験していることです。そしてそれはこの学びのプロセスの重要な一部なのです。自分は知らない、理解していない、という事実を受け入れることが、叡智の始まりです。それは、「テキスト」の中の、以下のような印象的な一節が私たちに告げている通りです。

「すべての概念が疑われ、疑問視され、いずれも光に耐え得るような前提に基づいてはいないと認識されるとき、真理は、罪悪感から自由で清浄な自らの聖域に自由に入っていくことができる。以下の声明以上に、世界が聞くのを恐れているものはない。私は、私であるものを知らない。だから、私が何をしているのか、どこにいるのか、あるいは、この世界や自分自身をどのように見たらよいのかも、知らない。」(T-31.V.17:5-8) 

これは、『奇跡講座』 がどのようにして私たちの思考を逆転させるかを示している良い例です。「理解」 における進歩の証拠となるのは、自分が理解していない ということの自覚なのです。

もう少し前の章でイエスは同じ点を明確にしています。

「あなたは依然として、自分が理解するということが真理に対し強力に貢献し、真理を真理と為すと信じ込んでいる。だが、あなたは何も理解する必要はないということを、私たちは強調してきた。」(T-18.IV.7:5-6)

『奇跡講座』 を理解しようとするときに私たちが経験する難しさを思えば、これは私たちを大きく安堵させる言葉です。一方で、自我にとっては、これは侮辱ということになります。自我は、自分の明敏さを確信しており、自分が 「何も知ることができない」 (T-6.IV.3:1) ということなど思ってもみません。

ただし、私たちの理解は必要とされないとはいっても、私たちの意欲は必要とされます。これだけが、『奇跡講座』 の中でイエスが教えている赦しを、私たちが実践することを可能にします。赦しの実践により、私たちの心が、分離の想念から癒されていくようになるのです。そしてこれこそが、「理解すること」以上に私たちが追求しているものです〔訳注〕

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〔訳注〕 誤解のないように付け加えますが、これは、『奇跡講座』の理論を学ぶ必要がないという意味ではありませんので、ご注意ください。このコースには首尾一貫した理論があり、最低限の基本としてそれを理解することにより、赦しの実践をよりよく行えるようになります。「ワークブック」の序文の冒頭でも述べられている通り、「テキスト」が提示している理論的枠組みは、実践のために不可欠です。それを理解せずに実践しようとするなら、『奇跡講座』ではない何か別なものを実践することになってしまいます。

このQ&A#68で述べられていることはそれとは別の次元のことであり、基本の理論を学んだ上でそれを実践していくことによって、自分が理解していたと思っていたよりもずっと深い領域があることがわかってくるという意味です。少し学んだだけで全部理解したと思ってしまわない謙虚さが必要とされる、ということでもあります。

 

 

 

 

 

 

 

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