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【質問】No.74 (org.#895)

『奇跡講座』の学びについて: 情緒不安定な人からの質問

私は精神的な疾患を抱えています。つまり、情緒不安定です。自分の問題は、実のところ、部分的には未発達の自我によるものだということは、理解しています。人生の前半では、私は熱心に信仰を求めていました。おそらく、その大きな理由は、ものすごく不安だったからだと思います。世俗的なものごとにはまったく関心がありませんでした。

でも今は、もっと地に足を着けて生きる必要があるように思えていて、自分の困難な状況を考慮するなら、自我を手放すということが自分にとって賢明なことかどうか、疑問に思っています。一方では、私は『奇跡講座』に非常に惹かれていますし、概して、このコースは私にとって大いに納得のいくものです。

私の精神的発達は非常に幼い頃に阻害されたということがありますし、最近ある人から届いた子供たちに関するメールに、このコースの教えは子供向けではないと述べられていたのを読んで、これは私の場合にも当てはまるのではないかと考えているのです。

【回答】

「自我を手放すこと」は、『奇跡講座』が私たちを導いていくプロセスの一番最後の段階です。その道を進んでいく間、特に初期の段階では、焦点となるのは、単に、「自分の自我を認識して、私たちに自我があることを理由に自分を咎めないようにする」ということです。ですから、このコースは、実際、あなたの癒しにとって役に立つものとなることができます。

というのも、あなたが、以前、自我から逃げ出そうとしたということが示唆しているのは、表向きは世俗的なものごとを超越しようとしていたとはいえ、実際には、自分の知覚においてそうしたものごとを非常に実在性のあるものとしていたということであり、それゆえに、世俗的なものごとの源である自我を強化してきた、ということだからです。しかし今では、あなたは『奇跡講座』によって、自分の自我とその多様な表現のすべてを、恐れや自己非難を抱かずに見ていく方法を学び始めることができます。

覚えておくべき重要なことは、このコースのプロセスは、決して、何かを渋々あきらめることではないということです。ですから、自我を渋々あきらめることでもありません。そうではなく、何であれ私たちがすでに自分の人生で実在するものとしてしまったものを、別の目的のために使うことを学ぶためのプロセスなのです。 つまり分離、攻撃、罪悪感などのためではなく、赦しのために使う、ということです。というのは、それらの様々な形態がどんなものであったかには関わりなく、私たちの人生のすべてを、自我が取り仕切ってきたからです。そしてそれは、私たちが「自分の人生経験のすべてをどのように使うかについては別の選択がある」ということを学ぶまでは続くからです。そして、私たちが自我と同一化している間は、私たちは誰でも同じ病を患っているのです。イエスは次のように語っています。

「病気とは狂気である。なぜなら、すべての病気は心の病であり、そこには程度というものはないからである。病気を実在のものと知覚させる幻想の一つが、病の症状には軽重の差があるという信念である。すなわち、脅威の度合いは病がとる形に応じて異なる、というものである。ここに、すべての誤りの土台がある。というのは、それらはすべて、ほんの少しの地獄を見ることによって妥協しようとする試みにすぎないからである。」(P2.IV.8:1,2,3).

もちろん、これまでのあなたの経験を考慮すれば、あなたが注意すべきことは、このコースが赦しのプロセスの最終段階について描写している部分のみに焦点を合わせるだけで済ませてしまわないようにするということであり、「自我の醜い部分を、深刻にならずに直視する」といったことを含むプロセスの各段階を、飛び越して進もうとはしないようにするということです。というのも、この「直視すること」こそが、あなたの贖罪の道程において、あなた自身や他者を、各々が今いるその場所で受け入れる、ということを学ぶプロセスの一つの中核となる部分だからです(T-9.III.6:4)。そして、それが赦しというものの真髄です。

また、あなた自身の発達が阻害されたことと、子供の場合との類似性について述べておられましたが、今のあなたは、大人として、これまで自分がどこにいて、これからどこに行こうとしているかについて熟考することができるという利点をもっています。もちろん、子供の場合と似て、あなたも世界とその中で要求されるものにうまく対処していくためには、普通以上の努力が必要であるかもしれません。それでも、あなたには、自己観察の能力がありますから、いつ自分が世界の諸事を避けるための方法として自我を選んだか、そして、そのような選択をすることの代償は何かといったことを認識することができます。それにより、あなたが望むならば、それとは別な選択ができるようになるのです。