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【質問】No.84 (org.#408)

『奇跡講座』を一通り読み終えたあとは、何をすればいいのでしょうか?

現在、私は、あと少しで「ワークブック」の演習と「テキスト」の通読が終わるところまできています。

読み始めた頃に比べて、自分の平安の度合いも、ものごとの知覚も、ずいぶん変わったことがわかりますが、一方で、「テキスト」と「マニュアル」を通読して、「ワークブック」の全レッスンを修了しただけでは、このコースを学び終えたことにはならないということも認識しています。

けれども、この地点からどこに向って進めばよいのか、よくわかりません。

「テキスト」の初めに戻って、また読み始めるべきでしょうか? 

ただ、瞑想して、聖霊に耳を傾ければいいのでしょうか? 真に贖罪を達成するには、私は何をすればいいのでしょうか?

 

【回答】

おっしゃるとおり、「ワークブック」のエピローグも、「このコースは始まりであって、終わりではない」(W.ep. 1:1)と述べています。贖罪を受け入れるというのは、心の訓練を必要とするプロセスであり、その訓練が「ワークブック」が目的としていることです。そして、どんな訓練プログラムについても言えることですが、忍耐と辛抱強さが、進歩を確実なものとします。赦しの原理を理解したあとは、その効果は、それを自分の生活のすべての状況や出来事やあらゆる関係に適用していく中で発揮されます。

いかに些細なことのように見えようと、何らかの形の苛立ちや難儀を引き起こす何かが存在しているあいだは、赦しの必要性があります。ですから、『奇跡講座』を一通り読み終えたあとは、生涯かけての実践、実践、また実践です。

私たちは、肉体として存在する者としての自分のアイデンティティーに深い愛着を持っていますし、それゆえに自我の思考体系にも愛着を持っていますから、聖霊と共に考えられるように自分の心を訓練するには、本当に時間がかかるし努力も必要なことなのです。

このコースの中で私たちが頻繁に告げられることは、その教えを学ぶことに対する私たちの抵抗はすこぶる大きい、ということです。この点において、レッスン44の以下のメッセージは、このコースのどの教えを練習する場合にも普遍的にあてはめることができます。

「あなたには、・・・・強い抵抗感が生じることがあるかもしれない。その理由は非常に単純である。このやり方で練習するとき、あなたは自分が今信じている一切のものごとと、自分が作り上げたすべての考えを後にすることになるからである。正しく言うなら、これは地獄からの解放である。しかし、自我の目を通して知覚されるならば、それはアイデンティティーを失うことであり、地獄に落ちることにほかならない。」(W.pI.44.5:2-6)

したがって、私たちの練習においては、心の中の一つひとつの考えや裁く気持ちを監視する際に、充分に注意を払い警戒していることが必要とされます。そしてまた、そうした想念や気持を聖霊によって変えてもらおうとする意欲も必要です。そのようにして、それらは取り消されます。このことについては、枠組みを設けた練習というものは用意されていませんが、ワークブックを一通り終えたあとは、その中のどのレッスンの指示でも、有益な演習として使用できます。もちろん、あなたが自分の想念に「波長を合わせる」ことを助けることなら何をしてもいいのです。静かな時間を持つこと、瞑想すること、『奇跡講座』のどこかを読むこと、どれでもいいのです。「テキスト」を何度も再読することは有益です。「テキスト」が述べていることの微妙な陰影は、毎日の赦しの実践によって私たちの何重にもなった罪悪感の層が取り除かれていったときに、初めて明らかになってくるからです。

「ワークブック」のレッスンに馴染んでくるようになると、日中もそれらが心に浮かんでくるようになります。けれども、それらが効果を発揮するかどうかは、ひとえに、自分が置かれている状況や対人関係に対し、それらを適用しようとするあなたの意欲にかかっています。日常生活におけるすべての対人関係や出来事にレッスンを当てはめるというこの具体的な適用こそが、『奇跡講座』の生徒にとっての真の学習課題なのです。

繰り返しますが、これには練習が必要ですし、忍耐と辛抱強さが求められます。「ワークブック」序文の以下の指示を再読すれば役立つでしょう。

「しかし、「ワークブック」に含まれている概念を適用する際に、例外を設けてかまわないと思ってはならない。そうした概念にあなたがどう反応しようとも、とにかくそれらを使用することである。それ以上のことは何も要求されていない。」(W.in.9:4-5)