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【質問】No.89 (org.#129)

『奇跡講座』から「さまよい出て」ばかりいる私に、
何かアドバイスはありますか?

私が『奇跡講座』を学び始めて20年以上がたちます。そして、この間に気づいたことは、このコースに対する私の積極的な取り組み方は、著しく強まったり衰えたりするということです。自分の自我が再び優勢になっていることが感じられ、そうすると、いくつかの非常に有用な自己洞察を別にすれば、私は大なり小なりスタート地点へと後戻りしている、という具合です。時々、自分の「わずかな意欲」はあまりにわずかすぎたのではないかと思ったりもします。

私たちの自我に対する執着は、私たち自身が認識しているよりもはるかに大きい、ということは私にもわかっています。けれども時々私は、このように長い年月をかけて、ずいぶんと努力して心の訓練をしてきたにもかかわらず、自分の心が依然として、いとも簡単にさまよってしまう、ということにフラストレーションを感じてしまいます。結局、私はいまだに神の平安のかすかな気配でも見つからないものかと探し求めているのです。

私が(そしておそらく私と似たような他の人々が)、こうしたことをもっと幅広い観点から眺め、正しい軌道に戻っていくための助けになりそうな、何らかのご意見や助言、あるいは励ましをいただければと思います。

【回答】

あなたが「正しい軌道に戻る」のを助け、肯定的な観点を経験する助けになりそうなことがいくつかあります。

まず第一に、こうした経験をしているのはあなたひとりではなく、それは「普通」のことであり、赦しのプロセスは難しい、ということです。そう言われても、少しも慰めにはならないと思えるかもしれませんが、私たちは、損なわれた学習技術で学んでいるとはっきりと告げられているのですから、『奇跡講座』を実践するときに困難に出くわしたとしても、驚くことはないのです。

「あなたはまさに文字通りの意味で、学習ハンディキャップを背負っている。あなたの学習技術にはあまりにも損なわれた領域があるため、あなたの限られた才覚を凌駕できる教師により、持続的に提供される明確な指示のもとでしか、あなたは進歩できない。あなたは自分ひとりでは学ぶことができないので、この教師があなたの才覚となる。あなたが自分自身を置いた学習状況は手におえないものであり、この状況では、あなたは明らかに特別の教師と特別のカリキュラムを必要とする。」(T.12.V.5:1,2,3,4).

このメッセージは『奇跡講座』の生徒全員にあてはまるということを思い出して下さい。そして、ここに明白に示唆されていることは、このコースが教えている訓練プログラムは、私たちにとっては難しいものだということです。単純で明白ですが、たやすいものではありません。

『奇跡講座』の教えは、究極には、私たちがあらゆることについて、特に自分自身について信じている一切を取り消すことへと導いていきます。ですから、このコースの教えの原理を自分の生活に適用する際に、私たちに一貫性がないということや、かなり抵抗を感じるということは、非常に無理からぬことなのです。

これまでもたびたび述べてきた通り、もし『奇跡講座』がたやすいものだったなら、私たちにそれは必要ないということになります。それは、非常に賢明な教師により、生涯にわたる学習として編成されているわけですが、それはそれなりの理由があってのことなのです。その過程においては、「失敗」のように見えるものについて自分自身を裁かないということが非常に重要です。裁くなら、確実にさらなる罪悪感をもたらすことになりますし、このコースを学ばせないようにして自らを守ろうとする自我の防衛計画を成功させてしまうことになるでしょう。

自分の意欲の度合いや、自分のフラストレーションについてあなたが抱いている考えはすべて、あなたを正しい軌道から離したままにしておくための、自我による典型的な企みとだと見なせば、助けになるはずです。

また、もし役に立つと思えるなら、あなたの学習に何らかの骨子を導入するのもいいかもしれません。ワークブックのレッスンに出てくるガイドラインを用いるとか、あるいは、毎日、『奇跡講座』の一節を読むために特定の時間を確保するといったやり方です。そのほか、就寝する前に、その日を振り返り、何らかの不快感やもっと強い感情を引き起こした想念をはっきりと認識するという習慣を身につけることも、助けになる場合があります。こうした想念や感情は、平安を不可能にしている裁きや判断を表象しています。このように一日を振り返ることで、私たちは自らを自分自身と同調した状態に保ち、翌日にはもっとしっかりと用心するようにもなれると思います。どの試みも、やってみるだけの価値があります。それは意欲という小さな閃光に再び火をつけることになるからです。

もう一つ重要なことは、時間についての私たちの通常の理解は、私たちが『奇跡講座』を実践する際には、あてはまらないということです。存在するのは、私たちが聖霊に耳を傾けるか自我に耳を傾けるかを選ぶ、現在の瞬間だけなのですから、ある意味では私たちは常にスタート地点にいるわけです。さらに言えば、『奇跡講座』の教えのどれであれ自分の生活や自分の関わる関係に適用する時にはいつでも、それがいかに「わずかな時間」に思えようとも、時間は無関係となります。その教えを最後に適用してから20年が過ぎていようと、20分が過ぎていようと、その時差は、私たちの学びの効果には何ら影響しないとわかるなら、励まされます。あなたも気づいておられるはずですが、自我の思考体系全体が一瞬のうちに取り消される、ということが可能です。そして、あなたが再び自我を頼みとするという間違いを犯した時には、裁くことなく、やり直すことが可能です。その時も、あなたの迂回や蛇行は全く気に掛けずに、あなたが盛衰を繰り返すときも、あなたと共に行く一なる存在がいるということを、あなたは確信していることができるのです。

私たちの進歩について自我が自分の解釈や評価を差し出す時、『奇跡講座』は「わずかな意欲」に条件をつけたりはしないということを思い出せば助けになります。どの意欲も小さすぎたりはしませんし、第一、私たちは自分の進歩を判断するだけの資質を備えてはいません。以下の一節を思い出すといいでしょう。

「あなたのわずかな努力と小さな決意が、あなたを助ける全宇宙の力を呼び出し、神ご自身があなたを闇からすくい上げて、光の中に置いてくれるだろう。あなたは神の意志の通りのことをしている。あなたの意志は神の意志であるから、あなたが失敗することはありえない。」(W-pI.69.7:2-4)