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「・・この思考の逆転をもたらすために聖霊が用いる大いなる学びの補助手段が、赦しである。」
『奇跡講座』まえがき から

                                   

  

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【質問】No.96 (orig.#81)

私は、『奇跡講座』と特別な関係を築いてしまっているでしょうか?

 
すべての関係は<特別な関係>であり、人は『奇跡講座』自体と<特別な関係>を形成することさえあるとのことですが、もしかすると、私自身がこのコースと<特別な関係>を形成しているのではないかと案じています。

そうなっているかどうか、どうすればがわかるのでしょうか。

それから、そもそもこれは、私が実際に心配すべき「問題」と言えるものでしょうか?

私が自分はこのコースと<特別な関係>になっているのではないかと思っている理由は、私が、「あらゆる人がこのコースを読みさえすれば、世界中の問題が解決されるのに」と思うことがよくあるからです。

 

【回答】

そうです。すべての関係は<特別な関係>であり、そこには私たちと『奇跡講座』との関係も含まれます。何がこのコースを特別なものにするかは、人それぞれですし、その形は様々です。しかし、たいていは、このコースの形態を、私たちの特別な必要を満足させる特別な力を持つものとして知覚していることが関連しています。

このコースを学ぶ人たちがよく陥る特別性の形の一つは、(このコースを学んでいるがゆえに)自分は「特別だ」と感じ、このコース以外の伝統的な霊性の道の諸形態を信じている人たちよりも自分は「優れている」と感じる、といったものです。あなたが挙げた理由 ― あらゆる人がこのコースを読むべきだ ― は、この特別性の形に含まれます。ですから、あなたはすでにご自分の質問の最初の部分に答えておられます。

『奇跡講座』自体が「マニュアル」の中で次のように述べています。

 「神の教師の一人ひとりに一つのコースがある。コースの形態は多種多様である。使用される特定の教材も、同じく多様である。・・・・・本書は一つの特別なカリキュラムのためのマニュアルであり、普遍なるコースの特別な形態の一つを教える教師を対象としている。他にも幾千もの形態があり、それらすべてが同じ結果をもたらす。」(M-1.3:1-3,4:1-2)

私たちと『奇跡講座』との関係というものは、他の問題よりも深刻だというわけではないし、深刻でないというわけでもありません。それは、赦しのための一つの機会に他なりません。自我は、『奇跡講座』を含むすべてを、分離と裁きという目的に使用します。ですから、私たちの関わる関係をすべて、例外を設けずに、このコースが教えていることに照らして眺めてみる必要があります。

「・・・・自我が企む関係をさらによく見て、それを聖霊によって真に判断してもらおう。それらを直視すれば、あなたが喜んでそれらを聖霊に差し出すことは確実だからである。聖霊がそれらをどのようなものにできるのかをあなたは知らないが、もしあなたがそれらの関係から自分が何を作り出したのかをまず知覚したいと思うようになれば、聖霊に何ができるかを知りたいと思うようになるだろう。」
(T-15.VII.5:3-5)

重要なのは、特別性を認識することです。つまり、正直にそれに含まれている具体的な感情や裁く気持ちを認め、自分が個別で特別な存在でいるために、どのようにそれを用いているかを見るということです。

これは、その特別性が愛と憎悪のどちらの形態をとるとしても当てはまることです。なぜなら、このコースへの特別な愛のように見えるものは、特別な憎悪と同じだからです。

このコースにまつわる特別性は、私たちが他の人々をどのように知覚しているかを反映しています。つまり、自分と同じようにこのコースを学ぶ人々が、自分の「愛する」人々となっていて、このコースを自分と同じやり方で学ばない人々や、まったくこのコースを学ぼうとしない人々が、自分の「憎む」人々となっているということです。このコースとの<特別な関係>の背後に、私たちの兄弟全員がいます。そうして、この世界は分割され、私たちの形成する関係は私たちの必要に合ったものへと定義されます。ですから、このコースも、私たちが下した「分離する」という選択を反映するという形で、私たちの人生やこの世界のその他のすべてのものごととと関連し合っているのです。

イエスは私たち受講生に対し、このコースを「愛する」ことも、「説いて回る」ことも求めてはいません。このコースを学習し、実践し、その教えをこのコース自体を含めたあらゆるものに適用することを、求めているのです。

「私が無駄に死んだと教えてはならない。そうではなく、私があなたの中に生きていると示すことによって、私は死んでいないと教えなさい。」(T-11.Vi.7.3-4)