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DVD「思考の逆転」

「・・この思考の逆転をもたらすために聖霊が用いる大いなる学びの補助手段が、赦しである。」
『奇跡講座』まえがき から

                                   

  

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用語解説 さ行

 

さ行

 


罪悪感 [guilt]

罪との関連で経験される気持ち。私たちの心の罪悪感は、自分自身に対し抱いている全ての否定的な感情や信念の内に反映されているが、その大半が無意識のものである。自分は生来、無価値だという感覚に基づいており、の赦しの力さえそこには及ばないように思えている。そしてそのは、私たちが犯したかに見える分離の罪に対し処罰を要求すると、私達は誤って信じている。罪悪感に目を向けることは私たちを破滅させることだという自我の忠告に従い、私たちは自分の心の中にそれが存在することを否認し、そうして、それを攻撃という形で外に投影する。その攻撃は、怒りとして他者に向けられるか、さもなければ病気として私たち自身の肉体に向けられることになる。

参照:欠乏の原理


最後の一歩 [last step]

に属するこの一歩は贖罪が完全となり、自我による全ての妨害が取り除かれた時に生じる。私達をから引き離すものが何も残存しなくなるとき、神ご自身がこの一歩を踏み出し、私達をご自身のもとに引き上げてくれる。厳密に言えば、は歩くことはしないので、実際にはこの言葉は、私達が本当は一度も離れたことのない私達のに回帰する、という私達の体験を指している。


最後の審判 [Last(Final) Judgment]

智識のレベルにおける意味: 審判と処罰という伝統的キリスト教による見方とは対照的なものであり、すべての神の子神との愛に満ちた関わり — 最終的な審判 — を反映する。

 真の知覚のレベルにおける意味: 審判と処罰という伝統的キリスト教による見方とは対照的なものであり、贖罪の最後の部分。すなわち、再臨に続いて、真理と幻影が最終的に弁別され、全ての罪悪感が取り消され、生けるひとり子キリストとしての自覚が私達に取り戻される時のこと。


再臨[Second Coming]

一なる子>の心が癒されること。私達が、一なる神の子としての自分たちの実相を自覚した状態へと、集合体として回帰することであり、私達は創造されたとき、すなわち最初の降臨において、この自覚を有していた。最後の審判の後、この幻影の世界が終わるが、再臨はその最後の審判に先行する。


三位一体 [Trinity]

その三つの位格の一体性については、この世界の中では理解不可能。1)であり創造主である、2)神の子であるキリスト、3)神を代弁する声である聖霊から成る。


死 [death]

間違った心の状態における意味: 肉体、および「生命{いのち}そのものである私たちの創造主からの分離」の“実在性”を最終的に証言するもの。もし肉体が死ぬのであれば、その前にそれは生きていたことになり、そうすると、その作り主(自我)も実在し生きている、ということになる。自我は死を、からの分離という私たちが犯した罪のゆえに与えられる究極の罰と捉える。

 正しい心の状態における意味: 肉体が、一個の教育の手段としてその目的を達成した後、静かに横たえられること。


幸せな夢 [happy dream]

自我による痛みや苦しみの夢を訂正するための聖霊の手段。幸福な夢も依然として幻に過ぎないが、この夢はその他の全ての幻影を超えて、真理へと導く。赦しの夢であり、この夢の中で、ついに実相世界が見られ、救済が達成される。


自我 [ego]

<分離した自己>、または<偽りの自己>が実在すると信じる信念のことであり、こうした“自己”はが創造した真の自己の代替として作り出された。罪、罪悪感、恐れ、および、自分を保護するための特別性に基づく思考体系を生起させている<分離の想念>のこと。私達の心の一部分が「自分は、キリストから分離している」と信じており、心のその部分を自我と呼ぶ。この分裂した心には、更に<間違った心の状態>と<正しい心の状態>という二つの部分がある。ほとんどの場合、<間違った心の状態>のことを指すが、分離した心の一部でありながら<正しい心の状態>を選ぶことを学ぶ部分を含むこともある。

 (注 — 精神分析における「自我」と同じではないが、精神分析における「自我」がその一部をなす「精神(psyche)」の全体が、ここで言われる自我におおよそ一致すると言える。)


自我を直視する [looking at the ego]

赦しの本質であり、裁くことのない聖霊またはイエスの優しさと忍耐とをもって、私達の自我の思考体系を見ること。罪悪感こそが、自分の特別性を直視させず、自我の真の性質を隠れたままにして、自我を維持させるものであるから、私達の攻撃の想念を審判せずに直視することこそが、自我を無に戻す。したがって、罪悪感や恐れを持たずに自我を見つめることが贖罪の本質である。

 参照:闇(幻想)を光(真理)へと運ぶ


自己 [Self]

神の子としての私達の真のアイデンティティーキリスト、すなわち三位一体第二位格の同意語であり、の被造物の代用品として私達が作り出した自我とは対照的なもの。まれに自己のことを指して使われる。


実相世界 [real world]

全面的な赦しを通して得られる心の状態のことであり、その状態においては知覚の世界が自分の投影していた罪悪感から解放されている。すなわち、変わったのは世界ではなく心であり、そこでは、私達はキリストの心眼{ヴィジョン}という、とがめるのではなく祝福する眼差しを通してすべてを見る。聖霊の幸せな夢。贖罪の終わるところ、すなわち私達の分離の想念が白紙に戻され、が最後の一歩を踏み出せるようになる地点。


十字架刑 [crucifixion]

神の子に対する自我の攻撃の象徴であり、この世界が顕現しているかに見える、苦しみ、犠牲、迫害、死などの“実在性”を証しするもの。更には、イエスの殺害のこと、すなわち「死は生命{いのち}に優る力をもたないので、私たちの真のアイデンティテイーである愛は決して破壊できない」ということを教えた極端な実例のことも指す。


贖罪 [Atonement]

自我を取り消し、分離への信念を癒すための、聖霊による訂正の計画。分離の後に存在するようになり、神の子の全員が、全面的な赦しによって、贖罪における自分の役割を果たした時に完了する。贖罪の原理は、「分離は一度も起こらなかった」ということ。


神聖な関係[holy relationship]

<非神聖な関係>または<特別な関係>を取り消すための聖霊の手段であり、その関係のゴールを、罪悪感から赦しまたは真理へと変化させることによってこれが取り消される。赦しのプロセスであり、これを通して、他者Bを分離した者として知覚していた人Aが、A自身の心の中で、キリストの心眼{ヴィジョン}を通してBと繋がる。


真の知覚 [true perception]

キリストの眼差し、すなわち<赦しの心眼{ヴィジョン}>を通して見ること。<赦しの心眼{ヴィジョン}>は、神の子の真の一体性を反映することで、分離という自我の誤った知覚を修正する。肉眼による視覚と同一視してはならない。<真の知覚>は罪悪感の投影を取り消す態度のことであり、それにより、私達は、罪、恐れ、苦しみ、死からなる世界の代わりに<実相世界>を見ることができるようになる。

 参照:知覚


審判/裁き/判断 [judgment]

智識のレベル: 
厳密に言えば、は裁かない。が創造するものは完璧であり、とひとつだからである。『奇跡講座』で言われる審判とは、神の子を、永遠にご自身とひとつの愛しいわが子として認識する、ということを反映するもの。

 知覚のレベル

間違った心の状態における意味: 人々を憎むべき者たちと“愛される”べき者たちに二分する有罪判決のことであり、常に過去に基づいて下される裁きのこと。

 正しい心の状態における意味: 人々を、<愛を表現している者たち>か、さもなければ<愛を求めて呼びかけている者たち>のどちらかとして捉える心眼{ヴィジョン}のことであり、聖霊により喚起される、常に現在に基づいた判断のこと。

 参照:最後の審判


真理-幻影/幻想 [truth-illusion]

どんなものでも、それは真か偽か、すなわち実相か幻想かのどちらかでしかない。私達はにより創造されたか、さもなければ自我に作り出されたかのどちらかであり、この点に妥協はない。この原則が、なぜ「奇跡に難しさの序列はない」のかということの理由を説明している。癒しや奇跡が生ずるために必要なのは、自我の幻想/幻影から聖霊の真理へと移行することだけだからである。


正義 [justice]

この世界の不正義を聖霊が訂正すること。神の子らは等しく愛され、等しく神聖であるという信念であり、分離に基づいた裁きを白紙に戻す。犠牲および「或る者の利益は他の者の損失」という信念の終わり。「救済の土台となる岩」と呼ばれる。


聖なる瞬間 [holy instant]

時間の外にある瞬間のことであり、私たちが罪悪感の代わりに赦しを、不平不満の代わりに奇跡を、自我の代わりに聖霊を選ぶことで訪れる瞬間のこと。現在に生きようという<わずかな意欲>の表われ。現在に生きることは、永遠へと開かれていくことであるのに対し、過去にしがみつき未来を恐れて生きることは、私たちを地獄につなぎ止めている。究極の<聖なる瞬間>、すなわち私たちが道すがら選んできた全ての<聖なる瞬間>の頂点として経験される<実相世界>のことも指す。


聖霊 [Holy Spirit]

三位一体第三位格であり、『奇跡講座』においては、比喩的に、分離に対する神の答と説明されている。の分離した子らの間の絆であり、キリストの心と私たちの分離した心の間の隔たりに架橋する。私たちが夢の中へと携えてきた神の子の記憶。私たちの幻想/幻影(知覚)を見た上で、私たちがそれを通り抜け、真理(智識)へと至ることができるよう導いてくれる存在および私たちの真の自己を代弁する神のための声であり、私たちが忘れてしまったアイデンティティーを私たちに思い出させる。架け橋慰め手導き手仲介者教師翻訳者とも呼ばれる。


世界 [world]

レベルI: 
分離を信じる自我の信念の結果であり、分離が自我の原因である。分離およびに対する攻撃の想念が形となったもの。この世界は、時間と空間を信じる信念の表現であるから、時空を完全に超越したが創造したものではない。具体的に<智識の世界>と言及されていない限りは、分離後の自我の領域である知覚の世界のことだけを指す。

 レベルII:

間違った心の状態における意味: 分離の牢獄であり、この牢獄が罪と罪悪感を信じる自我の信念を補強し、この世界が存在しているように見える状態を持続させる。

 正しい心の状態における意味: 私達が赦しのレッスンを学ぶための教室であり、私達がこの世界を超えられるよう助けるための聖霊の教育手段。従って、この世界の目的は、世界が存在していないことを私達に教えること。

 参照:実相世界


創造/被造物(単数形)* [creation]

第一原因であるの実存すなわち霊が延長されることによって、神の子という結果を生じさせた延長のこと。キリスト最初の降臨と称される。を創造することがの機能であるように、天国における神の子の機能は創造することである。

(注 — これは智識のレベルにおいてのみ存在するものであり、この知覚の世界で用いられている「創造」あるいは「創造性」などという言葉と同じ意味ではない。

 参照:被造物たち(複数形)

 [*英語のcreationは、創造するという行為だけでなく創造されたもののことも意味しており、『奇跡講座』においても同様に、創造という行為と被造物との両方に用いられている。ただし、注に説明されている通り、これらが何を真に意味しているかは、この世界においては理解不可能]


「想念はその源から離れない」 [“ideas leave not their source”]

原因と結果は決して分離できない、という原因と結果の法則が表現されたものであり、想念はそれを思考した心から離れ去ることはできない、ということ。

智識のレベルにおける意味: からのものは決してから分離することはできないので、神の想念の延長である神の子は一度もその源から離れ去ったことはない。

知覚のレベルにおける意味: この分離の世界は心の外側にあるように見えているが、実はその源である分離した心から一度も離れ去ったことはない。従って、物質的な世界というのは存在しておらず、分離の想念という幻想の投影が存在するだけである。

間違った心の状態における意味: 攻撃によって罪悪感を自分の心の外へと投影することは、罪悪感を抱いた心の中で更にその存在感を強めることになる。

正しい心の状態における意味: 聖霊の愛を、赦しを通して延長させ、他者の中に聖霊を見ることにより、私達の内なる聖霊の愛に満ちた臨在がよりはっきりと自覚されるようになる。

 


































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