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DVD「思考の逆転」

「・・この思考の逆転をもたらすために聖霊が用いる大いなる学びの補助手段が、赦しである。」
『奇跡講座』まえがき から

                                   

  

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用語解説 ま行~わ行

 

ま行

 


魔術 [magic]

問題を、その問題が存在していないところで解決しようとする試み。例えば、心の中にある問題を物理的な手段、すなわち「心を伴わない」手段によって解決しようとすること。すなわち、真の問題 — 分離の実在性を信じる信念 — を、から離しておこうとする自我の戦略。罪悪感を聖霊のもとに運ぶことによって私達の心の中でそれが取り消されるようにするのではなく、罪悪感を私達の心の外側の誰かの上に投影したり(攻撃)、私達の肉体の上に投影したり(病気)して、そこで訂正されるようにしようとすること。『祈りの歌』の中では<偽りの癒し>と呼ばれる。


間違った心の状態 [wrong-mindedness]

私達の分離し分裂した心の、自我 — 罪、罪悪感、恐れ、および攻撃の声 — を含んでいる部分のこと。私達は、<間違った心の状態>の代わりに<正しい心の状態>を選ぶようにと繰り返し求められる。<間違った心の状態>は、私達を分離の世界の中へと更に堅く閉じ込める。


目覚め [awakening]

『奇跡講座』は、分離のことを、<私たちが目覚める必要のある夢>であるとする。従って、救済は、私たち自身や兄弟たちの中に聖霊の声—目覚めるようにという呼びかけ—を聞くこと、すなわち、そのようにしてお互いとの一体性を受け入れ、始まりにおいて夢を生起させた分離を取り消すことから成る。


 

や行

 


闇(幻想/幻影)を光(真理)へと運ぶ [bringing darkness (illusions) to the light (truth)]

否認と解離を取り消すプロセスのこと。「自分の罪悪感を聖霊の光のもとに運び、そこでそれを直視して赦すことができるようにしよう。自分の心の無意識の闇の中という、決してそれを見ることも取り消すこともできないところで恐る恐るそれを持ち続けるようなことはすまい」という決断を表す。幻想/幻影の中で生きることは病と苦痛をもたらし、それらを真理へと運ぶことは癒しと救済をもたらす。


夢 [dream]

分離後の状態のことであり、その中で、神の子は、罪・罪悪感・恐れの世界の夢を見て、それが実相であり天国は夢だと信じている。夢を見る者となっている神の子は、世界という結果をもたらしている原因である。しかし、この原因と結果の関係は、この世界の中ではその逆のように見え、私たちがこの世界の結果であり、被害者であるように思える。時に、睡眠中に見る夢のことも指すが、それらと目がさめている時に見ている夢との間に真の違いは存在しない。どちらの夢も、幻想に過ぎない<知覚の世界>に属するものだからである。

 参照:幸福な夢


赦し [forgiveness]

聖霊またはイエスと共に、罪悪感も裁きも介入させずに、自分の特別性を直視すること。他者の上に投影していた罪悪感を全て取り去り、「敵」(特別な憎悪の場合)か、さもなければ「救済者 – 偶像」(特別な愛の場合)として彼を見ていた知覚を、兄弟を見る知覚へと変化させることであり、それが私たちの特別な機能。「分離を反映した見かけ上の差異を超えたところに視線を向け、<一なる子>の内に全ての人々が一つに結ばれているところを見る」という奇跡あるいは<キリストの心眼{ヴィジョン}>の表現。従って、罪を実在するものとして知覚することは、真の赦しを不可能にすること。「自分が書いた台本に対し責任があるのは自分であり、の平安を自分から奪えるのは自分だけであるから、私たちが自分に対し為されたと思っていたことは、自分で自分に対し行なったことだった」と認識すること。そうして、私達は他の人々が私達に対し為したことについて彼らを赦すのではなくて、彼らが本当は何も為さなかったがゆえに赦す。

 参照:自我を直視する





ら行

 


理性 [reason] 

正しい心の状態聖霊と一致する思考のことであって、聖霊の導きに従い、聖霊の赦しのレッスンを学ぶことを選択し、罪ではなく無罪性を見て、裁きの代わりに心眼{ヴィジョン}を選ぶ思考。

 (注 — 合理主義と混同しないこと。)

 


霊 [spirit]

私達の真の実相の本質が霊であり、霊はからのものであるから永遠不変のもの。肉体とは対照的なものであり、自我の具現化されたものである肉体は変化して死にゆくものである。神の心の中の想念、すなわち統一されたキリストのこと。


 

 

わ行

 


笑い声 [laughter]

『奇跡講座』は、自我や自我の世界を深刻に受け取らないように、と私達に要請する。なぜなら、深刻に受け取ることは、それらを私達の心の中で実在性のあるものにするからである。それよりも、私達に求められているのは、自我の思考体系やその結果のごとく見えるものなどに対して、優しい笑い声で向かい合うようにすることであり、ついには「小さな狂った考え」を一笑に付すということを思い出すことである。

 

































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