2月 022015
 
【質問】

私はコースを学び始めて15年ほどになりますし、知的理解のみならず
日々の生活での実践にも努めていますが、どうしても “自分が「個」である、
それ故に自分である「個」が消滅してしまう”という恐怖から逃れることが
できません。

レベル1に行かない限り、レベル2においては、”自分が「個」である、それ故に
自分である「個」が消滅してしまう”という恐怖から完全に解放されることは
ないのでしょうか。

K.H.

【回答】

 
JACIM本館に、FACIMの関連Q&Aを〔質問90〕として掲載しましたので、
ご覧ください。

ここでは、さらに、ご質問で言及されているレベル1とレベル2において、
この恐れがどのように位置づけられるかについて、付け加えます。

まず、レベル1というのは、「神のみが実在し、その他はすべて幻想である」と
いう絶対的な一元論の形而上学的な真理を述べているレベルです。

ですから、そのレベルで死に対する恐れについて描写する場合は、単に、
「死は存在しない」、「恐れは存在しない」と言うだけで終わってしまいます。

神のみが実在し、神と神の子の間に分離は存在せず、「個」というものも
存在しないので、それが消滅することにまつわる恐怖も幻想にすぎない、
ということになります。

けれども、自分が確かに恐怖を感じているときに、「それは存在しない」と
だけ言われても、私たちには何の役にも立ちません。

ですから、この恐怖から解放されるために必要なのは、「レベル1に行く」
ことではないのです。

レベル2に存在している私たちは、レベル2の中で、レベル2を使って、
この恐れから徐々に解放されていかなければなりません。

そして、そのための方法も、やはり、赦しなのです。

また、こうした死への恐れのような場合は、特に外界の何かによって
引き起こされなくても、常に自分の中で意識されるようになっているという
こともあると思います。そうした場合、これまでのQ&Aで何度か話題に
なった「赦しの3ステップ」を行うというよりも、第2ステップの中の
一側面にあたる「幻想を見る」というプロセス(内なる教師と共に、咎めずに
見ること)を重点的に続けて、その恐れにまつわる幾層もの抵抗に気づいて
いくということが必要なときもあります。というのも、「死への恐れ」自体が、
深いレベルでは、自我の選択を保護している防衛だからです。

幻想を直視しない限り、誰も幻想から逃れることはできない。見ないでいることにより、幻想が保護されているからである。(T-11.V.1:1)

そして、幻想を保護せずにじかに見つめること以外に、どのようにして幻想を一掃できるだろう。だから恐れてはならない。あなたがこれから見ることになるのは恐れの源であり、あなたが学び始めているのは、恐れは実在しないということだからである。(T-11.V.2:2-3)

この「幻想(自我)を見ること」は非常に重要なテーマですので、
テキストを読む際には充分に注意を払うことをお勧めします。

それから、最後にもう一つ、もしも、「15年も学んでいるのに、まだ
恐れが消えない」というふうに考えて、うまく学べていないのではないか
と心配しておられるなら、その心配はご無用です。これは、多くの人々が
抱く恐れですし、むしろ、コースを長年学んでいてこそ感じるようになる
ことがよくある恐れとも言えます。また、このコースの学びの道において、
15年というのは必ずしも「長い」とは言えません。(さらに、人によって
は、コースを学び始める前から死の恐れを感じていて、それを克服したい
からコースを学ぶというような人もいるかもしれませんし、長年かけて
少しずつ恐れを取り消していっているために、一度に激しい恐れを感じる
ことがないという人もいるかもしれません。いろいろなケースがあります。)

いずれにしても、分離を癒していく過程においては、最初に分離が起こった
時点/地点に近づくにつれて直面することになる「自分が消滅することに
対する恐怖」というものは、確かにありますし、また、これは、この
コースの道のみで出会う恐れというわけではなく、他の霊性の教えに
おいても、こうしたことについては様々な文献で語られています。

はじまりに近づくにつれて、あなたは自分の思考体系が破壊されるという恐れを、あたかもそれが死に対する恐れであるかのように、自分の身に感じる。死というものはないが、死を信じる信念は確かに存在している。(T-3.VII.6:10-11)

そして、「死への恐れ」を含むあらゆる幻想を取り消すことこそ、『奇跡講座』の
助けを借りて達成できることなのですから、それを信じて、焦ったり落胆したり
せずに、忍耐強く進んでいけば、必ず、何らかの進歩を自覚できるようになる
はずです。