2月 082016
 

FIPのアーカイブ資料の中から、『奇跡講座』の原稿の歴史についての記事を翻訳しました。

かなりの長文ですので、PDFファイルとしてもダウンロードできるようにしてあります。

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『奇跡講座』原稿の歴史

I. 序文

Ⅱ. 筆記プロセスの概略

Ⅲ.編集作業

Ⅳ.非公開の口述記録が公開されてしまった経緯

Ⅴ. ヘレンと『奇跡講座』: 形態と内容

VI. 結論

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ケネス・ワプニックPh.D.


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Ⅰ. 序文

詳しくはこれから論じることになりますが、『奇跡講座』の初期の原稿をめぐって生じている最近の状況により、ヘレン・シャックマンのノートから1976年の出版に至るまでのこのコースの歴史について説明することが必要になりました。本稿は、2007年にアトランタで行なわれたワークショップにおいて、一人の参加者からの質問に答える形で、直接この問題について取り上げた1つのセッションの記録を編集し、加筆したものです。

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これから述べることの多くは、すでに拙著『天国から離れて:ヘレン・シャックマンと「奇跡講座」誕生の物語』の中で論じられていますが、さらに本稿が、『奇跡講座』を学んでいる人々が、自分たちの読んでいる本 ― ヘレン自身が認定し、「内なる平安の財団」(FIP)により出版されたもの ― について抱くかもしれない質問に答え、誤解を訂正し、心配を和らげるための一助となるよう願っています。

Ⅱ . 筆記プロセスの概略

まず最初に、どのようにしてこのコースが書かれ、どのようにして、ヘレンが記録したものが最終的に私たちの手にしているような本となったか、その概略を簡単にお話しするところから始めたいと思います。尋ねられた質問に答えるプロセスも、そこから始まります。それらの質問のほとんどが誤った情報に基づいているからです。

1965 年10 月に、ヘレンが『奇跡講座』を記録し始めた時、彼女は自分が聞いたものを書き留めました。彼女の筆記についての誤解や俗説のうちの一つは、ヘレンが内なる声を聞いたのは、このときが最初だった、というものです。これは事実ではありません。彼女は、その夏の後半を通じてずっと、イエスの声を聞いていましたし、彼女の体験では、これがイエスだということは明らかでした。ここで付け加えておきますと、ヘレンは内なる声を聞いていたと言ってはいましたが、それはこうした類いの体験について述べるときの従来のやり方に倣ったからです。後年になって彼女が私に話したところによれば、その体験は、心の中で言葉を見て、自分が「見た」ものを書き留めたというほうが実状に近い、ということでした。

『奇跡講座』以前にヘレンが受け取っていた初期のメッセージは、その多くが、脳腫瘍で亡くなりかけていた近しい同僚を気遣う彼女を助けようとするものでした。その人はその後、亡くなりました。ヘレンはこれらのメッセージを速記で、専用のノートに書き留めました。彼女は大学院にいた時に速記を習い、自分なりの流儀を編み出していました。それは、主要な二つの速記法であるグレッグ式とピットマン式を部分的に混ぜ合わせたものでした。

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ヘレンとビルは、当時のとても忙しいスケジュールの中で時間を見つけては、前日に口述されたものをヘレンがビルに向かって読み上げ、ビルがそれをタイプ打ちする、ということを続けていました。後になって彼はよく冗談めかして言ったものです。ヘレンがとても神経質になっていたので、自分は一方の手をタイプライターの上に置き( これはコンピューターがない時代のことでした)、もう一方の手でヘレンを支えながらタイプ打ちしたものだ、と。ヘレンは筆記したものをビルに読み上げていると、時おり、言葉がつっかえ始めたり、声が出なくなったりすることもありました。彼女が普段はいつも流暢に話していたことを思えば、これは全く彼女らしくないことでした。

最初の数週間の筆記は、大雑把に言って、テキストの第4章や第5章までを含む内容でしたが、その口述は、後に行なわれたものよりもずっと個人的なものでした。それはあたかも、ヘレンとイエスが居間の長椅子に座って会話しているようなものでした。ヘレンが質問し、イエスが答えました。彼女の聞き間違いに対する訂正もありましたが、彼女とビルと私はそうした聞き間違いを、のちに、「筆記者による間違い」と呼ぶようになりました。

実際には、『奇跡講座』はイエスが次のように言うところから始まりました。「これは奇跡についてのコースである。ノートを取ってほしい。奇跡について、まず第一に覚えておくべき基本的なことは、奇跡には難しさの序列はないということである」。出版された本では、このようには始まっていません。筆記に入ってから少しして、ヘレンはイエスに、もっとよい導入部が必要だと文句を言いました。事実上、次のように言ったも同然でした。「本を書くときに、『奇跡には難しさの序列はない』なんて言葉で始めようとする人なんかいませんよ!」と。それで彼女は、いくつかのことを書き留め、それが後に現在の序文の形に落ち着いたのです。

たいていは、ヘレンが一つの奇跡の原理を書き留めたなら、そのあと、その原理についてたくさんの議論がなされました。その中には、先に述べたようなヘレンからの質問も含まれていました。中には、ビルが考えていた事柄で、イエスに尋ねてくれるようにとヘレンに頼んだものもありました。この時期に口述されたものの多くは、公開されるためのものでないことは明らかでした。それらが意図していたことは、明らかに、ヘレンを個人的に助けることや、ヘレンとビルの関係が改善されるように助けることでした。彼らの関係に問題があったことが、『奇跡講座』がやって来ることになったそもそものきっかけだったのです。口述の話題はまた、ヘレンの夫ルイとヘレンとの関係や、ビルの友人とビルとの関係(ビルは同性愛者であり、一度も結婚しませんでした)にも向けられていました。

口述内容はさらに、ヘレンとビルの二人が共に知っている心理学(基本的にはフロイト派の心理学)と、『奇跡講座』の中で提供されている心理学との間のギャップを彼らが埋める事ができるように助けようとしていました。『奇跡講座』の心理学はとても精神分析的ですが、その一方で、フロイトが教えていたことから大きくはみ出しています。自我の思考体系の概略や力動論においては軌を一にしていますが、多くの具体的な事柄においては異なっています。そういうわけで、フロイトについてや、ユングやランクといった他の心理学者について述べられている口述内容がありました。

エドガー・ケイシーについての考察もいくらかありましたが、それは、ビルは当時ケイシーにとても興味を持っていたからです。実際、ビルはヘレンに、ケイシーが書いたものをいくつか読むようにと、強く勧めました。さらに彼らは、ヴァージニア・ビーチにあるAssociation for Research and Enlightenment (A.R.E.) というケイシーにより設立された研究機関へと、二人で出かけたこともありました。エドガーはすでに亡くなっていましたが、ヘレンとビルは、エドガーの息子で、A.R.E. の指導者の職務を引き継いでいたヒュー・リン・ケイシーに会いました。
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最後に、その他の話題に混じって、性的な事柄や統計学や精神遅滞についての口述もありました。最後の二つは、ヘレンの主要な関心事でした。

いくつもの理由によって、これらの口述記録は出版された本には一つも収録されていません。まず最初に、その多くがヘレンとビルにとって個人的なものであり、『奇跡講座』の教えとは関係がなかったからです。おそらく、さらに重要な理由としては、ヘレンは、彼女の自我が関与しているときには、甚だしく不正確だった、ということがありました。

こうした初期の口述記録のうち、かなり多くのものが、ヘレンにより彩色されています。しかしながら、ヘレンは、彼女の自我が邪魔をしていないときには、信じられないほど正確でした。だからこそ、このコースの純粋な教えが、そのままに存在しているのです。たとえば、ウルテキストの中に見られるような性に関する事柄をイエスが話しているところなど、とても想像できません。それが忌まわしいものだったというわけではありませんが、明らかに、ヘレン自身の価値観と偏りを反映していたということです。このことに関しては、また後で取り上げます。フロイトに関する口述記録は、非常にフロイトの方に重きが置かれています。

ユングは、あまり良く書かれていません。ヘレンはユングが好きではありませんでしたし、ビルも同じでした。彼らはユングとその業績をそれほど知っているわけではなかったのですが、ユングが好きではありませんでした。ですから、フロイトとユングに関するこれらの論評を読むと、そこには顕著な偏りが含まれていることが明らかになります。

もう一つの重要なポイントは、ヘレンが書き留めたメッセージが世界の中の何か具体的なことと関係があった場合、それらのメッセージはしばしば間違っていたということです。

   ヘレンは、
自分が書き留めた言葉が
神聖なものだとは
思っていませんでした。
ビルもそう思っては
いませんでした。
・・・・・ ・・
何が神聖と扱われる
べきかについては、
本稿の最後の方で
考察します。
   

ヘレンとその筆記をめぐる俗説の一つは、ヘレンが聞いたものはどれもイエスから来たものに違いなく、それゆえに神聖なものと見なすべきである、というものです。これでは、聖書の中の一言一句を全く誤りのないものと見なす根本主義的キリスト教の立場と大差ありません。これ以上に『奇跡講座』についての真実からかけ離れているものはあり得ません。ヘレンは、自分が書き留めた言葉が神聖なものだとは思っていませんでしたし、ビルもそう思ってはいませんでした。(その点に関しては私も同じです。)何が神聖と扱われるべきかについては、本稿の最後の方で考察します。

いずれにしても、最初の二、三週間が過ぎた頃、ヘレンの経験は変化し始めました。口述は、会話ではなく、本質的に講義だけになりました。それはあたかも、イエスが教壇に立って講義していて、講義室にいる熱心な生徒ヘレンが、イエスが話したことをすべて書き留めているかのようでした。テキストを第4章か第5章あたりから先へ読み進むと、文体にはっきりとした違いがあることがわかります。より流暢になり、一貫性のない言葉遣いが減ります。語調もまた、ますます美しくなり、ヘレンのシェイクスピア好みを反映するようになります。第16章あたりから先は、ますます詩脚を含む文が増えていき、最後の二つの章は、すべて弱強五歩格の詩形になっています。最初、ヘレンはこのことを知らなかったのですが、しばらくするうちに、それらの言葉が明確なリズムに則ってやって来ていることに気づきました。レッスン99以降は、ワークブック全体が、どちらかというと散文的な指示の部分も含めて無韻詩とも呼ばれる弱強五歩格になっています。最後に、マニュアルの一部も無韻詩になっていて、後になって筆記された二つの小冊子(『精神療法』と『祈りの歌』)の一部もまた、同様です。言い換えれば、ヘレンの聞き取りが明瞭になるにつれて、語調も明瞭になり、美しくなっていったのです。

私が以前、最初の数週間の筆記について説明するために用いていた事例の一つは、次のようなものです。もしあなたが北米の北東部や中西部に住んでいて、休暇を取って家を留守にして水道を止めていたとします。帰宅して水道の栓を開けたら、水道管が古くなっているので、たいていはさびが出てきます。さびを出し切るまでしばらくの間は水を流さないといけません。そうすれば、水は再びきれいになります。ある意味では、ヘレンの聞き取りはそのようなものでした。ヘレンは、『奇跡講座』が彼女を通してやって来るのに先立って、一つの霊視映像を受け取っていました。その映像の中で、彼女は自分が砂浜で一艘のボートのそばにいるところを見ました。そして、そのボートを水に浮かべることが、彼女のしなければならないことでした。一人の見知らぬ人が彼女を助けにやって来ました。後になってヘレンは、その人はイエスだったとわかりました。後に彼女自身の言葉で「古ぼけた送受信装置」と描写されたものを、ボートの中に見つけたヘレンは、イエスに、「これが役に立つかもしれません」と言いました。しかしイエスは、「いや、あなたはまだそれを使う準備ができていない」と答えました。後に振り返って、ヘレンはこれを、『奇跡講座』への言及だと理解したのですが、その筆記はまだ始まっていませんでした。彼女自身が「古ぼけた送受信装置」だったというわけですが、航海の喩えを続けて言うなら、彼女の装備は、依然として海藻にからめとられていたということになります。

ヘレンは約3年(1965-1968 年)かけて「テキスト」を書き取りました。それから9 ヶ月後に、彼女は「ワークブック」を書き留め始め(1969 年)、「ワークブック」が完成して(1971 年)から数か月後に、「教師のためのマニュアル」がやって来て、1972 年9 月に完結しました。彼女が筆記を始めてからほぼ7年が過ぎていました。

 
 

Ⅲ . 編集作業

ヘレンとビルと私は、ビルが初めにタイプしたものを、「初めの」という意味のドイツ語「ur」に由来する「ウルテキスト」(Urtext: 原本) という言葉で呼んでいました。この言葉は、「最初の原稿」という意味で使われるようになっています。すべての言葉を正しく書き留めたかどうかを確認するために、ビルはヘレンに、自分がタイプしたものを復唱しました。時には、ノートに書かれていてもヘレンが読み上げない箇所がありましたが、彼女がのちに私に話したところによれば、それがそこに属していないことがわかっていたから、とのことでした。また時々、彼女はノートに書かれていないことを直接ビルに口述したこともあります。

私がこうしたことを述べているのは、ヘレンがすべての言葉が神聖だと考えていたわけではない、ということを強調したいからです。ヘレンにとっては、初期の口述記録の多くが個人的なものだということは明白でしたし、時々自分が邪魔をしていたということもはっきりわかっていました。もう一度言いますと、初期に書かれたものは、ぎこちなくて一貫性がありませんでした。その一例ですが、ヘレンは次のように書き留めたことがあります。「奇跡は鋼鉄のクモの巣である」。そのあとイエスは彼女に「そんなことを私は言っていない」と言い、それを訂正しました。最初のころは、筆記は日常会話的なものだったので、そうしたことがたくさんありました。

その後、ヘレンはテキストを二度清書し、その過程で、イエスの指示に従っていくらかの編集が行なわれました。彼女にとっては、それは夜にやることでしたし、ある意味で気晴らしのようなものでした。彼女は気を紛らわせることが好きでしたが、その傾向は、彼女が形態に注意を払い、内容を避けていたことにも見られました。実際、彼女はビルに次のように言ったものでした。「あなたはそれが何を言っているかに注意を払ってね。私はそれがどのように言っているかに注意を払うわ」と。彼女は、書き取られたものの詩的な性質に、いつも誇りを持っていました。

   彼女は、書き取られたものの詩的な性質に、いつも誇りを持っていました。

その当時は出版する考えはなかったにも関わらず、イエスは、ヘレンとビルの両方に非常にはっきりと、次のように言いました。何であれ個人的なことや具体的なことは、出版される本には収録されるべきではない、と。けれども、この筆記がヘレンとビルだけのためではない、ということは、ある時点から明白になりましたから、彼らは、実際の教えに属さない部分は、すべて取り除くようにと、明確に指示されました。それは賢明なことでした。というのは、そのほとんどが個人的なものであり、他の誰かが見ることは意図されていなかっただけでなく、ヘレンが百も承知だったように、彼女の自我がはっきりと介入していたからです。

ワークブックの方は、何の変更も必要としませんでした。ワークブックはかなりわかりやすいものでしたし、マニュアルも同様でした。その頃には、ヘレンの筆記は本調子となっていて、言ってみれば、筆記作業は彼女を通して流れるように行なわれていたからです。

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すでに述べたように、ヘレンとビルは、ヒュー・リン・ケイシーと親しくなっていました。ヒュー・リンは典型的な南部地方の紳士でしたし、明らかに自分の父親の業績に献身していました。彼は、ヘレンが為したことを大きく支援していましたし、ヘレンから感銘を受けていました。このことに関連して、ちょっと微笑ましい話があります。二回目か三回目に、ヘレンとビルが彼に会うためにヴァージニア・ビーチを訪問した時だったと思いますが、ヘレンがその時までに書き留めたものをいくつか彼に見せました。そして彼は感銘を受け、彼の父親がそれと何らかの関係があると信じました。ヘレンの初期の筆記に見られる文体的特異性の一つは、明らかにケイシー的な表現を含んでいて、エドガー・ケイシーの語り口と似ていたという点です。

『奇跡講座』が読みにくいと思われる人は、試しにケイシーのものを読んでみれば、このコースはまだましだとわかるはずです。ケイシーの文書資料にはたくさんの古風な表現が用いられていますし、ヘレンは、ケイシーの著作をいくつか読んでいたので、彼から影響を受けていました。ですから、テキストの初めのほうにはその影響が見られますが、それはすぐになくなっていきます。

それで、その訪問のとき、ヒュー・リンのオフィスを後にしようとしていたヘレンがそわそわと落ち着きがなく不安げな様子だったので、ヒュー・リンは彼女に次のように言ったのです。「あなたは間違いなく非常に進歩した魂だと思いますが、とてもそのようには見えませんね」と。これはヘレンがまとっていた「衣装」の一部でした。ヘレンが「非常に進歩した魂」のように見えなかったことは確かですが、彼女には、はっきりと威厳を感じさせる雰囲気がありましたし、それは彼女を知っている誰にとっても疑いようのないことでした。しかし彼女は典型的な神経症患者、それも恐怖症で心配性の人のように振舞いましたし、何に対してもすぐに批判的になりました。しかも、それは、この高尚な作品が、彼女を通してもたらされていたのと同時期のことなのです。

清書するプロセスの初めの頃に、イエスはヘレンに、「編集についての決定はビルに任せなさい」と言いました。その頃、ビルはこのコースに関しておおむね良識をもっていましたが、ヘレンはそうではありませんでした。彼女だったら、自分が読んで「正しい」と感じられるもの以外はすべて取り去っていたことでしょう。この指示は、ヘレンがひどく不安に感じていた最初の原稿についてのものでした。そこに収録されるべきではない初期のメッセージを取り去ることに関して、ヘレンは明晰に判断することができそうもなかったが、ビルの方は明晰だった、ということです。ただしこのことは、もちろん、ビルがすべての編集を行うべきだということを意味していたわけではありません。編集作業は彼の得意とするところではありませんでした。彼ら二人のチームにおいては、ヘレンが編集者でした。ビルには、編集作業に要する忍耐力がなかったのです。実際、ヘレンとビルは数多くの専門的な論文を発表しましたが、彼らが論文を書くときにはビルが大まかな草稿を書きました。そのあとヘレンがそれを辛辣に批評し、編集し、またさらに編集し直しました。これは、すでに気難しいものだった彼らの関係におけるさらなる緊張の源でした。彼らは四六時中、議論することになったからです。

ヘレンは実際、頑固な編集者でした。そのことに関して、面白い話があります。ある時、私には友人と昼食の約束があり、ヘレンはそのことを知っていました。私がオフィスを出ようとした時、ヘレンは電話中だったので、私は彼女に、もう出かけると知らせるための非常に短いメモを書きました。すると彼女は、少しも会話を中断することなく、鉛筆を取り出して、そのメモを編集し始めたのです!

『奇跡講座』については、ヘレンは、編集にかかわる決定は決して自分では下しませんでした。これが自分の本ではないということが、彼女にははっきりとわかっていたのです。彼女は、自分のものではないとわかっている内容に関しては責任がないが形態の方だけには責任を持つ、と宣言してはいましたが、イエスが祝福していないと感じられるようなことは、このコースに対して何もしませんでした。何を残し、何を取り去るべきかに関するビルからの意見についても、同じ原則が適用されました。編集が進むにつれて、テキストは最初、4巻の論文用のバインダーに収納されました。ヘレンが人々に見せてもいいと思ったのは第4巻だけでしたが、それはそのあたりの文面がとても美しかったからです。

ヘレンとビルは、ヒュー・リン・ケイシーのために、一冊のテキストを(そしてのちにはワークブックとマニュアルも)用意しました。私たち(ヘレンとビルと私)はそれを、以前の原稿と区別するために、ヒュー・リン・ケイシー版と呼ぶようになりました。ですから、このバージョンには、ヒュー・リンの支援に対する感謝の気持ちを表明した脚注が付加されています。礼儀正しく誠実な一冊ではありましたが、それは明らかに、ヒュー・リン・ケイシーのためだけに用意されたものでした。また、このバージョンの中には、初期の古風な表現も残されていて、そこでは、「聖霊」が、「霊的な目」と呼ばれていました。それは単に、ヘレンが「聖霊」という言葉について神経質になっていたからです。ですから彼女は、婉曲表現として「霊的な目」を使いました。これはたしか、ケイシーが使っていた言葉だと思います。この言葉は、初めの方のセクションで使われただけで、その後はなくなりましたが、ヒュー・リン版用には残されていました。そうしてヘレンはその言葉を「聖霊」に置き換えることにしました。

私は、1972 年の晩秋にヘレンとビルに会いました。その時の私は、旅行の最中で、中東へ行く途上にありました。1973 年5 月に帰ってきたとき、私は初めて『奇跡講座』を目にしました。そして私が見たのはこのヒュー・リン・ケイシー版でした。私はそれを二回通読しました。読んだのは、テキスト、ワークブック、そして教師のマニュアルです。1973 年の秋、二度目の通読の後に、私はヘレンとビルに、いくつもの理由により、この原稿はもう一度編集される必要があると思う、と言いました。
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大文字の使用に関しては呆れるほどに一貫性を欠いていました。ヘレンは、ごくわずかな例外を別にして(これらの例外についてはいずれ言及します)、大文字の使用〔訳注1〕、句読点、段落の区切り、見出しなどについては、イエスから任されていると感じていました。なぜなら、テキストは、タイトルも区切りもなしに、つまり、セクションや章や段落がないままに、口述されていたからです。ヘレンは、それは自分の仕事であり、事実上、イエスが気にかけているのはメッセージそのものだけで、コンマやセミコロンや段落などは気にしていないと感じていました。ですからヘレンは、大文字にしたり、句読点を打ったり、段落に分けたりしましたし、ビルとともに、セクションや章の題名を付けることもしました。

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〔訳注1〕:邦訳版『奇跡講座』においては、原書で頭文字が大文字となっている単語は、太字となっている。

一つだけ顕著な例外は、「神の子」という言葉には常に大文字を用いるというイエスのこだわりでしたが、これは、伝統的なキリスト教における使い方とこのコースにおける使い方とを区別するためでした。伝統的なキリスト教では、この言葉はイエスだけを表すために確保されていて、常に大文字が使われています。イエスはそれと同じ大文字の言葉を、イエスだけではなく全ての人を意味するものへと拡大した上で、このコース全体を通して使うことを望みました。「贖罪」という言葉もまた、自我の贖罪と区別するため、大文字が使われる必要が〔訳注2〕ありました。

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〔訳注2〕:邦訳版『奇跡講座』においては、太字の単語を使いすぎると読みにくくなり、不自然だという理由で、原文では頭文字が大文字でも、訳文では太字になっていない単語もある。「贖罪」もその一つである。

こうしたごくわずかな例外はありましたが、形態のレベルのことは全面的にヘレンに任されました。だから、私がその原稿を読んだとき、ヘレンに特有の傾向が修正される必要があると感じたのであり、ヘレンもビルも同意してくれたというわけです。これらのことに関して、もう少しだけ簡単にお話ししましょう。ヘレンには、いかにわずかであっても神や天国に関連した言葉は、全て、大文字にするという時期がありました。それからヘレンは、コンマに関して、いわば二重の哲学を持っていました。それに加えて彼女は、コロンが使われるべきところでセミコロンを使うという、古風なイギリス式のやり方を採用していました。セクションと章の題名もまた、なにやら奇妙でした。ヘレンはしばしば、セクションの題名をその最初の段落に基づいたものにしていたため、多くのタイトルがあまりしっくりきませんでしたし、いくつかのセクションの区切りも気まぐれなものに見えました。段落分けも、非常に一貫性を欠いたものでしたが、私は後になってその理由を発見しました。ヘレンには、すべての段落が9行からなるものでなければならない、と考えていた時期があったのです。彼女はまた、「that」と「which」という単語の使い方についても二重の哲学を持っていて、そのどちらにするかを決めることができませんでした。時々は「which」となり、別の時は「that」になり、私はしばしば、編集作業をもとに戻して、「that」を「which」に変更したり、逆に「which」を「that」に変更したりしなければなりませんでした。句読点に関しても同じでした。ヘレンはしばしば、コンマについて心変わりしたので、私もそれに従って、原稿の前の方に戻って、必要とされる調整を行う、という具合でした。

このあたりで重視すべきことは、ヘレンはこのコースに関してひどくいい加減なところがあった、ということです。もちろん、その意味や語彙については決してそのようなことはなかったのですが、その形態は彼女にとって聖域にあたるものというわけではなかったのです。実際、私たちの誰も、このコースが神聖な経典だとか、そのすべての言葉が文字通り「神の言葉」であるなどとは思っていませんでした。ヘレンは、『奇跡講座』が何を言っているかわかっていましたし、それがどのように語られるべきかもわかっていました。彼女は、このコースの形態をいじくり回したとはいえ、決してその点においてぶれることはありませんでした。

そこには収録されるべきではないメッセージも幾つかありました。それらは、教えという点で何の違いももたらさないメッセージで、初期の頃のやりとりの名残のように思えました。たとえば、そこにはうまく納まらないフロイトについての考察がありましたが、それはどこからともなく現れたもので、口述記録の他の部分とは調和していないものでした。

 
ビルは洒落の
達人でした。

 

また、口述筆記の中には、大変な数の洒落や言葉遊びがありました。そのいくつかは今でも残っていますが、当初の数に比べればわずかなものです。ビルは洒落の達人でした。私は、彼ほど素早く上手に洒落を言う人を見たことがありません。ですから、ビルをもっとくつろがせるために意図されたと思われるたくさんの洒落や言葉遊びがありました。それらのうちいくつかはひどくできの悪いものだったので、削除されました。
その一例を挙げます。イエスは、自我が作り出すどんなものも、<正しい心>の思考へと再解釈することが可能だと説明していました。それでイエスは、よく知られているフロイト派の防衛機制のいくつかを取り上げ、それらに霊的な解釈を与えました。それはこのコースの中に保持するには、少々わざとらしいものに思えました。その一つは「固着〔fixation〕」という言葉に関連したもので、「私たちは神聖なものに固着〔fixate〕するべきである」というものでした。そして「昇華〔sublimation〕」という言葉については、「私たちは崇高なもの〔the sublime〕に向かっていくべきである」というものです。ですから、これらは取り除かれました。

ビルは、奇跡の原理は50個であるべきだという考えにこだわっていました。彼は切りのいい数が好きだったのです。これらの原理は、初めにやって来た時には43個ありました。そしてヘレンがタイプし直しているうちに、それが53個になりました。前にも述べた通り、元の原稿では、一つの奇跡の原理が与えられたら、その後には長い議論が続き、それから次の原理がやってきました。それはすべて、とてもくだけた日常会話的なものでした。ヘレンとビルが、のちにはヘレンと私が、いくつかの変更をしました。(ヘレンと私による変更については、後でお話しします。)私たちは、奇跡の原理から、議論の部分を抜き出し、それを同じ章の別のセクションに移行させました。
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ビルが50個にしたがったことと、そのようにしたところで内容は全く変わらないとわかっていたことにより、ヘレンと私は単純に、前と同じやり方を踏襲しました。つまり、三つの原理を取り除き、それらを、その章の別のセクションに組み込みました。私たちがしたのはこうしたことであり、ヘレンは、イエスに異存がないかどうかを確かめないままで、最終的な決断を下すことは決してしませんでした。

こうした編集上の問題点について話し合った後、ヘレンもビルも、この原稿は本当にもう一度、一言一句検討されるべきだ、ということで、意見が一致しました。すでに述べたように、ビルはこの種の仕事に必要な忍耐を欠いていました。こうした編集作業は長い期間を要しますが、彼が、ヘレンと共にそこまで集中した時間を、長期に渡り維持することはできないだろうと思われました。それに、ヘレンと私は一緒にいても、とてもくつろいでいられたので、私たちにはこの特別な任務は少しも難しくないだろうということがわかっていました。ですから、ヘレンと私が原稿全体を、一語一語、丁寧に検討する、ということで全員の意見が一致しました。この作業は一年以上かかりましたが、その時間のほとんどはテキストに費やされました。ワークブックとマニュアルは、事実上ほとんど編集を必要としませんでした。

私たちは、最初の4つの章に途方もない時間を費やしました。この編集作業を私が事実上単独で行なったか、あるいは私がヘレンの決定に影響を与えた、といったことが噂されてきたということは、私も承知しています。けれども、ヘレンを知っている人なら誰でも、そのような考えがいかにばかげているかを、はっきりと認識するはずです。イエスを含めて誰一人、ヘレンに、本人がしたくないことをさせることなどできたためしがありません。私がヘレンに対して影響力を持つことができたなどと考えることは、この上なくおかしなことです。実際、私たちはとても親密でしたし、彼女は私に敬意を払ってくれました。私は彼女の霊的な息子のようなものでした。けれども、それゆえに私の述べたことが絶対的に正しいことだと見なされるといったことは、あり得ないことでした。私の意見が是認されるのは、唯一、彼女自身がそれが真実だと信じ、そのことについてイエスに確認した後のことでした。

削除された個人的なメッセージについて、もう一つの事例を挙げましょう。特にビルのために与えられた「真の機能回復〔リハビリテーション〕」と呼ばれたセクションがあります。それはビルが、プリンストン大学で行なわれたリハビリテーションに関する会議に参加する準備をしていたときに、ビル自身が抱いていた身体的な不安に関して、ビルの助けになるようにと与えられたものです。そのメッセージはビル個人に宛てられたものでしたが、ヘレンと私が編集していたヒュー・リン版には残されていました。私たちは皆、それは出版される『奇跡講座』には収録されるべきではない、ということで意見が一致していました。(ただし私はそれを『天国から離れて』の中で紹介しました。)しかしながら、そのメッセージの締めくくりの部分はとても美しい祈りを含んでいて、それはこのコースにまさにふさわしいものでした。私は、ヘレンとビルから、それが納まるべき場所を見つけるよう頼まれました。そうして、第2章の「奇跡を行う者たちの特別の原則」が、それに完璧にふさわしい場所と思えたので、それは今はそこにあります。

私たちの間では、それは「救済のための祈り」と呼ばれていました。「私は、真に助けとなるためだけにここに居る」という言葉から始まる一節です。他にも、三つのセクション、あるいはセクションの一部で、もともとは、ヘレンや、ヘレンとビルのための個人的なメッセージとして始まりましたが、このコースの教えの流れに完璧に適合していたものがあります。「真の共感(第16章)」、「私は何をする必要もない(第18章)」、「道の分岐点(第22章)」です。また、第4章には「正しい教え方と正しい学び方」というセクションがありますが、これはもともと、ビルのためのものでした。彼は、コロンビア大学心理学科の学部課程で教えなければならないということについて、ひどく恐れていました。そこでも個人的な口述記録は取り除かれ(ただしこれらについても、私は拙著の中でその多くを引用しています)、より一般的な教えが残されています。

ついに、ある日、ヘレンは
私に、この断片は詩では
なく、口述されたものの
一部だったと打ち明け、
その断片のもとの場所を
探し出すようにと言った
のです。

興味深い経過で付け加えられた箇所もあります。ヘレンと過ごす時間に、私が主に関心を向けていたのは、彼女の詩作でした。私の「任務」はヘレンが小さな紙片に書き留めた詩の断片を拾い集めておくことでした。私がこれらをとっておくことができた場合は、後からヘレンが詩の残りの部分を生み出すことができました。このやり方はいつも成功をおさめました。
ただし、一つだけヘレンがどうすることもできなかった断片がありました。ついに、ある日、ヘレンは私に、この断片は詩ではなく、口述されたものの一部だったと打ち明け、その断片のもとの場所を探し出すようにと言ったのです。その無韻詩は、「死は平安であると考える危険性がある」という一行から始まっているもので、最終的にはテキスト第27章の中にぴったりと納まりました。

以上の事例はすべて、『天国から離れて』の中でもっと詳細に説明されています。

これらは、『奇跡講座』の筆記が一般に思われているよりももっとくだけたものだった、という点を例証しています。

私たちが編集した原稿のページの中に、ヘレンの書き込みを見ることができます。それらは私が今も保管しているものです。そこには、私の書き込みもあります。そこでは、彼女の指示に従って、いくらか書き直していたり、彼女に、見直しを提案したりしています。ヘレンと私は、一日を通してできる限り頻繁に、原稿を読み直しました。ヘレンは時々、「私はこの言葉を変更してしまったけれど、本当はこうなっているべきなの」と言い、私たちは彼女が最初に聞いた通りの形に戻したものです。変更された箇所はすべて、私が家に持ち帰り、タイプライターで清書し、翌日、ヘレンにそのコピーを見せて、もう一度、二人でそれを点検しました。繰り返しますと、最初の4つの章の編集には途方もない労力がかかり、私はヘレンに言ったものです。「ちょっとイエスに頼んで、これをもう一度口述してもらったらどうですか? そうすれば、私たち二人とも、かなりの時間を節約できますから。」これに対する彼女からのあまり繊細ではない返事は、ここでは繰り返さないことにします。

こうして、行なわれた変更は、まずは文体を整えるためのものでした。ヘレンの言葉を使えば、文面が「格好が悪かった」から、つまりぎこちなかったからということです。彼女は文面を明確なものにしたいと望んでいました。最初の頃、自分の聞き取りがそれほど明晰ではなかったことがわかっていたからです。私たちは、ビルが要請していた変更も行ないました。奇跡の諸原理に関するメッセージを取り出し、すでに述べたようなやり方で、きっちり50項目になるように区切りました。

ですから、私たちは、意味は保持しました。そして変更はそれをもっと読みやすくしただけです。最初に書き取られたものがそのまま、出版される本の中に収録されることが想定されていたわけではないのです。ヘレンの聞き取りは、最初は混濁していましたし、彼女の相当量の不安が、彼女が聞き取ったものに影響を与えていました。『奇跡講座』を学ぶ人々は、これらは文字通りイエスの言葉というわけではない、ということを明確に理解しておかなければなりません。「意味」はイエスのものですが、実際の言葉はそうではありません。前に述べたように、ヘレン(そしてビル)への、いくつかのより具体的なメッセージには、ヘレンの自我が介入していました。

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編集が完了したとき、私たちはそれをタイプし直しました。ずっと後になって私が改めてヘレンのノートとウルテキストを見たとき、私が読んでいたもののうちいくつかが、出版されたテキストの中にはない、ということに気がつきましたが、それらは口述筆記の後半に口述されていたものなので、明らかにそこに含まれるべきものでした。これは明らかに、ヘレンが何度もタイプし直した結果として生じたことでした。たとえば、ヘレンがテキストをタイプし直していたとき、一枚のページがもう一枚のページに貼りついて
いました。その結果、彼女がタイプ打ちしていたとき、全く目にはいらなかった三つの段落があったのです。そのため、その部分は、そのバージョンにも、その後のバージョンにも含まれないままとなってしまいました。これらの段落には、すでにこのコースの中にあったものと意味の上で異なっているものは何もありませんでしたが、明らかにこのコースの中に含まれているべきものでした。私はまた、不注意で脱落していた文章にも気がつきました。書かれた原稿が何度もタイプされ直す時には、ミスが起こるものです。とりわけ、清書されたものが十分に校正されていない場合はそうしたことが起こりますが、このコースの場合もそれに該当しました。

その後、私たちは、ニューヨーク州の私たちの財団において、ちゃんとした校正作業を行ないました。最終的にすべてが必ず正しいものとなるように、何人かの人たちがウルテキストと照合しながらその作業を行ないました。私たちは、いくつかの言葉や文章や段落が脱落しているのを発見しました。大部分はテキストの中でしたが、教師のマニュアルから抜け落ちていたものも一つ見つかりました。

ちなみに、第二刷が発行される時には、正誤表と、追加されたそのリストをまとめた小冊子を作り、財団から無料で入手できるようにしました。ほかにもいくつかの小規模な訂正や変更がありました。『奇跡講座』は元々はヘレンとビルのために書かれたものでしたから、イエスはしばしば、「あなたとあなた方の双方」と言いながら、ヘレンとビルに語りかけていました。しかしながら、このコースは、ただ一人の人に読まれることを意図しています。それは、無数の関係性の中にいる一人の人であり、私たち一人一人のことです。それゆえ「あなたとあなた方の双方」という言葉は、「あなたとあなたの兄弟」となりました。この変更は簡単でした。というのも、その変更は、常にヘレンの関心事であった韻律を乱さなかったからです。それでも、私たちは編集中にそのいくつかを見落としました。

「内なる平安のための財団」(FIP)と「『奇跡講座』のための財団」(FACIM)は、1990 年代の初めに、『奇跡講座』の第二版を出版することを決定しましたが、それにより、私たちは、抜け落ちていた箇所の全てを復帰させる機会を与えられました。これはまた、文番号システムを導入する機会にもなりました。それは、当時私たちが製作に取り組んでいた用語索引にとって、必要なシステムでしたし、また、出来上がりつつあった様々な言語への翻訳において、聖書に見られるような共通の引用表記法を提供するためにも、必要とされていました。たとえば聖書においては、本の仕様やページ数や言語の違いにかかわらず、世界中の誰もが、John 5:16 を見つけることができます。人々は、(その表記に従って)簡単に、ヨハネによる福音書の第5章に行き、16番目の節を見つけます。この新しい文番号システムがあれば、世界中の『奇跡講座』を学ぶ人々が、それと同じことができるというわけです。

 
 

Ⅳ . 非公開の口述記録が
公開されてしまった経緯

ヘレンとビルは、私が決して彼らの信頼を裏切らないということがわかっていたので、私たちがアーカイブと呼んでいたもの − ノートやその後にタイプされたもののすべて − の管理を、私に任せました。ヘレンは頻繁にものを置き忘れたり失くしたりしましたし、ビルはそれほどまめではなかったからです。そうして私が、それらの文書の保管役になり、今でもこれらの資料は私の所有下にあります。

すでに述べた通り、私がここで話していることの多くは、拙著『天国から離れて: ヘレン・シャックマンと『奇跡講座』誕生の物語』の中にあります。私はそこに、ウルテキストの口述内容のうち、筆記に関するヘレンとビルの体験を理解するために適切なものは、大部分収録しました。私は、自分がこの口述記録から引用していたので、それを著作権で保護するべきだと思ったのですが、のちに判明したことからすると、どうやらそれは間違いだったようです。実際、私の賢明な妻グロリアは、そんなことをしないようにと私に警告していました。著作権のために準備するのは非常に大変な仕事でした。FACIM のスタッフは、全ての口述記録のコピーをとり、ワシントンD.C. にある米国議会図書館の著作権局に送りました。米国議会図書館以上に安全な場所があるだろうか、と私は考えたのです。

私はそこに、
ウルテキストの
口述内容のうち、
筆記に関する
ヘレンとビルの
体験を理解
するために
適切なものは、
大部分
収録しました。

私は、ヒュー・リン・ケイシー版のコピーを持っていましたが、前にも述べたように、その原本は、ヘレンとビルがヒュー・リン・ケイシーに贈呈したものであり、最終的には、ヴァージニア・ビーチにあるA.R.E. 本部の図書室の稀覯本の部門に収蔵されました。ちなみに、ヒュー・リン・ケイシー版というのは、実質的にはテキストのみです。何年も後になって、私がA.R.E. でいくつかの講義をしたとき、ヒュー・リンの息子であり、エドガー・ケイシーの孫にあたる、チャールズ・トマス・ケイシーが、グロリアと私を鍵のかかった部屋に案内し、何年も前に彼のお父さんに贈られていた原稿を見せてくれました。

周知の通り、ウィスコンシン州のエンデバー・アカデミーによる著作権侵害に関する裁判事件がありました。訴訟を起こしたのは、『 奇跡講座』 版元である FIPと、その姉妹組織であり、『奇跡講座』の著作権保持者であるFACIM です。〔訳注3〕 ここはその詳細を論じるべき場ではありませんので、彼らはこのコースに関して不適切なことをしていたということ、そして、私たちはそうしたことをやめさせようとした、ということのみ述べておきます。

————–
〔訳注3〕:『奇跡講座』の著作権は2014 年にはFIP に戻されている。

訴訟の一環として、私はエンデバーの弁護士によって証言させられましたが、その弁護士は、私に色々と尋問する中で、原稿のことについて尋ねてきました。私は、ヘレンと私が編集したヒュー・リン・ケイシー版がA.R.E. の図書室にあることに言及しました。この情報を武器にして、その後、誰かが、A.R.E. から原稿を非合法に持ち出し、そのコピーを取った後で図書室に返却しました。それは後になって、『イエスの奇跡講座』という名前で出版されました。彼らの主張は、私がイエスのコースを変更した人間であり、正真正銘の『奇跡講座』は「ビルが」編集したヒュー・リン・ケイシー版だというものでした。ですから私は、『奇跡講座』の教義について自分の勝手な考えを持ってやってきて、ヘレンを説得してこのコースを変更させた成り上がり者と見なされたわけです。このようなことを考える人がいるとは、理解に苦しみます。なぜならば、意味の点では何も変更されていませんし、すでに述べたように、ほとんどすべての変更は、テキストの初めの方で為されたからです。いずれにしても、彼らの主張は、FIP が出版した『奇跡講座』は真の『奇跡講座』ではない、というものでした。

そして、私が決してあり得ないと思っていたようなことが起こりました。偽りの口実のもと、筆記ノートとウルテキストが米国議会図書館から持ち去られ、コピーされたのです。連邦法違反です。私たちは図書館の法的権威者たちに相談しましたし、彼らは激怒していました。しかしながら、明らかに、この事件は彼らにとっては非常に些細な事柄でした。米国議会図書館は司法省の下にあり、司法省には、非常に小さな集団の中にいる者たちにしか重要性のない原稿を誰かが持ち去ったなどということよりも、他にもっと対処すべきことがありました。ですから、それについては全く何もなされなかったのです。私たちは図書館の職員から、こうしたことは二度と起こらないようにすると保証されました。しかしもちろん、私たちの状況においては、それは何の役にも立ちませんでした。不法に入手した口述記録(すなわち筆記ノート、ウルテキスト、ヒュー・リン・ケイシー版)を今や所持するようになった人々は、それらをスキャンし、あるいはタイプし直して、インターネットで閲覧可能なものや、どこかで購入可能なものにしてしまったのです。

さて、以上が、これらすべての口述記録が流出した経緯です。その裁判事件は2003 年に結審し、著作権は無効であると宣言されました。しかしながら、第二版で加えられた付加的な口述記録である『奇跡講座』の「まえがき」と、「用語の解説」、そして「精神療法」と「祈りの歌」という二つの小冊子には、「著作権無効」の宣言は適用されませんでした。それだけでなく、FACIM は今でも、筆記ノート、ウルテキスト、ヒュー・リン・ケイシー版の著作権を保有しています。

こうした裁判の結果、今では、あなたがアマゾン・コムに行き、『奇跡講座』を検索すると、もしあなたがこの背景を知らなければ、『奇跡講座』の原作として販売されているエンデバーやそのほかのバージョンを選ぶということもあるかもしれないという状況になっています〔訳注4〕。エンデバーのグループは、このコースにマタイの福音書も加えています。彼らはずっと、このコースと聖書は同じだと主張してきたからです。ですから、エンデバーのバージョンにおいては、あなたは全く、真のコースを得られませんし、ウルテキストやヒュー・リン・ケイシー版においてすら得られません。このほかにも、少なくとも二つのバージョンが販売されています。そういうわけで、今では人々は『奇跡講座』に関してやりたい放題なことができるようになってしまっているのです。

————–
〔訳注4〕ここでは、米国内のネット書店アマゾンと『奇跡講座』の原書A Course in Miracles
についての話をしている。米国以外の国々では国際的な著作権条約が適用されるので、事情が異なる

 
 

Ⅴ . ヘレンと『奇跡講座』: 形態と内容

これらの初期の原稿が人目にさらされたことについて考察するにあたり、最も重要なことは、どのバージョンをあなたが読んでいるかに関わりなく、あなたはこのコースの本質的な教えは受け取ることができるということです。この意味では、何ら真の損害は起きていません。

しかしながら、別の意味では、この状況は残念なことです。人々は間違ったほうに導かれかねませんし、現時点ではそのことについて何もすることができません。言うなれば、馬は馬小屋から逃げ出してしまったのであり、パンドラの箱が開かれ、二度と閉じることはできません。ただし、好奇心の旺盛な人々が読むことになりそうなものについて、説明しておくことだけはできそうです。いくつかの事例についてお話ししましょう。

ウルテキストの中には、性や性的な事柄についての記述があり、これは、(わいせつな興味とまではいかないにせよ)人々の好奇心を間違いなくそそる領域です。ですから読者は、例えば次のような文言を読むことになります。「同性愛は本質的に病理である」(=伝統的な精神分析の観点)とか、「性の唯一の目的は生殖である」といったものです。これらは、このコースにおけるイエス自身の教えとは正反対の二つの立場です。イエスは、このコースの中で、幻想には順位があるという自我の混沌の法則(T-23.II.2) 第1 条を訂正するものとして、「自我の世界のすべての形態を同じものと見る」ということを教えています。ですから、そのような文言が、イエスの言葉や考えであると信じることは、何が『奇跡講座』に収録されるべきもので、何がそうではないか、ということに関して、私がヘレンの心を動かすことができたと信じるのと同じぐらい、本末転倒で思いもよらないことです。これらの信念はイエスではなくヘレンのものだ、ということが明白なはずです。ヘレンは性について彼女自身の偏見を持っていましたし、残念なことに、それがこれらの初期の文言に混入しました。

しかし、ウルテキストの中のあらゆる言葉が神聖でありイエスの言葉である、と信じている人々は、このような記述を、自分たちが予め信じたい考えを裏付けるために用いるかもしれません。これらに比べれば、情動性は小さいかもしれませんが、エドガー・ケイシーや、フロイトや、他の心理学者(すでに言及したように、ヘレンはユングが好きではありませんでした)などに関する記述についても、同様のことが言えます。

話は脇に逸れますが、少しだけ、イエス、筆記、そして筆記とヘレンの関係についてもお話しすることが役立つかもしれません。これは私の著作やCD の中で、もっと詳しく論じられています。そもそも、イエスは言葉を話したのではありません。このことを理解するのは本当に重要です。

そもそも、イエスは
言葉を話したのではありません

私が思い出すのは、私たちがある空港にいたときのことです。私たちの講演を聞いた一人のとても誠実な女性がヘレンのところにやって来て、「イエスはどうやって『奇跡講座』を口述することができたのですか? 彼は英語を知らなかったのでしょう?」と尋ねてきたのです。私は、この素朴な疑問に対するヘレンの返事自体は覚えていませんが、ヘレンが親切な態度で短い答えを与えていたことだけは覚えています。 (私たちは飛行機に乗らなければならなくて、あまり時間がありませんでした)。けれども、その質問は一つの重要な点を反映しています。繰り返しますが、イエスは言葉で話していないのです。ここでそれを別の言い方で、簡潔に言うなら、彼に属するものは内容であり、私たちの心(および頭脳)はその形態を提供します。ですから、ヘレンの決断の主体である心は、誰の中にもある非自我的な存在と同一化しました。そして、私たちの多くにとってもそうであるように、ヘレンにとって、この裁くことのない愛の思考体系を象徴していたのが、イエスだったのです。彼女の心は、あの非具体的な愛を受け取り、それを言葉に翻訳しました。それは、私たちの頭脳が、網膜上に投じられた倒立像を、正しい方を上にした知覚へと翻訳するのと、ほぼ同じようなやり方です。ですから、何度も述べた通り、このコースの形態はヘレンから来ています。以下に、『奇跡講座』の形式上の特質でその筆記者に直接起因すると思えるものを示す、幾つかの事例を挙げておきます。

1) それは英語で書かれています。

2) その言い回しはアメリカ風です。独立宣言や、アメリカの紙幣である「緑色の紙切れ)」〔訳注5〕への言及さえもあります。

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〔訳注5〕邦訳『奇跡講座』では、日本の紙幣が緑色でないことから、単に札束を連想させる「紙切れの束」(W-pI.76.3:2) という表現にとどめた。

3) ヘレンは哲学的にはプラトン主義者でした。『奇跡講座』の哲学はプラトン主義的で、プラトンの『国家』の中にある有名な「洞窟の比喩」への言及さえもあります。その上、「言葉は象徴の象徴に過ぎない……したがって、言葉は実相からは二重に隔てられている」(M-21.1:9-10) という記述は、『国家』から直接取られたものです。

4) ヘレンはシェイクスピアが大好きでした。『奇跡講座』は、その言葉遣いがシェイクスピア風です。その大部分が弱強五歩格の無韻詩(韻を踏まない詩形)で書かれていますが、それは、シェイクスピアの作品の形式です。ヘレンのお気に入りの戯曲だったハムレットへのさりげない言及も見られます。

5) ヘレンは、ジェイムス王 欽定訳の聖書を熱愛していました。彼女は、聖書の内容は全く好きではなかったのですが、その文章表現は大好きでした。ですから、『奇跡講座』の中にも、聖書的な「古風な表現」、すなわち、エリザベス朝時代の話し方が見られます。

6) ヘレンは猛烈に論理的でした。彼女は、私が出会った中でも最も論理的な心の持ち主の一人でした。そして、『奇跡講座』は、厳密に論理的なやり方で、その思考体系(自我の思考体系と聖霊の思考体系) を展開させています。それに加えて、議論の三段論法的形式が、暗示的にも明示的にも使われています。

7) ヘレンは教育者でした。このコースの教育課程的な構成は明白です。テキスト、受講生のためのワークブック、教師のためのマニュアルからなり、聖霊が私たちの教師です。その言葉遣いは始めから終わりまで、教育課程の学習的側面を反映しています。

8) ヘレンは心理学者でした。心理学の学派的には彼女はフロイト派で、フロイトの業績をとても尊敬していました。私が30年間言い続けてきたように、フロイトがいなければ、『奇跡講座』はあり得ませんでした。自我の思考体系の説明は、フロイトの並外れた洞察の上に、大きく基づいているからです。そして、そうした洞察は、ヘレンにとって第二の本性のように自然なものになっていました。

9) ヘレンには、イエスとの愛憎関係がありました。もちろん『奇跡講座』の中には、イエスに関する憎しみなどなく、それどころか、このコースのあらゆるところに、愛情深く、裁くことのないイエスの存在が、誰にでもはっきりと認識されます。

「内なる平安のための財団」(FIP)により出版されたコースは、その筆記者が
想定していた通りのものなのです。

ですから私たちは、このコースの形態が、いかにすべてヘレンのものであるかを見てとることができます。しかしながら、興味深いことに、文体は、ヘレンのものではありません。ヘレンは、科学的な文章にふさわしく、ほぼスパルタ式の簡素な文体で書いていましたし、それは、このコースに見られるような、より詩的で、文法的に厳密でない文章構造とは対照的なものでした。ちなみに、そうした文章構造はヘレンを激怒させたものでした。

けれども、『奇跡講座』の内容は、明らかにヘレンのものではなく、少なくとも、世間が知っていたヘレンや、彼女が意識的に自分を重ね合わせていた人物のものではありませんでした。このことが、なぜヘレンが「形態は自由に変更してもかまわないが、内容は決して変更してはいけない」と感じていたか、その理由を説明しています。ヘレンには、出版されたコースがどうあるべきかが、わかっていました。周囲の人たちが意見を述べることはできましたから、ビルと私も時々そうしましたが、ヘレンの頭の中には、すでにこのコースの完成された姿があったのです。ですから、「内なる平安のための財団」(FIP)により出版されたコースは、その筆記者が想定していた通りのものなのです。

ヘレンがFIP から出版されたものだけを認可したのですから、ウルテキスト(および他のバージョン)を読むということはヘレンとビルのプライバシーの侵害であると、私は信じています。ヘレンとビルは私にはそれを読むことを望みましたが、それは他人の個人的な日記を読むようなものです。そのようなことをしたい理由などあるでしょうか? とりわけ、それを読まないようにと勧められているのですから、それでも読むとしたら、あなたは論争や罪悪感を招いていることにしかなりません。「用語の解説」序文の、次の言葉を思い出してください。

「すべての用語には論争の余地があり、論争を求める者たちは論争を見出すだろう。だが、同様に、解説を求める者たちは、解説を見出す。ただしそのためには、彼らは、論争とは真理に対する防衛が遅延戦略の形をとったものだと認識して、論争を看過しようとする意欲をもたねばならない」(C-in.2:1-3)。

もう一度言いますと、ウルテキストの中の個人的でプライベートな部分は、出版されたどのバージョンにも収録されるべきものではありません。多くの著作家は、原稿が仕上がれば、以前のバージョンはすべて破棄します。私も、本を書き上げ、それが出版されたあとは、そのようにしています。ウルテキストを読むとき、人々が見出すのは、「イエスの正真正銘の言葉」ではありません。それは、筆記のプロセスにおいて(最初は)格闘していた一人の女性が書いた文章です。ですから、人に読まれることが全く意図されていなかったものを読むことになります。

さて、もしあなたがそれでもそれを読むとしたら、私は、ヘレンがあなたを稲妻で撃ちのめすだろうとか、それは罪深いことだ、などと言うつもりはありませんが、せめてあなたは、なぜ自分はそうしているのだろうと、自分に尋ねるべきです。イエスがこのコースを通して強調している通り、目的がすべてであり、私たちはすべてのことについて、「それは何のためか?」という一つの質問だけを尋ねる必要があるからです。しかしながら、私は、一つだけ保証することができます。それは、ウルテキストは『奇跡講座』についてのあなたの理解を深めることはない、ということです。どちらかといえば、それはあなたを混乱させることでしょう。なぜならば、すでに指摘したように、あなたがそこに見出すことになるのは、一般の人々に読まれることが意図されていなかった上に、このコース自体の教えと矛盾するように見える事柄であり、さらには、このコースの教えと正反対のことを示唆するような単語の使用や言葉遣いだからです。


もしあなたが
それでもそれを読むとしたら、・・・・・ 
せめて
あなたは、
なぜ自分は
そうしているのだろうと、
自分に尋ねる
べきです。

ですから、私が思うに、この口述記録に興味を持った『奇跡講座』の受講生が尋ねるべき質問は、「イエスもヘレンもビルも事実上それを読まないようにと私に頼んでいるだけでなく、このコースが実際に言っていることとは違うものを教えていると解釈されそうなものを、なぜ私は読みたいと思うのだろうか?」というものです。さらに覚えておくと助けになることは、ある人々の注目の的となっている部分は、口述筆記のごく最初の数週間に筆記されたもののみであり、その後に続くものはほとんど変更されていない、ということです。ですから、私たちは、ヘレンの聞き取りがあまり正確ではなかったときに起こったことについて話している、ということなのです。

すでに言及したように、ヘレンがまだエドガー・ケイシーの影響を受けていて、それが彼女が書き取ったものに反映されているのは、この期間のことです。けれども、このような混信は一時的なものでした。しかし、もしウルテキストの読者が、ヘレンの筆記のこの局面を承知していなければ、彼らはたやすく混乱し、誤って導かれ、たとえば、このコースが「世界は実在する」と教えていると考えるようになってしまうこともあり得ます。確かに、最初のあたりには、このコースのその他の部分とは著しく異なり、そのようなことを暗示するように思えるものがありますが、それはケイシーの影響を反映しているものです。この偉大な霊能者は、分離の後で神は教室としてこの世界を創造した、と述べていたのです。これはおよそ『奇跡講座』のとる立場ではありません。

昔、ヘレンと私がある人と共にいた時のことを思い出します。その人は『奇跡講座』関連で著名な人でしたが、このコースが言っていることを真に理解してはいませんでした。ヘレンは彼に、世界は幻想だと認識するまでは、決してこのコースを理解できないだろう、と言いました。彼女はきっぱりと次のように断言していました。「この世界は幻想です。神はこの世界とは何の関係もありません。あなたのように考えるならこのコースは理解できません」と。ヘレンほどこのコースをよく理解していた人はいませんでした。

私たちが編集作業を進めていたときのヘレンについて、興味深い話があります。実際のところ、とてもおかしな話です。ヘレンは編集している間、たびたび不安になりましたが、彼女が不安を表現する方法の一つは、私たちが何らかの段落を読んでいる最中に笑いはじめ、それから「これは私には全然理解できないわ」とつぶやく、というものでした。ですから、私が実際に、初めて『奇跡講座』を「教えた」相手はヘレンであり、しかも、彼女にはその文章の意味していることが十分にわかっていると、私も十分にわかった上で「教えた」のです。そしてまた、もし私が何かについて間違ったことを言ったりしたら、彼女は即刻私を訂正していただろう、ということも私にはわかっていました。

ヘレンはこのコースを隅から隅までよく理解していたのです。彼女はそれをほとんど読みませんでしたが、意のままにそこから引用することができました。一緒に過ごした何年もの間、私たちは、ハムレットを引用していない時には、いつもこのコースの様々な箇所から引用していたものです。ヘレンは、『奇跡講座』がわかっていないのに、わかっているふりをする人たちについては、手厳しく批判していましたし、憤慨していました。自分では決して公式にこのコースを教えるつもりはないという点で、彼女はとてもはっきりしていましたが、誰か他の人が、明らかにイエスではなく、その人自身の自我を表現しながら、このコースを教えることは、望んでいなかったのです。

この重要な点に戻りますと、「ヘレンが書き取ったものはイエスの文字通りの言葉であり、それゆえに神聖で、変更されるべきではない」という、極端な考えがありますが、これは明らかにばかげています。第二版(文番号システムが導入されたもの)が出版された後で、ある女性が、イエスのコースに番号を加えたことでそれを変えてしまったと、私を非難する手紙を書いてきましたが、それと同じぐらい、おかしなことです。ヘレンはそんなふうには考えていませんでした。彼女が初期の頃に聞きとった事柄のうち、多くのことが全く間違っており、もちろん彼女はそのことを知っていました。私は、ヘレン自身がイエスからのものだと言っていたメッセージを書き取っている時のヘレンを、何度もじかに見た経験があります。ちなみに、これは、彼女が二つの小冊子を書き取っていたのと同じ時期のことであり、これらの小冊子はその教えという点で間違いなく純粋なものです。不正確な記述は、しばしば、彼女が具体的なことに関わっていたときに生じていました。以下に、さらにいくつかの事例を挙げておきます。

あれは1976 年、私たちがジュディス・スカッチと出会った1年後だったと思います。ジュディス・スカッチは、後にFIP を通して『奇跡講座』の出版者となった人です。ヘレン、ビル、ジュディ、そして私は、このコースやそれに関する私たちの仕事に関して、これからどんなことが起こると思うか、といったことを話しあっていました。この頃に典型的なことだったのですが、ヘレンは私たちのためにメッセージを書き取りました。多分、あれは夏の一時期だったと思いますが、そのメッセージは「今年は燃え上がるような栄光のうちに終わるだろう」と言っていました。それが意味していたのは、なんらかの壮大な躍進があるはずだ、といったことでした。私たちが思い描いたのは、たぶんヘレンとビルの関係が癒され、霊的に進歩した私たちがみんなで一緒に、夕陽に向かって車で走り去っていくようなイメージでした。つまり、素晴らしい出来事が起こりつつある、と思ったわけです。さて、それから何週間も何ヶ月も過ぎて行きましたが、燃え上がるような栄光など何もありませんでした。ついに、12 月31 日となり、私たちはまだ待っていました。ジュディは彼女のアパートで、大晦日のパーティーを開いていましたが、そこはセントラルパークを見渡せる場所で、美しい空の眺めが得られました。日が暮れてからしばらくして、ニューヨーク市は大晦日に恒例の花火を打ち上げ、私たちはお互いに顔を見合わせ、そして言いました。「燃え上がるような栄光だ!」 明らかに、ヘレンは間違っていたのでした。

具体的なことに関するヘレンの不正確な記述のもう一つの事例は、彼女が自分自身の墓碑を見たときのことです。その墓碑は、彼女が72歳で亡くなることを示唆していました。実際には、彼女は71歳で亡くなりました。数字は近かったのですが、イエスのコースを筆記しているときであれば、ほんの少しでも外れてはなりません。彼女はまた、ビルは彼女の死後、一年以内に亡くなるだろうとも言っていて、そのことはビルにとって、大きな関心事となりました。しかし彼はさらに7年生き、1988 年に亡くなりました。最後に、ヘレンは彼女の夫ルイは、彼女の死後5、6年以内に亡くなるだろうと言っていましたが、彼はさらにほぼ19年生きました! 

このように、ヘレンは具体的なことになるとたびたび間違えていました。自我は具体的なことが大好きなのです。また、彼女のメッセージが、性や死といったような、彼女が葛藤を感じている事柄に関連していたときにも、よく間違えていました。けれども、彼女の自我が関与していないときには、彼女は間違えませんでした。以上が、出版された『奇跡講座』が述べていることを、あなたが信頼できる理由です。

ですから、私がヘレンを知っていた何年かの間に、私にとって非常に明白になったことがあります。それは、彼女がイエスから来ていると言ったり書いたりしたことの中には、割り引いて受け取るべきものがあるということでした。そして、そこには、明らかに初期のウルテキストの口述記録も含まれています。あいにく、ウルテキストの中にはさらに、もしあなたが背景を知らなければ、何のことを言っているのか、何を意味しているのか理解できないような事柄が含まれています。

このことが必然的に意味することは、その場に居合わせなかった人たちや、ヘレンやビルを知らない人たちは、そこに見いだされる事柄の多くを誤解するだろうということです。

最後に、『奇跡講座』を学ぶ全ての人々に私は保証することができます。皆さんは騙されてなどいません。ヘレンもビルも私も、 FIP により出版される本が、必ず、イエスが意図していた通りのものとなるように、そして、確実に、イエスが望んでいるとヘレンにわかっていた通りのものとなるように、全力を尽くしました。
 
 

Ⅵ . 結論

言うまでもないことですが、もし人々が別のバージョンを購入したり読んだりしたとしても、私は彼らに罪悪感を感じてほしくはありません。人は、有害なことでない限り、何でも自分のしたいことをするべきです。そして、世間で噂されているような「奇跡講座の法王」などいません。ですから、あなたが『奇跡講座』に関して何をするにしても、最も重要なことは、怒りや裁き、あるいは「不当に扱われている」といった気持ちを持たずにそれをすることです。これらの反応は、常に自我のものです。あなたが何をするにせよ、その動機が自我を交えないものとなるように努めてください。そのようなやり方であれば、あなたのすることは何でも、愛に満ちたものになるでしょう。

KW

人によっては、異なったバージョンの利点について議論したくなるかもしれませんが、本当に重要なことは、『奇跡講座』がどこから来ているか、ということだけです。それは万人の<正しい心>から来ているのであり、どんな時でも、私たちの一人一人が<正しい心>を選ぶことができます。もしあなたが、その議論に何か意味があると考え、論争に巻き込まれているとしたら、あなたは議論し、差異を見るでしょう。しかし、本当はそこには何の違いもないのです。違いは、形態(肉体)の中には疑いようもなく存在していますが、内容(心)の中には決して存在しません。ですから、異なった立場を代表する人々の間には、何も重要な違いはあり得ません。差異を見て、それを何か重大なものにするときは、自我が私たちを捕まえたときです。というのは、そのとき私たちは、分離という「小さな狂った考え」(T-27.VIII.6:2) を笑い飛ばすことを忘れているからです。

人々が論争を起こすのは、葛藤が存在する状態を必要としているからです。そして、葛藤が存在するとき、自我が招き入れられたことは確かです。<正しい心>の中には葛藤はあり得ません。なぜならば、そこでは、全ての人が同じであると知覚されるからです。どんな差異が存在しようが、それは、肉体という幻想のレベルにおいてのみです。肉体はそれぞれ異なっています。人々は様々な本を書き、様々なことを言います。しかし、もしこれらの違いを重要なものにしてしまい、戦争とまでは言わずとも、論争や葛藤の対象にするならば、どちらの声に耳を傾けているかは明らかです。

私たちの唯一の責任は、平安の声を聞くことだけであり、私たちがその声を聞くとき、論争とは、子供達が砂場で遊んでいるようなものだと認識します。しかしあなたが、彼らと一緒に砂場の中に座り込んで遊んでいるのでない限り、あなたの目の中に砂が入ることはあり得ません。もしあなたが、イエスを傍らにして、大人として立ち上がるならば、砂場の中で何が起こっていようと、あなたにとっては何の重要性もありません。つまり、世界の中で進行しているどんなことも、あなたの心の中における神の愛の経験を変化させることはできない、ということです。

『奇跡講座』の異なるバージョンが引き起こした問題にあなたが賛同するかどうかは、重要ではありません。明らかに、誰にでも何らかの立場があります。しかしそうした立場はあなたの平安に影響を与えるべきではありませんし、その問題に巻き込まれた人々をすべて同じだと見るあなたの心眼{ヴィジョン}にも影響を与えるべきではありません。これが意味していることは、このコースに関して現在起きていることは、単にもう一つの<教室>にすぎないということです。すなわち、自分の手や足や目を砂まみれにしたいのか、イエスとともに立って平安でいたいのかを見分けるもう一つの方法だということです。

イエスがいつも私たちに求めている通り、あなたが裁きの代わりに心眼{ヴィジョン}を選ぶとき、あなたにわかってくることは、全ての人が「心に戻り、もう一度選び直す」という同じ探求に携わっているということ、また全ての人がこの旅を恐ろしいと思いたくなる誘惑にかられることがあるということです。人は恐れているとき、砂場にはまり込み、まるで砂場の玩具を武器のようにして遊び始めるのです。

ここで大切なことは、人は、どんな立場であれ自分が正しいと思う立場に立つべきですが、それを大仰なものにしようとしないことです。真に正しい唯一の立場とは、私たちは皆、間違った教師を選ぶという同じ間違いを犯したが、今は選び直すことによってその訂正をすることができる、という立場です。これが、唯一の重要な事柄です。今起こっていることは、これまでとは違った選択をするためのもう一つの機会に過ぎない、ということです。つまり、分離した利害ではなく共通の利害を見るための機会です。

もしあなたが『奇跡講座』を分離と形態の世界の一部として見るならば、『奇跡講座』に関するあなたの見方はゆがめられることになります。仏陀はかつてこう述べたと言われています。「仏陀の教えとして知られているものは仏陀の教えではない」と。そして同じことをこのコースについても言うことができます。言い換えれば、『奇跡講座』は実は本ではないし、特定の一連の教義といったものですらありません。それは贖罪を象徴するものであり、あらゆる人の心の中にある分離の想念を訂正するものです。私たちがこのことを認識するとき、他の学習者や教師を裁いたり、あるいはこのコース自体や他の霊性と対比させてこのコースを裁いたりする、といったことは不可能になるでしょう。

つまり、『奇跡講座』に断片化や分離をもたらすようなどんな意味も持たせない、ということです。これが意味していることは、神聖なものとは本そのものではないし、ヘレンや、ヘレンのノートやペンや、ペンを握った指でもないと、私たちが認識するということです。神聖なのは、私たちの対等な心の中にある思考体系なのです。さもなければ、『奇跡講座』は、特別性の単なるもう一つの象徴となってしまいますし、自我が罪悪感を、裁きや分割や葛藤という形態に投影するのを正当化する手段となってしまいます。キリスト教が、憎悪や殺人すら正当化する宗教になりはてたのと同じように、このコースもそのようなものになりはてることがあり得ます。残念なことですが、『奇跡講座』の短い歴史がすでに、分離や裁きや排除という同じ精神力動のいくつかを反映しています。しかし、他にどんなことを自我から期待しようというのでしょう? 言い換えれば、『奇跡講座』は、心が心自体を訂正できるようにと、心によって、心のために書かれたのです。

もちろん、イエスからのこのコミュニケーションが正確に伝達されることは重要です。幻想の中では完璧なコミュニケーションは不可能であるとはいえ、できる限り正確に伝達されることが重要です。けれども、真のコミュニケーションは言葉ではなく、ヘレンが彼女の心の中で一つにつながった愛であり、私たち自身の中にも存在する愛である、ということを、心に留めておいてください。それは、天国の完璧な愛と一体性を反映する愛です。

ですから、何であれあなたにとって意味のある象徴を用いてかまいませんが、それがもたらす結果にこだわらずにそれを用いてください。できる限り純粋に、赦しというあなたの機能を果たしてください。そうすれば、その後で起こることはあなたの関心事ではなくなるでしょう。さもなければあなたは、形態で内容を代用するという、自我の罠に陥ってしまいます。そして、そうした代用は<特別な関係>の主要な特徴の一つです。だからこそ私は、『奇跡講座』は『奇跡講座』ではない、少なくとも本や言葉ではない、ということを言い続けているのです。

もし私たちが、『奇跡講座』の本質である愛を思い出すことができれば、私たちは、差異や論争といった自我の誘惑に捕えられることはないでしょう。そして私たちが、自分の中でその愛を清らかなものに保つことができるとき、私たちは互いに形態においては違っていても、内容においてはひとつであると認識し、形態が清らかであるように見えてもそれをさほど重要視しなくなるでしょう。そして、全ての神の子の中にある「愛という共有された内容」を思い出すことを学ぶことこそが、『奇跡講座』の要旨であり真髄なのです。

 
*以上の「原稿の歴史」は、PDFファイルとして全文をダウンロードできます。

 
 
 

(この翻訳については、ボランティアのMさんに下訳を手伝っていただきました。)