7月 222017
 
【質問】

DVD講義「思考の逆転」を見て、赦しの3ステップにおいて、第1ステップには、ワークブックのレッスン5、「私は自分が考えているような理由で、動揺しているのではない」が関連していることがわかりました。

そこで、レッスン5の説明を読むと、動揺の形として、例えば、「恐れ、心配、憂鬱感、不安、怒り、憎しみ、嫉妬」(W-pI.5.1:3)などが挙げられています。

しかし、これらはすべて、いわゆる「ネガティブな」気持ちです。

しかし、赦しにおいては、「ネガティブな」気持ちだけにフォーカスすればいいのでしょうか?

例えば、おいしいものを食べて幸せな気持ちになったとします。

そのとき、「幸せな気持ち」は、いわゆる「ポジティブな」気持ちです。

しかし、これは自己概念Cであるその食べ物と特別な関係を作ってしまっているとしたら、これもまた、赦しの機会ではないのでしょうか?

それとも、これは動揺ではないので、赦す必要はないのでしょうか?

また、そのときに、レッスン5を適用すると、「自分が幸せな気持ちになったのは、おいしいものを食べたからではない」というようなことになると思いますが、ここから先がわかりません。

このように、喜びや幸せや楽しさなどの、「ポジティブな」気持ちをどう扱えばいいのかについて、質問します。

 

【回答】

赦しの「基本」としては、レッスン5の説明のように、いわゆる「ネガティブな」気持ちにフォーカスするというやり方が普通ですが、<特別な関係>についての理解が深まるにつれて、一見「ポジティブ」と思えるような気持ちを感じている状況の中にも、「ネガティブ」な感情が隠れている場合があることに気づいていくようになります。

それに気づいたときには、それが赦しの「機会」となり得ます。気づいていない場合は、すべての「ポジティブな」感情の背後にわざわざネガティブなものを探そうとしたりする必要はありません。

広い意味では、この世界の中のほとんどすべてのものとの関係が、<特別な関係>です。けれども、呼吸をしなければ生きられない私たちだからといって、「空気」との<特別な関係>について、赦しをしたりする必要はありません。

すべての「形」を正しい形に変えることがゴールなのではなく、心を癒すことがゴールなのですから、すべての「形」を赦そうとするのではなく、どんな「形」でも、使えるものを使えるときに使って、少しずつ心を癒していくためのきっかけとすればいいわけです。

そういう意味で、「おいしいものを食べて幸せになった」ということについても、ただ単純に「ああ、幸せだなあ」と感じられるのなら、感謝してそれを楽しめばいいだけで、赦しを行う必要はありません。それを楽しむことに罪悪感を感じる必要もありません。(この点については、ビデオ「象徴としての美」も参照してください。)

ただし、その食べ物が好きだということとの関連で、明らかに赦しが必要であるような感情が生じる場合はあります。

例えば、その食べ物を必ず毎日食べなければ、機嫌が悪くなるとか、その食べ物が手に入らなくなる可能性を思うと不安になるとか、その食べ物を絶対に今すぐ食べないと気がすまないので、夜遅いのに家族の者にそれを買いに行かせるとか・・そうした状況には、必ず、自我が絡んでいます。それを本人が自覚したら、その時、それがその人にとっての赦しの機会となり得ます。

そして、このような状況であれば、レッスン5の形を当てはめて考えることは容易であるはずです。

例えば、「私は、あの食べ物が手に入らないせいで、苛立っているのではない」・・などとなります。

以上のようなこだわりや執着の混じらない純粋な「喜び」や「楽しさ」や「幸せ」などのポジティブな気持ちは、「正しい心」の状態の反映です。

その場合は、レッスン5の形を当てはめるなら、「自分が幸せな気持ちになったのは、おいしいものを食べたからではない。それは、私が心が<正しい心>を選んだからだ」ということになります。