7月 222017
 
【質問】

DVD講義の、神からの分離から自己概念B,Cに至るまでの一連のプロセスですが、これは、ワプニック博士のレベル分けの図との関連は、どのようになっているのでしょうか?

例えば、分裂の4段階は、レベル分けの図で言うレベル1にほぼ相当すると思われますが、本当にそうでしょうか? また、自己概念A,B,Cに関しては、レベル2に対応していると捉えていいのでしょうか?

そもそも、レベル分けの図と、『原因についてのコース』で使われていた、決断に関わる図との関連も、今ひとつよくわかりません。

同じコースに関して説明しているのですから、相互に関連していないはずはないと思うのですが。

 

【回答】

ワプニック博士が使っている「レベル1」と「レベル2」というのは、「原因についてのコース」と「思考の逆転」で使われていた図解の中で、「図の中のここがレベル1で、ここがレベル2です」と言えるような種類のものではありません。「レベル1」と「レベル2」の違いというのは、着眼点の違いです。

つまり、あの図を見るときの二つの別な見方を、「レベル1」、「レベル2」(または、「第1レベル」、「第2レベル」)と呼んでいる、ということです。

以下に、もう少し詳しく説明しますが、その前に、もう一つ混乱しやすい要素が絡んでいますので、まず、それについて簡単に説明してから本題に入ります。

ケネス・ワプニックの解説における「レベルの混同」と、「奇跡講座」の中に出てくる「レベルの混同」(テキストの第1章の奇跡の原理23番や、第2章のセクションIV,V,VIの中など)とは、同じものではありません。同じ言葉が使われているため、非常に紛らわしいのですが、両者は同じものではないということを、まず明確に理解しないと、ワプニック博士の解説の中で「レベル1」、「レベル2」と呼ばれているものの意味がよくわからなくなると思います。

「テキスト」の中で述べられている「レベルの混同」というのは、「心のレベル」と「肉体レベル」の混同のことを指しています。この二つのレベルが混同されやすいので、それらを区別できるようになることが、このコースの学びの中で重要なことの一つなのです。

以上を明確にした上で、ご質問にお答えします。

ワプニック博士のレベル分けというのは、同じ図に関する二つの見方であると冒頭で述べたのは、次のような意味です。

「レベル1」という見方では、この図の中の水色の部分と緑色の部分との区別のみを問題にします。神の一なる心(=実相)のみが真理で、分離した心(および、そこから生じたかに見えている世界)はすべて幻想であるとする説明の仕方です。これが、純粋な一元論の考え方です。

水色の部分のみが真理で、緑色の部分はすべて幻想である、ということです。

「水色がレベル1で、緑がレベル2」というようなことを言っているのではなくて、このように、「水色と緑色の区別しか問題にしない」という見方・考え方そのものを、「レベル1」と呼んでいるのです。

「レベルの混同」についてのビデオも参照してください。57秒くらいのところから、レベル1についての説明が始まります。

一方、「レベル2」というのは、この世界の中に生きている私たちに合わせた説明の仕方です。この「レベル2」の考え方では、「真理」とは、聖霊の思考体系(=「正しい心」)であり、幻想とは、自我の思考体系(=「間違った心」)です。この図では、水色が真理、緑色が幻想です。

「レベル2」では、「世界」はもちろん幻想ですが、自我か聖霊か、どちらかを反映することができます。

ですから、「世界は幻想である」というところを忘れなければ、以下のように色分けすることもできます。

とにかく、「レベル2」は、「自我か聖霊か」の区別のみを問題にする考え方である、ということです。

ビデオ「レベルの混同」では、1分50分あたりから、「レベル2」についての説明が始まっていますので、そちらも参照してください。

以上のことに照らして考えれば、分裂の4つの段階についての説明も、自己概念ABCの説明も、どちらも「レベル2」の話だということがおわかりになることと思います。「レベル1」で語られる発言においては、差異や段階はすべて一括りに「幻想」のカテゴリーに括られますから、複数の分裂の段階や複数の自己概念について語られているなら、「レベル1」の話ではあり得ません。

また、ご質問の中の、『原因についてのコース』で使われていた「決断に関わる図」・・・というのは、DVDの最後の方で「決断の主体の断片」について話したときに、少しのあいだ表示した図のことを言っておられるのでしょうか? そうだという前提でお答えしますと、以上のレベル分けと、「決断の主体の断片」の図との間には、関連性はありません。異なる概念について説明するための異なる図解です。

けれども、無理に関連付けるならば、「決断の主体の断片」という話は、もとは一つの「分離後の心」が第4分裂の際に砕けて無数の断片に分かれた状態になっていることを象徴的に図解しているという意味で、第4の分裂に関連性があるとは言えます。

「砕けた一なる子の断片」(T-18.I.13:2)

それは分裂し、細分化し、さらなる分割を幾度となく繰り返してきたため、かつて単一であったし今も単一であると知覚することは、今ではほとんど不可能となっている。(T-18.I.4:3)

要するに、神から分離した直後の一つの心それ自体が、今この世界に住んでいる個人としての私たち一人ひとりの心なのではありません。私たちは、もとは一つであった分離後の心からさらに分裂を繰り返して、バラバラになってしまった存在です。最終的には一つの心に戻ることになるのですが、それまでの間は、一人ひとりの心がそれぞれ決断をしているということを理解しておくことが重要なので、あの「決断の主体の断片」の図はそれを説明するためのものです。(ただし、「本来は図解できるようなものではない」とお断りした通り、すべてを完璧に説明している図ではありません。)