8月 162017
 
【質問】

赦しの第2ステップで、「心の中の自己概念Aの、罪・罪悪感・恐れを見る」とのことですが、自己概念Bである自分が(つまり、私たちが自分だと思っている自分が)いくら心を見ても、それは、自己概念Bとしての心なのではないでしょうか?

自己概念Aとしての心は、今の、この、普通に生きている自分の感覚としては、どのように自覚されるのでしょうか?

 

【回答】

これは、「機能」という観点から考えるとわかりやすいと思います。「自己概念AやBが、何をやっているのか」という意味での「機能」ということです。

自己概念AとかBとかいう別個の存在や場所が存在するわけではなく、「自己概念Aとしての心」や「自己概念Bとしての心」というふうに別々の心があるわけでもありません。ただ、同じ心が、「機能」により、異なる現れ方をしているだけです。

心が「自己概念B」(=被害者のアイデンティティー)になりきっているときには、心を忘れるという目的のために、ある特定の範囲のことしか認識できない状態になっているけれども、「自己概念A」の観点からは別のことが認識されているので、その「別のこと」の内容が見えるようになれば、「自己概念A」にアクセスしていると言える、ということなのです。

だから、今この世界で普通に生きている人が「自己概念A」を見るというのはどういうことなのかと言うと、「普段はまったく意識していない心の中の領域に目を向けるということ」となります。

このコースで教えられていることを理解しつつ、その「別のこと」を見ようという意図をもって、自分の感情を感じて、辿っていけば、「罪・罪悪感・恐れ」が自分の心の中にたしかにあると確認できるところまで行くことは可能です。そして、そこまで行けば、自己概念Aの内容を見ているということになります。

ちなみに、自己概念A,B、Cについては、テキストの第31章の「自己概念 対 自己」のセクションとの関連で説明しましたが、テキストの中のもう一つの関連個所を述べるなら、この「自己概念A」のレベルは、「密かな夢」)(T-27.VII.11:7)と呼ばれているものと同じです。そして、「自己概念B‐C」のレベルは、「世界の夢想」(T-27.VII.& VIII.)と呼ばれているものと同じです。

関連するFACIMのQ&A「頭脳と心の関係について」(本館のQ&A#109)も、参照してください。