10月 032017
 
【質問】

政治との向き合い方についての質問です。政治との関係も本質的(夢の世界での)には人間関係になると思うのですが、どのように向き合っていけばいいか考えてしまいます。政治に関するあれこれも赦しの教室として学んでいけばいいのだとは思うのですが、政治にはこの社会をより良くするとか、どんな国にしたいか、とかこの自我の世界を強化するような事柄がつきものです。そして、それらは一見、奇跡講座の目標である「私たちが一つになること」という目標を模しているようにも見えます。

そんな風に考えていると頭がこんがらがってきてしまうのです。私は政治活動等は何もしていないのですが選挙には行くようにして来ました。そして選挙で投票するためにはそれなりに政治に関心がなくては候補者を選ぶことが出来ません。しかし、そう思ってニュースなど見ていると知らないうちにイライラしたり怒ったりしている自分がいます。もちろん、これはレッスンなのだと思い出すことが出来た時には赦しを実行するようにしています。しかし、政治に関する情報なんて見聞きしたところで心の平穏が乱されるのは分かっているのだから、それらをシャットアウトしたい気持ちになってしまうのです。でもそうすると、赦しの学びの教室を一つ放棄してしまうことになると思います。それはやっぱり、学びを遅らせることになるのでしょうか?

もっと学びを進めていけば、こういった葛藤もなくなってくるのでしょうか?
この夢の世界で、お金を使ったり、食べ物を食べたりすることと同じように、政治と向き合っていくことも仕方のないことなのでしょうか?(学びが完了するまでは)

シャットアウトしたいという拒絶を手放すことが出来て、自然と関心がなくなっていくのなら、それはそれでいいのでしょうか。でも選挙権を放棄してしまっていいのかどうかという考えが沸いてきてしまうのです。政治にはエゴも強く関わっていると思います。だからこそ放置しておいたらエゴの思うつぼになってしまうと思うのですが・・・こんな風に考えていると頭の中で堂々巡りが始まってしまいます。

 

【回答】

FACIMのQ&Aの中から、このご質問に関連する Q&A を翻訳しましたので、本館のQ&A#111をご覧ください。

さらに、少しだけ補足します。

上記のQ&A#111では、政治や選挙にまつわる状況は、心を癒すための機会をたくさん提供してくれる、ということを中心に回答されています。

けれども、「だから、常に、政治には感心を持たなければいけない」とか、「必ず、選挙の日には投票に行くべきだ」ということを言っているのではありません。そのような行動に関するアドバイスは、『奇跡講座』の領域ではありません。

もしも、本当に政治には関心がなくて、「関心がない」という事実について、まったく何のうしろめたさも感じることがなく、心に平安があるのなら、無理に関心を持とうとする必要はありません。・・・というよりも、むしろ、本当に「正しい心」につながっていて、平安に満たされているときには、無理に何かをしようとしたりする必要を感じません。また、何をするにしても、平安の内に行うことができます。
 

ご質問をよく読んでみると、次の3つの間で揺れ動いておられるのがわかります。

(1) 「政治に関する情報はシャットアウトしたい」
(2) 「でも、シャットアウトできたとしても、赦しの学びの教室を放棄することになって、それが学びを遅らせるのなら、そうなりたくはない」
(3) 「また、シャットアウトしたいという拒絶を手放すことができて、政治には自然に関心がなくなったとしても、選挙権を放棄するのはよくないのではないか」

誰でも、このようなジレンマに陥ることがあると思います。けれども、このコースの学びの観点からは、本当に重要な点は、このような形で定義された問題そのものではないのです。つまり、赦しの実践に必要なのは、「政治のニュースは見るべきなのかどうか」、「政治のニュースをシャットアウトしたら、赦しの学びが遅れるのかどうか」、「投票はすべきなのかどうか」などの疑問に答えを出すことではありません。

注意を払うべき対象は、「そうした疑問が湧いてくるときに、自分は何を感じているのか」ということです。(何を恐れているのか、何を避けようとしているのか、何に不満なのか・・など。)それを見ていく中で、自分の信じている自我の思考が浮かび上がってきます。これが、赦しへの第一歩です。

そして、そうした自我の想念は、政治や選挙にまつわる形で隠蔽されている場合もあれば、赦しの実践や学びというテーマにまつわる形で隠蔽されている場合もあります。その両方が組み合わさっている場合もあります。その他、ありとあらゆる形で隠蔽されています。

以上を参考にしつつ、本館のQ&A#111をお読みください。