11月 032017
 
【質問】

喜びのような、「ポジティブな」気持ちについて、お聞きします。

例えば、T-8.VII.13:1-2に、

「喜びの反対は重苦しさである。あなたの学びが喜びではなく重苦しさを助長しているとき、あなたは神の喜びに満ちた教師に耳を傾けてそのレッスンを学ぶことをしていないに違いない」

・・という言葉があります。

このような喜びは、DVD「思考の逆転」の中で説明されている自己概念Bとしての私たちが、自覚できる心の中での喜びと捉えていいのでしょうか?

そうだとしたら、喜びには、特別な関係に発する喜びもあるわけですから(たとえば、『奇跡講座』本体とも特別な関係を結ぶこともあり得る、とワプニック博士は、JACIMのQ&A#29で書いています)、自分が感じている喜びが、神からのものなのか、特別性に起因するものなのかが、どのようにして自分に区別できるのでしょうか?

 

【回答】

心の中の選択の結果(=反映)を、世界のレベルに生きている私たちの普通の意識で感じることはできます。でも、この引用文の中で「あなた」と語りかけられている対象、つまり「学ぶこと」を行なっている主体は本当は「心」であるということは、すでに、他のQ&Aや解説の中でも繰り返し明確にされている通りです。

ですから、「このような喜びは、自己概念Bとしての私たちが自覚できる心の中での喜びと捉えていいのでしょうか?」というご質問が、「心のレベルでの正しい選択の反映としての喜びは、肉体をもって世界に存在している私たちの普通の意識でも自覚できる喜びなのか」と尋ねておられるのであれば、そのように捉えるということで大丈夫です。

ただし、「自己概念B」という言葉自体は、厳密には、「自我と同一化している自己」の一つの側面を指している言葉〔「無垢なる顔」(T-30.V.2:6)とほぼ同義〕ですから、厳密な言葉遣いにこだわるならば、「正しい心」を選択した結果を感じているのは、もはや「自己概念B」ではないということになります。ワプニック博士は、その場合は、「自己概念B’(=自己概念Bダッシュ)」という言葉を使っていました。(「B」から派生した別の形という意味での「B’」です。英語では、「B’」は、”B prime”と発音します。)ただし、こうしたことについては、常に「自己概念A,B,C」という言葉で説明されるわけではなく、他にもいろいろな表現を用いて解説されていますので、この言葉自体にはあまりこだわる必要はありません。「肉体は、自我が作り出したものではあるけれども、この世界に生きている私たちにとっては、自我の反映にも聖霊の反映にもなりえる」という原則を理解しておけば、十分です。
 

そして、「自分が感じている喜びが、神からのものなのか、<特別性>に起因するものなのかが、どのようにして自分に区別できるのか」という点については、一つには、赦しの実践によって、体験的にわかっていくという側面があります。それとともに、やはり、<特別性>についてよりよく理解することが助けになります。いずれにしても、自分の中の<特別性>の思考に敏感になっていけば、両者を混同することは少なくなっていきます。

ただし、<特別性>というテーマはこのコースの核心を成す要素の一つだとは言っても、実は、ワプニック博士の著作の既刊の邦訳でも、当サイトJACIM上でも、まだ<特別な関係>についてあまり詳しくは紹介していません。必要最低限のことには触れていますから、赦しの実践を始めるのに支障はありませんが、さらに詳しく解説することは可能です。

そして、これまで詳しい解説を紹介してこなかったのには、理由があります。

それは、もし最初から、何の予備知識もない状態で、<特別性>についての詳しい解説だけが提示されても、おそらく、多くの人々にとってはそれはあまり快いものとは感じられないので、自然に無視したり拒絶したりしてしまう可能性が高いからです。〔*以下のエピソードを参照。〕また、一夜漬けの試験勉強のように、一気に理論全体を頭に詰め込もうとすることで習得できるようなものでもありません。自分の中の抵抗を少しずつ自覚していきながら、焦らずに一歩一歩進んでいく方が、着実にしっかりと理解を深めていくことができます。ですから、JACIM制作の二つのDVDではまず、「骨格」となる基礎知識を最初に紹介してきました。今後は、その骨格に肉付けしていく形で、細部についての解説を、様々な形で少しずつご紹介していく予定です。

その一つとして、<特別な関係>についてのQ&A #112 を翻訳しましたので、参考にしてください。

〜〜〜〜

〔エピソード〕

FACIMの初期の講義の中で語られているエピソードで、次のようなものがあります:

ある時、ある人の自宅のリビングに集まった10人くらいの少人数の人々を対象に、ワプニック先生が講義をしたことがありました。座り心地のいいソファーや、床に敷いた柔らかいクッションの上で講義を聞いていた参加者の大半が、<特別な関係>の話のところまでくるとグーグーと居眠りを始めたそうです。それを見たワプニック先生は、「これで自分は<特別な関係>について正確に話していることを確認できた」と思って、微笑んだ、とのことです。

これは笑い話のようですが、実際にあった話です。これらの人々は、決して不真面目な人々だったわけではなく、真摯に『奇跡講座』について学びたいと思ってこの講義を聴きにきた理知的な人々でした。

これは、<特別な関係>というテーマはこのくらい私たちには抵抗のあるテーマなのだ、ということ示すエピソードです。

そして、抵抗の表れる形は「居眠り」だけに限りません。

ご質問の中で言及されていたJACIMのQ&A#29に加えて、さらに、先日ご紹介したビデオ講義「『奇跡講座』を人生のすべてとしない」にも、このコースの学び方自体に、<特別性>が組み込まれて、それが盲点になってしまうというようなことさえあるということが指摘されています。