1月 192018
 
【質問】

『奇跡講座』に出会う前まで、「幼少期のトラウマを見つけだし、インナーチャイルドを癒す」という心理学系のワークをずっとやってきました。確かに、インナーチャイルドを癒すことで、だいぶ、今世に関しては、生活しやすくなった部分もあります。しかしやはり、これらの手法は、「トラウマを与えた相手や、トラウマを受けた自分の肉体を実在していると認識してしまう」という点で、根本的解決法にはなり得ないものだと、今は感じています。

なので根本的な解決は『奇跡講座』の「赦し」しかない、と現在では理解しています。

しかし同時に、この旧来の「インナーチャイルドを癒す手法」は、自分が抑圧している「怒り」や「悲しみ」などのネガティブな感情に「気づく」ためには良い方法だとも感じています。

もし赦しの第2ステップが「思考の逆転」の中の手順通りだとすると、心理的な動きとしては、

 「ネガティブな感情を感じる」→「感情の先にある観念を特定する」 

・・という作業が入ることになります。 

これまでの個人的な体験や、周囲の心理学を学んでいる多くの友人を観察しても、まず通常「ネガティブな感情を感じる」ということ自体が難しい人が少なくないですし、また、そこからさらに、「その背景にある観念を特定する」という作業は 心理学的なトレーニングをしなければ、かなり難しい作業なのではないか、という気がします。

このあたり、(通常の心理学では真理に到達できないことは重々理解しているのですが)、赦しの第2ステップにおいて、かなり「旧来の心理学的素養が必要とされるのでは?」という気がしています。

たとえば仮に、心理学的素養がなくただ赦すだけでも(つまり上記のプロセスを経なくても)、ただ、実践し続けることの方が大事なのでしょうか。

あるいは、旧来の心理学的プロセスを一部利用して、後はこのコースの「赦し」を実践したほうが効果的なのでしょうか。

ただ、「分裂・増殖する」というエゴの性質からいくと、「幼少期や過去世のトラウマを見つけ出す、という行為は、無くなる(終わる)ことなく、それどころか、探せば探すほど、どんどん増えていくのだろうか?」、「終わりの無いものなのだろうか?」という思いもあります。

だとしたら、そのような旧来の癒しの手法は一切取り入れずに、ひたすら『奇跡講座』の赦しを実行した方が良いのでしょうか?

通常の心理学的手法と、『奇跡講座』の赦しとの関わり方についてアドバイスをいただけますと助かります。

[*この質問は、JQA#23「赦しの第2ステップの具体的なやり方」の質問者から提出された質問の後半です。多少の関連性がありますので、JQA#23も参照してください。]

 

【回答】

まず、「インナーチャイルドを癒す」という手法については、すでに、FACIMのQ&A#106で回答されていますので、そちらも参照してください。

   【質問106】「インナーチャイルド」という概念と、『奇跡講座』

確かに、「インナー・チャイルドを癒す」手法には、あるレベルではある程度の効果があります。でも、このコースの学びの中に位置づけるならば、それはまだ自我の領域のものであり、それを正しく用いたとしても、赦しのプロセスの中では「最初の一歩」にすぎないということが、上記Q&A#106で述べられています。

(注: ただし、「インナーチャイルド」のようなレベルの癒しを必要としている人々はいます。特に、レイプとか虐待の経験などといった深刻なトラウマを抱えているような場合は、まず社会の中で普通に生活ができるようになるくらいのところまで、従来のセラピーなどである程度までの癒しを達成すべきです。そのレベルの傷を、『奇跡講座』で癒そうとすべきではありませんトラウマの傷が癒されていない状態で、「この世界は幻想で、自分の経験は全部、自分で作り出したものだ」などというようなことを聞かされても、傷が癒されるどころか、悪化してしまう可能性さえあるからです。これは、Q&A#71「健全な自我を育てることの大切さについて」などでも指摘されている通り、 このコースを学ぶにはある程度の成熟度と良識が必要だという点にもつながります。)

 

さて、「ネガティブな感情を、抵抗せずに咎めずに感じてみることによって、それを癒す」という手法は、『奇跡講座』に限らず、「インナーチャイルドの癒し」を含む他の従来のセラピー的なものやニューエイジ的な教えなどにおいても、さまざまな形のバリエーションで取り入れられていると思います。

それらすべてに共通している要素は、抑圧されていた苦痛(罪悪感や恥など)を、決して自分を咎めることなく優しく受け入れてくれる安全な環境において、自分に合ったペースで(=更なる苦痛を引き起こすことのないゆっくりとしたペースで)、少しずつ見ていき、無理なく明るみに出していくことによって、癒しを達成する、というところです。

その「安全な環境」というのは、従来のセラピーの場合はセラピストのオフィスであったり、サポートグループ(例えば、依存症からの快復のための12ステッププログラムのような)であったりするわけですが、『奇跡講座』の場合は、「このコースが提示している理論体系」と「その理論を体現している内なる教師」が、そうした「安全な環境」を構成していると言えます。

けれども、共通点はここまでで、『奇跡講座』には、更にその奥にもっと深い次元があります。それは、「心の中の決断」という要素に関わるレベルです。そこで、形而上学的理論と心理学的要素が巧みに組み合わされています。自我を選ぶという決断が、どのように守られ、維持されているかについてのこの説明は、他の教えには見られないものです。

ですから、第2ステップは「心理学的なトレーニングをしなければ、かなり難しい作業なのではないか」というご質問については、もちろん、これが難しいプロセスであるということに関する限りは、まさにその通りなのですが、だからと言って、従来の心理学的なトレーニングが必要だということにはなりません。

難しいからこそ、そしてこれが他に類のない教えであるからこそ、その学びを助ける独自の方法を、『奇跡講座』自体が提供しています。

「これは心を訓練するコースである」(T-1.VII.4:1)とテキストが述べている通り、このコースを学ぶことによって、私たちはこのコースの教えに沿った「心のトレーニング」を受けていることになるのです。

『奇跡講座』は最初は二人の心理学者たちに与えられたということも事実ですから、心理学に精通している人々が読めば、「これはあの理論につながる」、「ここではあの原則を使っている」というようなことが読み取れる箇所が多々あるということは、自らも心理学者であるケネス・ワプニック博士がしばしば述べています。けれども、心理学者ではない普通の人々がこのコースを学ぶ場合(それが殆どのケースだと思いますが)は、従来の心理学をわざわざ学ぶ必要はありません。『奇跡講座』において重要な心理学の要素は主に精神分析における防衛機制の理論(特に「抑圧・否認・投影」)と「無意識」という概念ですが、それはこのコースの理論体系の中にすでに組み入れられていますから、このコース自体を学べば、そうした心理学的な側面も学べるようになっています。

また、すでに「インナーチャイルド」の手法に慣れ親しんできた人々の場合には、そこから学んだ従来の心理学的手法が自然に、赦しのプロセスの最初の段階で役に立つということはあると思います。

例えば、何か問題が生じたとき、私たちは誰でも、「かくかくしかじかのことが起こったので、自分は今、不快感を感じている」というふうに、自分の解釈(=ストーリー)を、その不快感に貼り付けているので、このコースの赦しのプロセスでは、その解釈がそのまま事実だという考え方から自分を切り離していくことから始めるわけですが、その際に、簡単に見分けられるものとそうでないものがあります。具体的な人の言動や具体的な事件などが原因だと思っている場合は比較的簡単ですが、幼少時の体験や記憶などに結び付いている根深い傷のような場合、それが自分の「解釈」だということになかなか気づけないことがあります。そういうときには、それに気づくために、「インナーチャイルドの癒し」の経験が役に立つかもしれません。

そういうふうに、自然に身についているものを使うことは何ら問題ありませんが、意識的に他の手法を併用することは、お勧めしません。

特にステップ2では、他の教えが触れていない領域に踏み込みますから、このコースのやり方をちゃんと学ぶ必要があります。

JQA#23の回答の冒頭でも、ステップ2についての手短かな説明だけを理論全体の理解から切り離して使わないようにという意味のことを述べましたが、その理由も、ここにあります。

ご質問の中で、「感情の先にある観念を特定する」というところが難しいとのご指摘がありましたが、これは、あくまでも、自我の思考体系について『奇跡講座』が教えていることについての理解が伴っていてこそ、可能になることです。

罪悪感を直視するということは、もし自我の視点を通して見つめ続けているだけなら、その闇の奥深くにどんどん入り込んでいくだけで、癒されるどころか、ただ、暗く重く陰鬱な底なし沼に落ちていってしまいます。

そうならないために、このコースで私たちは、自我はいったい何のために何をしようとしているのかということを学びます。それを理解すること自体が、「自我を直視する」ということの一部なのです。

そうしてその理解が深まっていけば、自分の心の微妙な動きに敏感になり、「直視する」ということの体験も変わってきますし、「赦す」ということの意味や「コツ」のようなものも、体験的によりよくわかってくるようになります。

ですから、結論としては、『奇跡講座』を学びたいのであれば、「『奇跡講座』自体から学ぶ」というのが、最も良い取り組み方であると言えます。

 
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◆「難しさ」という側面については、以下の記事も参照してください。

― JQA#21の末尾の「エピソード」
― 『奇跡講座』のスケールの大きさ

 
 
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  1 コメント

  1. ◆追加◆

    【問い】

    併用ということに関してですが、「ノンデュアリティー」のティーチャーたちの教えなら、一緒に学んでも大丈夫でしょうか?
     

    【答え】 

    「他の教えや手法を併用すべきではない」という原則は、従来の心理セラピー的なものに限らず、もちろん、「ノンデュアリティー」という呼称で括られるカテゴリーの教師たちの教えについても当てはまります。

    「非二元論」という共通性があるように見えるため、『奇跡講座』も同じカテゴリーに入れられたりすることが時々あるようですが、目的地は同じでもそこへ至るための道は異なります。

    何であれ、他の教えを混ぜてしまうと、『奇跡講座』の奥の深さや、論理的で一貫性のある理論が、曖昧で情緒的な解釈になったり、断片的になったり、薄められたりして、何か別なものを学んでいるのと同じことになり、『奇跡講座』ならではの恩恵や成果は期待できなくなってしまいます。