10月 292014
 

JQA#10の中で述べた「ずれ」の問題はたくさんありますが、
その一例として、「取り消し」という言葉について取り上げます。

『奇跡講座』の中では、
取り消し(undoing)」(名詞形)、「取り消す(undo)」(動詞形)
という言葉がよく出てきます。

この「取り消し」とは、「何かをする」ことではなく、
「為されたことを、それが為される前のもとの状態に戻す」という意味で
使われています。

「為されたこと」とは、「神からの分離」であり、
「もとの状態に戻す」とは、「神のもとへ帰る」ということです。

したがって、
「取り消し」が、「救済」へとつながります。

言い換えれば、
救済は、
何かをすることによってではなく、
為されたことをキャンセルすることによって達成される、
ということです。

コースの中では、例えば次のような、「分離」の様々な側面の取り消しについて
語られています。

― 恐れの取り消し
― 過去の取り消し
― 誤りの取り消し
― 幻想の取り消し
― 自我の取り消し
― 世界の取り消し
― 分離の想念の取り消し
― 自我の思考体系の取り消し ・・・など。

ここで重要なのは、
取り消される対象は、実在しないものであるという点です。

取り消しは、実在しないもののためにある。(T-14.IX.2:10)

一度も存在しなかったものを取り消すために、
今、自分自身を準備しなさい。(T-18.V.1:1 )

ところが、この「取り消し」が、『神の使者』という本の中では「解体」と
訳されているため、現在、多くの人々の間で「エゴの解体」といった形で
「解体」という言葉が広く使われているように見受けられます。

けれども、「解体」という言葉を使うと、解体する対象が実在しているもの
だというニュアンスが強まってしまいます。「自我を解体する」と言った場合、
自我というものが厳として実在していて、それを取り壊すという行動に出る
ようなイメージになります。そうすると、このコースがundoという言葉で
伝えようとしている「キャンセルする」というニュアンス(=ただ映写機の
スイッチを切って、スクリーンの映像が消えるようなイメージ)からは、
かなり離れてしまいます。

『奇跡講座』を学んでいくと、次第に、自我とそのあらゆる側面の幻想性に
ついての実感が増していく方向に導かれていきますが、その過程で、「解体」
という言葉を使うと、その度に、自我の実在性を思い出させられ、幻想の方向に
引き戻されるような気持ちにさせられる可能性があると思われます。

そうした観点から、『奇跡講座』では、undoing を「取り消し」と訳しています。

 
 
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【補足】 『奇跡講座』の中でも、1箇所だけ、undoingを「取り消し」と
訳していないところがあります。ワークブックの序文3:1の中では、
「脱却」としました。これは、「ものごとを見る見方」についてundoingが
使われているため、「ものの見方」を「取り消す」という場合は、その
ようにものごとを見ることを「やめる」ということと同じと拡大解釈し、
「見方からの脱却」としました。もう一つの理由は、この文の中では、
次にでてくる「習得」と「左右対称」的にするために、二文字の漢字熟語が
必要だったということもあります。