質問157: テロリズムと平和について
おそらく私は、〈レベルの混同〉に陥っているのだろうとは思うのですが、テロリズムについて考えていました。ヒトラーと同じように、テロリストたちも、特定の人々を攻撃の対象としますが、自分たちの仲間を殺害することもあります。彼らが私たちの集合意識からの投影なのかどうかは別として、テロリストたちも、すべてのファシストと同じように、この世界から駆逐されるべきだと、私は思うのです。どこかで読んだのですが、ホロコーストが起こっていたとき、修道士たちや、その他の信心深い人々が、平和のために祈っていたそうです。それでも、平和(相対的な意味での平和ですが)は、戦争によってしか勝ち取れませんでした。このことは、当然、私を苛立たせていて、すでに分離のヒビが入っている私の心は、バキッと真っ二つに割れてしまいそうです。
回答
あなたのジレンマを解消するのに決定的に重要な要素は、テロリストたちについての、あなた自身の知覚です。『奇跡講座』が教えている通り、知覚には、〈正しい心〉による知覚と、〈間違った心〉による知覚があります。言い換えると、〈形態〉のレベルでは同じに見えている行動が、〈内容〉のレベルでは、〈正しい心〉か〈間違った心〉か、どちらからでも生じていることがありえる、ということです。
あなたのご質問から考えると、あなたは明らかにテロリストやファシストたちを「加害者」と知覚しているようです。ということは、あなたはすでに、自我をあなたの教師として選んでいる、ということになります。
自我は決して、このことを私たちに知らせてはくれませんが、恒久平和ではなく、延々と続く争いこそが、自我の思考体系から必然的に生じる結果なのです。なぜなら、自我の思考体系は、「どちらか一方だけが正しい」、「相手を殺さなければ、自分が殺される」という、争いの原理に基づいているからです。自我自体が存続できるためには、常に外界に敵が存在することが必要です。それゆえに、私たちは、「私の人生に、この人さえいなくなれば・・・」とか、「あの集団さえ存在しなれば、すべてが良くなるのに・・・」などと考えるように誘導されてしまうわけです。けれども、あなたのご指摘の通り、戦争の後にくる平和は、部分的な平和でしかなく、永続するものではありません。
私たちが心の中へ向かい、この思考体系の狂気を見抜き、自我を教師として選んだ自分の選択について考え直してみるまでは、この状況はいつまでも続いていきます。そして、『奇跡講座』が最も役に立つのはまさにこの点においてなのです。なぜなら、このコースの焦点は、「自分が経験していることは、自分が心の中で同一化した思考体系とつながっている」と気づけるように、私たちを訓練することにあるからです。
だからこそ、このように言われているのです:
だから、世界を変えようとするのはやめなさい。そうではなく、世界についてのあなたの心を変えることを選びなさい。(T-21.in.1:7)
「戦争を通して平和が達成できる」とか、「人を殺すことで、敵意や憎しみを止められる」などと主張する狂った思考体系が、私たちの心の中にあります。その思考体系こそが問題なのです。『奇跡講座』で提示されている「別の道」というのは、「私たちは皆、神の子として、一なるものであり、それには例外はない」という前提の上に成り立っています。テロリストやファシストも、他のすべての人々と同じように、〈一なる神の子〉の一部であり、したがって、心の中で彼らを非難することは、自分自身を、そしてイエスをも、非難することになってしまいます。
もし以上のような心眼{ヴィジョン}による考え方があなたの出発点であるなら、あなたが自分の心の中の葛藤や苦痛を終わらせることができる可能性はかなり高くなります。なぜなら、あなたは否認ではなく真理に基づいて考えていることになるからです。そうすれば、様々な問題に対するあなたのアプローチは変わってきます。あなたが問題に対処するときの動機は、癒したいという誠実な願いとなります。それまであなたが、「世界の危険や恐れの原因」と見なしていた悪者たちについて、「彼らを根絶させたい」という願いは、もはやあなたの動機ではなくなります。あなたは誰の中の自我をも否定しません。そのかわりに、あなたは彼らの自我を、あなたの中にもある自我と同じものと捉えます。(「同じ」と言っても、それは必ずしも〈形態〉レベルでの現れ方が同じということではなく、〈内容〉において同じという意味です。)そうして、「暴力と憎悪に満ちた行動は、心の中から生じている」ということを、あなたは理解するようになるでしょう。しかも、その心自体にとってさえ、あまりに耐え難く思えるがゆえに、心の外に投影せざるえを得ないほどの苦痛と葛藤に、心は苦しんでいるのです。
こうして、心の中にある慈しみの場からであれば、あなたは真の正義が流れ出ていく経路となるでしょう。その正義は、勝者や敗者、被害者や加害者といった区別を見ることはせず、より大きな視点から、すべての人にとって最善であるものを見るのです:
聖霊が問題を解決するとき、その答えは常に、誰も損失を被ることのない答えであると確信していなさい。聖霊は誰にも犠牲を求めないのだから、これは間違いなく真実のはずである。ほんの僅かでも誰かに損失を要求する答えは、問題を解決したのではなく、問題をつけ加えて大きくしたのであり、 その問題をさらに解決困難なもの、より不公平なものにしたのである。………「正義とは誰も敗北しないことを意味する」という原理は、このコースにとって決定的に重要である。(T-25.IX.3:1-3; 5:4)
これが、「テキスト」第25章、セクションVIII.「愛へと戻される正義」が意味していることです。
第25章の最後の4つのセクション (T-25.VI,VII,VIII,IX)では、すべてを包含する愛と慈しみに根ざした「天国の正義」と対照させて、この世界の考え方である「報復的な正義」の基本原理を、私たちが理解できるように説明しています。
また、「ワークブック」のレッスン200「神の平安のほかに平安はない」も、世界の中の平和と心の中の平安との主要な相違点を理解するためには、重要なレッスンです。心の平安は、神の子としての私たちが自然に受け継いでいるものです。
平安が神からのものであるなら、平安とは融合と同じものだからである。
(W-pI.200.11:6)
[2026年10月11日]