JQA#11: マニュアル編 M-18.4:1-4 について
【質問】
「マニュアル」の「18. 訂正はどのようにして行われるのか」の中の
以下の段落について、質問します。
したがって、癒すためには、神の教師が自らの間違いをすべて訂正してもらう事が不可欠となる。彼が誰かに応答する際に、たとえかすかにでもいらだちを感知したなら、その瞬間ただちに、自分が真実ではない解釈をしたと彼に認識させなければならない。その後、彼を内なる永遠の導き手に向かわせ、どう返答するべきかをその導き手に判断してもらわなければならない。その様にして彼は癒され、彼の癒しにおいて、彼の生徒も彼と共に癒される。(M-18.4:1-4)
(1)まず一点:
[M-18.4:2] 「彼が誰かに応答する際に、例えかすかにでも苛立ちを感知したなら、
その瞬間ただちに、自分が真実ではない解釈をしたと彼に認識させなければならない。」
「彼が誰かに応答する際に」の「彼」は神の教師である自分であり、
「自分が真実ではない解釈をしたと彼に認識させなければならない」の「彼」は
神の教師である自分が苛立ちを覚えた他者であると解釈しましたが、
この解釈で、間違いはありませんか。
(2)その上で、二点目:
[M-18.4:2] 「・・・ 苛立ちを感知したなら、その瞬間ただちに、
自分が真実ではない解釈をしたと彼に認識させなければならない。」
真実ではない解釈をしたと彼に認識させる方法とは
どのような方法をとるのでしょうか。
実際そのような体験(日常の場面)が最近あり
困惑した経験をしましたので、詳しく教えてください。
(3) 更に、三点目:
[M-18.4:3-4] 「その後、彼を内なる永遠の導き手に向かわせ、
どう返答するべきかをその導き手に判断してもらわなければならない。
その様にして彼は癒され、彼の癒しにおいて、彼の生徒も彼と共に癒される。」
この部分の「彼」は上記の判断からすると、
苛立ちをおぼえた神の教師として認識している自分から見た他者と解釈した上で・・・
この他者と認識している彼を永遠の導き手(聖霊)に向かわせる為の、
神の教師側の方法というものが、
何かアプローチとしての方法のようなものが有るのでしょうか。
(4)最後、四点目:
[M-18.4:4]「その様にして彼は癒され、彼の癒しに措いて、彼の生徒も
彼と共に癒される。」
この部分の「彼の生徒」とは、神の教師である自分で間違いないでしょうか。
以上が今回の質問になります。宜しくお願いします。
【回答】
(1)
これは、どちらの「彼」も、「神の教師」を指しています。
(2)
どちらの「彼」も「神の教師」を指していますから、この段落では、
最初の文4:1の中の「神の教師が自らの間違いをすべて訂正してもらう」と
いうことのための方法を説明しています。
ですから、この4:2の文で言っていることは、
「神の教師が苛立ちを感知したなら、その瞬間ただちに、
神の教師が真実ではない解釈をしたと
神の教師自身に認識させなければならない」という意味です。
つまり、神の教師自身がその事実を認識しなければいけないという意味です。
それを認識できるようになるためには、注意深く自分を観察する態度を身に付ける
ことが必要です。これが、テキストの中で、
「警戒していなさい」と、繰り返し
述べられている理由です。
(3)
ここの「彼」も、引き続き「神の教師」です。
ですから、その神の教師を永遠の導き手に向わせる、
ということを言っています。
神の教師が苛立ちを感じさせられた相手としての他者を、
「永遠の導き手に向わせる」という話をしているのではありません。
他人を変えようという話をしているのではなく、
神の教師が自分自身を聖霊の導きに委ねる、ということについて
述べています。
(4)
これも、「そのようにして彼は癒され」の「彼」は「神の教師」なので、
「彼の生徒」は「神の教師の生徒」、つまり、4:2で、
「神の教師が対応している相手」を指しています。
このように曖昧な箇所を理解するための一般的指針としては、このコースでは、
相手に何らかの行為を行わせるとか、相手に何かを理解させるとかいうことに
ついての方法を教えてはいない、ということを覚えておくとよいと思います。
つまり、常に、これを学んでいる本人である「自分」を変えることについて
教えている、ということです。それを念頭において読むと、この種の曖昧さ
から生じやすい誤解は回避できます。
[2014年11月11日]