JQA#15: 死への恐れ
【質問】
私はコースを学び始めて15年ほどになりますし、知的理解のみならず日々の生活での実践にも努めていますが、どうしても “自分が「個」である、それ故に自分である「個」が消滅してしまう”という恐怖から逃れることができません。
レベル1に行かない限り、レベル2においては、”自分が「個」である、それ故に自分である「個」が消滅してしまう”という恐怖から完全に解放されることはないのでしょうか。
K.H.
【回答】
JACIM本館に、FACIMの関連Q&Aを〔質問90〕として掲載しましたので、ご覧ください。
ここでは、さらに、ご質問で言及されているレベル1とレベル2において、この恐れがどのように位置づけられるかについて、付け加えます。
まず、レベル1というのは、「神のみが実在し、その他はすべて幻想である」という絶対的な一元論の形而上学的な真理を述べているレベルです。
ですから、そのレベルで死に対する恐れについて描写する場合は、単に、「死は存在しない」、「恐れは存在しない」と言うだけで終わってしまいます。
神のみが実在し、神と神の子の間に分離は存在せず、「個」というものも存在しないので、それが消滅することにまつわる恐怖も幻想にすぎない、ということになります。
けれども、自分が確かに恐怖を感じているときに、「それは存在しない」とだけ言われても、私たちには何の役にも立ちません。
ですから、この恐怖から解放されるために必要なのは、「レベル1に行く」ことではないのです。
レベル2の考え方で存在している私たちは、レベル2の中で、レベル2を使って、この恐れから徐々に解放されていかなければなりません。
そして、そのための方法も、やはり、赦しなのです。
また、こうした死への恐れのような場合は、特に外界の何かによって引き起こされなくても、常に自分の中で意識されるようになっているということもあると思います。そうした場合、これまでのQ&Aで何度か話題になった「赦しの3ステップ」を行うというよりも、第2ステップの中の一側面にあたる「幻想を見る」というプロセス(内なる教師と共に、咎めずに見ること)を重点的に続けて、その恐れにまつわる幾層もの抵抗に気づいていくということが必要なときもあります。というのも、「死への恐れ」自体が、深いレベルでは、自我の選択を保護している防衛だからです。
幻想を直視しない限り、誰も幻想から逃れることはできない。見ないでいることにより、幻想が保護されているからである。(T-11.V.1:1)
そして、幻想を保護せずにじかに見つめること以外に、どのようにして幻想を一掃できるだろう。だから恐れてはならない。あなたがこれから見ることになるのは恐れの源であり、あなたが学び始めているのは、恐れは実在しないということだからである。(T-11.V.2:2-3)
この「幻想(自我)を見ること」は非常に重要なテーマですので、テキストを読む際には充分に注意を払うことをお勧めします。
それから、最後にもう一つ、もしも、「15年も学んでいるのに、まだ恐れが消えない」というふうに考えて、うまく学べていないのではないかと心配しておられるなら、その心配はご無用です。これは、多くの人々が抱く恐れですし、むしろ、コースを長年学んでいてこそ感じるようになることがよくある恐れとも言えます。また、このコースの学びの道において、15年というのは必ずしも「長い」とは言えません。(さらに、人によっては、コースを学び始める前から死の恐れを感じていて、それを克服したいからコースを学ぶというような人もいるかもしれませんし、長年かけて少しずつ恐れを取り消していっているために、一度に激しい恐れを感じることがないという人もいるかもしれません。いろいろなケースがあります。)
いずれにしても、分離を癒していく過程においては、最初に分離が起こった時点/地点に近づくにつれて直面することになる「自分が消滅することに対する恐怖」というものは、確かにありますし、また、これは、このコースの道のみで出会う恐れというわけではなく、他の霊性の教えにおいても、こうしたことについては様々な文献で語られています。
はじまりに近づくにつれて、あなたは自分の思考体系が破壊されるという恐れを、あたかもそれが死に対する恐れであるかのように、自分の身に感じる。死というものはないが、死を信じる信念は確かに存在している。(T-3.VII.6:10-11)
そして、「死への恐れ」を含むあらゆる幻想を取り消すことこそ、『奇跡講座』の助けを借りて達成できることなのですから、それを信じて、焦ったり落胆したりせずに、忍耐強く進んでいけば、必ず、何らかの進歩を自覚できるようになるはずです。
[2015年2月2日]