JQA #30: 病気にまつわる赦し
【質問】
病気について質問させてください。
「思考の逆転」小冊子の中の46ページに「肉体自体もCとなりえます」とあります。そうなると、自己概念Bと自己概念Cの関係は、Cという肉体が病気なのでBはいやな思いをすることとなり、B自体は病気ではないということになるのでしょうか?
持病の関係でCを赦したいと思うのですが、実際のところどうやったらいいのかよく分かりません。赦しても病気が治るというわけではない(本当の赦しが行われれば治ると思いますが)ということは重々承知していますが、この辺りを教えていただけますでしょうか。
よろしくお願いします。
【回答】
『奇跡講座』で「癒し」と言うときは、常に心の癒しについて語っています。ですから、病んでいるのは肉体ではなく、心です。
心が病んでいるので、その結果である肉体も病気になることがありますが、このコースの主眼はあくまでも、心を癒すことです。
そして肉体の病気は、この世の中のあらゆる出来事と同じように、「心を癒す」という目的のために使うことができます。これが、赦しです。
けれども、自分の体が病気になっているときにそれを赦すというのは、他人を赦す場合と少し違うと感じられる側面もありますから、ご質問の中で述べておられるような疑問が生じやすく、混乱しやすいと思います。
それでも、よく考えるなら、自分の病気を赦すのも、他人の言動を赦すのも、原則的には同じだということがわかるはずです。
自己概念Bというのは、この世界に生きている私たちの普通の意識ですが、もとを辿れば、BもCも、「病んでいる心」である自己概念Aから生じているものですから、BもCもどちらも病んでいます。
ただし、自己概念Bというのは、病気でも何でも、嫌なものは全部、自己概念Cの中に見ようとしているので、Bにとっては、「自分が望んだわけではないのに、体が勝手に病気になった」と思えるような状況が起こります。ですから、「自分は、病気の肉体から被害を被っている被害者である」と感じることになります。(そういう意味では、「Cという肉体が病気で、Bである自分は病気ではない」と感じることはあると思いますが、そう考えること自体が、「病んでいる心」である自我の考え方なのです。)
そのように感じている限り、Bの意識は常に「肉体の病気」という問題を解決しようという方向に向いていますから、真に癒すべき病のある心へと向かうことがありません。それによって、「心の病」は癒されないままとなります。これが、まさに自我の望む通りの状態です。
そして、これは、Cが「病気」以外のものである場合でも同じです。「あの人が意地悪なので、私は傷ついている」というのも、「持病のせいで、私は苦しんでいる」というのも、どちらの場合も、問題が心の中ではなく世界の中にあると考えているという点において、「病んだ心」の反映なのです。
ですから、どちらの場合も、真の赦しと癒しが起こるためには、私たちは心の中へと向かわなければなりません。そして、病気も、その他の不快な状況も、どちらも同じように、真の癒しのために、心へ向かうきっかけとして使うことができます。
以上の理解と共に、V#29「病気」というビデオご覧になると、「どのようにして病気を赦すのか」ということがさらに明確になることと思います。
なお、このビデオの中で、「自分のアイデンティティーを手放す」ということが語られていますが、これは、上述の「心へ向かう」ということと関連しています。「原因についてのコース」の中でも、赦しによって、私たちの自己認識が「肉体」から「心」へと移行していくという意味のことを述べました。また、最近のビデオの中では、V#27「心と肉体」でも、同じことが語られています。これは、自己概念Bとしてのアイデンティティー(自己認識)を手放していくことであり、それには恐れが伴うことがありますが、その恐れについてどのように対処すればいいのかという点についても、このビデオで説明されています。
[2018年8月21日]