JQA #33: 「心の病」の捉え方
【質問】
JQA #30や同時にアップされたビデオ講義などで言われている病気というのは、肉体の病気ですね? 肉体が病気でも心は平安だ、というのはあり得るような気がします。
しかし、たとえば統合失調症やうつ病など、心の病の場合はどうでしょうか。
自己概念A自体も「病んだ心」と表現されているので、この世界的な意味での「心の病」と紛らわしいですが。
あるいは、こうした心の病に対処している状態というのは、自分の心の病というか、この世界的な意味での病んだ心を自己概念Cとして捉えて、心の病を自覚している自分が自己概念Bということになるのでしょうか。
個人的には、心の病であること自体が、平安ではない「証拠」のように感じてしまいます。
うつ病や統合失調症の状態でありながら、心は平安である、ということはあり得るのでしょうか?
【回答】
JQA#30「病気にまつわる赦し」やV#29「病気」(ビデオ)の中で「病気」と呼ばれていたものは、おっしゃる通り、「肉体の病気」のことではありますが、それは、原因のレベルである「心」が病んでいることからもたらされた結果としての「肉体の病気」です。
言い換えると、『奇跡講座』では、肉体のレベルに現れている病気は「心の病が投影されたもの」というふうに捉えているので、私たちが癒そうとしているのは、肉体の症状の奥にある心の状態です。「すべての病は心の病である」(P.2.IV.1:1)と言われているのは、そういう意味においてです。
そして、「心が病んでいる」ということについては、JQA#27「対象ということについて」の中で以下のように述べました。
無数の他者が存在する世界を作り出したのは心であり、その心の中で、「自分」と「他者」という「分離」があると信じられていることこそが究極の「病」であり、それが癒されなければならないのです。
ですから、うつ病とか統合失調症などのような、この世界で「心の病」と呼ばれているものは、以上の定義によれば「心の病」ではありません。依然として、世界/肉体レベルでの症状ということになります。
この世界の中で「心の病気」と言われるものも、突き詰めていけば、どれも世界の中の他者や環境や状況と自分との間の何らかの葛藤の中で生じていると言えるので、そういう意味では、人間社会の中でのごく普通のトラブルの場合と同じように、そこに何らかの「加害者 対 被害者」というパターンを見出すことができます。
例えば、高所恐怖症の人は、ビルの屋上とかジェットコースターという特定の環境で、尋常ではない恐怖を感じます。ですから、他者/環境(自己概念C)から影響を受けている自分(自己概念B)という通常のパターンが当てはまります。癒すべきものは、そのパターンのレベルを超えた「心」のレベルにあります。
ですから、「うつ病や統合失調症の状態でありながら心は平安である、ということはあり得るのかどうか」という点につきましては、自分自身を「精神疾患を患っている者」と同一視している限りは平安はありえないと言えますが、赦しのプロセスを通過していくうちに、「うつ病などの精神疾患の症状から切り離された自分」の視点に徐々に移行していくことは可能です。「その症状で苦しんでいる自分」を客観的に眺めている「別の自分」の視点が育ってくる、ということです。これが、「決断の主体」の視点に少しずつアクセスしているということなのです。そして「正しい心」が完全に選択されたなら、心の平安が達成されます。
ただし、世界のレベルでの「心の病気」と呼ばれるものは、高所恐怖症の例のように比較的単純な構造のものばかりではないですから、その扱いには注意が必要です。
原則としては、重度の精神疾患を患っているような場合は、その症状を治療するための手段として『奇跡講座』を学ぼうとするのは賢明ではありません。精神疾患の自覚症状がある人々が『奇跡講座』を学んでも大丈夫な場合というのは、この世界での精神医療の専門家による治療を受けることなどにより、その症状自体はある程度まで緩和されているという人が、この世界のレベルを超える真理を学びたいという動機で『奇跡講座』に関心がある場合に限ると言えます。
言い換えるならば、ある程度まで普通の社会生活が送れる状態にあるということは、必要最低限の条件です。また、例えば、「世界は幻想だ」と聞いて、「それなら、幻想である世界の中で何をしてもかまわない、人を傷つけてもかまわない」というような短絡的で思慮の浅い思考に陥らないだけの良識や、人間としての成熟度も必要です。こうした条件が満たされないほどまで精神的に病んでいる場合は、『奇跡講座』を学ぶことは助けになりません。
特に、トラウマのような深刻な症状がある場合には、まずその治療に専念すべきだということは、ワプニック博士もよく言っていたことです。ただし、一方では、軽度の症状の場合には、必要に応じて治療なども受けながら『奇跡講座』を学ぶことは可能な場合もありますが、それでもまずは治療を優先させるのが賢明と思われます。
以下もQ&Aも参照してください:
FACIM Q&A【質問117】:「『奇跡講座』も、統合失調症と同じく、もう一つの狂った思考体系なのではないのでしょうか?」
[2018年10月10日]