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『奇跡講座』と『愛のコース』ー 引用文の比較

ワンポイント解説

時々『奇跡講座』の続編だと言われることがある『愛のコース』という本について、以前、質問にお答えした(JQA#16)ことがありました。今回は、「内なる平安のための財団」(FIP)からの依頼により、『奇跡講座』と『愛のコース』からの引用文の比較を掲載します。これは、FIPにも、たびたび同じことが質問されるため、FIPのウェブサイトに掲載されたものです。この比較リストを他の言語の読者の人々にも伝えてほしいというFIPの意向により、JACIMでも翻訳し、掲載することになりました。


FIPの役割は『奇跡講座』を出版・頒布することであり、原則として、他の教えについて、承認や批判などの具体的な見解を述べることはしません。けれども、『奇跡講座』と『愛のコース』は同時に学べるものなのか、両方の教えは両立するのかどうか、どちらの教えが自分の学びに最も役立つものであるのか、といったことについて、疑問を抱いている人々が多いということで、それらの人々が自ら判断するための助けとなるように、二つのコースの特徴的な考え方を表現している引用文をFIPが選択して、リストにまとめました。


(『愛のコース』(A Course of Love; 以下ACOL)からの引用はすべてA Course of Love, Combined Volume, Copyright © 2014からのものであり、引用符号は、原書での表記に基づくものです。)

 


[テーマ1]肉体


ACOL:


肉体は今や、真の自己の具現、愛の具現、神性の具現となっている。 (D:6.26)(p.440)
 


奇跡講座:


肉体は愛によって作り出されたものではない。(T-18.VI.4:7)  


・・肉体とはすなわち愛に課せられた制限だからである。 (T-18.VIII.1:2)


神は肉体の中に入ることはできず、あなたが肉体の中で神とつながることもできない。(T-18.VIII.2:3)

 


 

[テーマ2]肉体の「永遠の命」


ACOL:


あなたが依然として形態の中に留まっている間でさえも、私は、あなたを永遠なる意識の方へと呼びよせている。 (T4:4.12)(p.374)


いったん形態の中で一体性への回帰が起こったなら、形態の中に居続ける、居続けないかの決断はあなたが下すことになる。(T4:4.15) (p.374)


物質は、神聖なものとの関係の中でのみ、神聖なものとなり、したがって永遠のものとなることができる。(T4:4.15)(p.374)


この論説があなたに言っていることは、もし物理的な経験があなたを惹きつけるのなら、そして、もし、あなたが、新しい存在の状態として人間と神との融合を創造するのなら、この選択は永遠にあなたのものであるということであり・・・・・あなたによる創造という選択となる・・・(T4:4.18)(p.375)
 

奇跡講座:


なぜ、肉体があなたにとって何らかの意味をもつのだろうか。(T-19.IV.B.i.14:1)


あなたが依然として、自分が見ている世界から何らかの満足を得られるという希望を抱き続けているのは、奇妙なことではないだろうか。(T-25.II.2:1)


あなたの肉体と自我と夢が消え去ったとき、あなたは自分が永久{とわ}に続くと知るだろう。(T-6.V.A.1:1)

 


 

[テーマ3]聖霊


ACOL:


・・・聖霊の時、あなたと神の間に仲介者を必要とする時は消え去った。 (D3:35)(p. 507)


聖霊の時は過ぎ去った。仲介者の時は終わった。(A.19)(p.668)


幻想の時が終了したがゆえに、聖霊の時は終わった。(T3:17.8)(p.331)

 


 
奇跡講座:


聖霊のみが、あなたの本性についての智識を神と共有しているので、神はあなたの心の中の聖霊のみと親交{コミュニケーション} を行うことができる。(T-14.IV.10:3-4)


聖霊は分離に対する神の答えであり・・・ (T-5.II.2:5)


私は以前、聖霊とは自我に対する神の答えだと述べた。(T-5.III.5:3)


・・・ただ聖霊にあらゆることを尋ね、すべての決断を聖霊のやさしい助言にゆだねなさい。(T-14.III.12:6)

 


 

[テーマ4]神の特徴

 

ACOL:


人が神であるだけではない。神は男で あり、女であり、子である。神、在り。(D:32.14) 


それでも神はそのすべてであることはありえない。そうでなければ、神は関係の中にはいない・・・  神は「すべての中のすべて」と言われてきた。神が「すべての中のすべて」でありながら人ではないということが、どうしてあり得るだろう。(D32:15)(Both from p.623)


〔神による語り:〕直接の関わりを手段として私たちがひとつになるとき、あなたは、自分が人間性を後にするわけではないということを認識するだろう・・・ あなたは、私を「人間ではない神」とは見なくなるだろう。わたしがあなたと同じくらい人間であり、あなたも私と同じくらい神的であることを知るだろう。(D:39.44)(p.653)

 

 
奇跡講座:


文字通りの意味で、神はすべてにおけるすべてである。すべての実存は、すべての実存である神の中に在る。したがって、あなたは神の中に居る。あなたの実存はすなわち神の実存だからである。(T-7.IV.7:4-6)


あなたが理解できる属性を神に与えてはならない。あなたは神を作り出したのではない。そしてあなたが理解しているものは何であれ、神からのものではない。(T-14.IV.7:7-8)


したがって、神の心の内側に存在するものの中には、分離した複数の部分というものはない。それは永遠に一なるものであって、永遠に統一されていて平安である。(T-30.III.6:8-9)

 



[テーマ5]キリスト


ACOL:


キリスト意識と形態の結合は、自己と一なる自己の無条件の愛との結合である。一なる自己は自らの自己を愛する。・・・一なる自己がすべてである。(D:Day12.3)(p.561)


あなたの中のキリストは完全に人間であり、完全に神である・・・・この人間と神との結合が、愛の臨在を迎え入れる・・・・この人間と神の結合が、ここにおけるあなたの目的であり、あなたの想念にふさわしい唯一の目的である。(C:5.1)(p.37)


 
奇跡講座:


キリストとは、父からまったく分離していない神の子のことであり、彼の想念はどれも、彼を創造した父の想念と同じく愛に満ちたものである。 (T-11.VIII.9:4)


キリストとは、神が創造したままの神の子のことである。キリストは私たちが共有する一なる自己であり、私たちをひとつにし、私たちと神をもひとつにする。キリストは、今でも彼の源である一なる心の中にとどまる想念である。キリストはこれまで一度も彼の神聖なるわが家から離れたことはなく、創造されたときの無垢性を失ったこともない。キリストは永遠に不変のまま神の心の中にとどまっている。(W-pII.6.1:1-5)

 


 
[テーマ6]自己


ACOL:

今や、一体である自己と同じく人間の自己を完全に受け入れるようになる時がやってきた。この二つを一つの自己、高められた形態の自己へと最終的に融合させる時である。 (D:Day2.1)(p.495)


高められた形態の自己とは、自己の内側に一なる自己を認識することに他ならない。 (D:Day11.3)


関係性の中においてのみ、自己の一体性が一体性から分離し、そのようにして、一体性を知る。分離した複数の関係がひとつに結びつくという手段によってのみ、一なる自己が観察者であったり、被観察者であったりすることができる。これは形態の自己についてと同じく神についても言えることである。神は一体性であり、分離である。(D:Day 11.5) (Both from p.559)
 

 

奇跡講座:


あなたが作り出した自己は、決してあなたの真の自己にはなりえず、あなたの真の自己は、二分されるなら、永遠に変わらぬ一なる自己のままでいることはできない。心と肉体の両方が実在することはありえない。この二者を和解させようとするのはやめなさい。
一方は他方の実在性を否定するものだからである。(W-pI.96.3:3-5)


あなたの真の自己を見つけようとして、この世界の中を探すのはやめなさい。愛は、闇と死の中には見つからない。(W-pI.127.6:1-2)

 



[テーマ7]分離


ACOL:
あなたが誰であるかを物理的に表現するという選択は、恐れから下された選択ではなく、愛から下された選択である。物理的な自己は、神あるいは創造の法則に矛盾してはいない。それは単に一つの選択なのである。(T3:12.8)(p.312)


・・・愛を物理的な形に表現することを選択したものは・・・ 何らかの分離した「あなた」ではない。 この選択を下したのは神ではある・・・ これは、神の選択であると同時にあなたの選択である。(T4:8.2)(p.385)


神は一体性であり、分離である。 (D:Day11.5)(p.559)
 

 

奇跡講座:


・・・分離は神からのものではない。 (T-7.II.1:4)


神の子の心の中に罪悪感が受け入れられたことが分離の始まりであり、贖罪を受け入れることが分離の終わりである。(T-13.In.2:1)


分離とは、ただ自分自身を知らないでいようという決断にすぎない。その思考体系全体が、あなたを真理から遠ざけて空想へと導くような学びの経験として、入念に考案されたものである。(T-16.V.15:3-4)

 



 [テーマ8]創造


ACOL:


すべての被造物と同じく、創造された形態は、神ご自身の姿に似せて作り出された。あなたは、神ご自身の似姿に形態が与えられたものであり・・・ (C:30.13)(p.186)


創造とは、属性を持たないもの(attributeless)に属性を与えることである。形態を持たない者に形態を与えることである。(D:Day40.10) (pp.656-657)


神が創造の手段を選んだように、あなたは創造の手段を選んだ。その創造の手段が分離であり、分離したものとなることである・・・ (T3:2.3)(p.284)


 
奇跡講座:


・・・・分離は神からのものではない・・・ (T-7.II.1:4)


あなたが追求しているのは形態ではない。どんな形態が、父なる神の愛の代替となり得るだろう。・・・・全一性は無限であるから形態をもたない。・・・・神は形態を知らない。・・・・全一でないものは、全一ならしめることはできない。(T-30.III.2:1-2;3:2;4:5;5:8)


神は肉体を作らなかった。(T-6.V.A.2:1)


被造物とは、限界なく遍在する無数の神の想念の総和である。愛だけが創造し、しかもそれ自体と同質のものだけを創造する。愛が創造したすべては常に存在し、それが存在していなかった時というものはない。また、これからも、愛が創造したものが失われる時がくることはない。いつまでも永遠に、神の想念はまったくこれまで通りに、今あるままに在り続け、時が過ぎ、時間が消え去った後も不変である。(W-pII.11.1:1-5,3:1)


あなたの見ている世界は、世界のように見える幻想である。(C-4.1:1-2)

 



[テーマ9]怒り


ACOL:

もしあなたの中に怒りが生じるなら・・・ その感情は肉体によりもたらされていて、肉体は、今では真の表現への経路としてあなたに仕える協力者である。(D:Day8.22)(pp. 542-543)


自分の怒りを受け入れなさい。なぜなら、それは、私たちが進んで行く連続した道における次のステップだからである。(D:Day3.1)(p.500)
 


奇跡講座:

怒りは決して正当化されない。(T30.VI.1:1)


怒りのあるところに神の平安は決して訪れない。なぜなら、怒りは、平安が存在するということを否定せざるを得ないからである。(M-20.3:3)

 



[テーマ10]真理と幻想


ACOL:


幻想へと運ばれた真理は、その光を闇の中に輝かせ、闇を消し去る。(C:7.10)(p.53)
 


奇跡講座:

あなたは自分が真理を空想の中に取り込むことができ、幻想の視座から真理の意味を学べると思っているのだろうか。真理は幻想の中ではまったく意味をもたない。・・・真理を幻想の中に取り込もうとするとき、あなたは幻想を実在させようとしており、自分が幻想を信じているということを正当化することにより、幻想をもち続けようとしている。(T-17.I.5:1-4)


 
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