神のひとり子 と 実相世界

ワンポイント解説

今日4月12日(2020年)は、復活祭です。(クリスマスと違って、復活祭の日付は、毎年異なります。春分の日を過ぎて最初の満月のすぐあとの日曜日を復活祭とする、と決められているからです。)

パンデミックにまつわる不安や恐れに負けないように、何か美しいものを皆さんにお届けしたいと思い、復活祭のEカードを用意しましたので、ご覧になってみてください。

(注: このEカードは現在はご覧になれません。)

 

このEカードの中で歌われている聖歌の歌詞は、新約聖書のヨハネの福音書 3:16 からの以下の言葉です。


神はそのひとり子を賜うほどに
世を愛し給えり、
すべて御子を信ずる者の滅びずして、
永遠の生命を得んためなり。
(日本聖書協会文語訳聖書から引用)


そして、この句は『奇跡講座』の「テキスト」の中でも引用されています。

 

このEカードの中で歌われている聖歌の歌詞は、新約聖書のヨハネの福音書 3:16 からの以下の言葉です。


神はそのひとり子を賜うほどに
世を愛し給えり、
すべて御子を信ずる者の滅びずして、
永遠の生命を得んためなり。
(日本聖書協会文語訳聖書から引用)


そして、この句は『奇跡講座』の「テキスト」の中でも引用されています。


「神はそのひとり子を賜うほどに世を愛し給えり、すべて御子を信ずる者の滅びずして、永遠の生命{いのち}を得んためなり」という言葉が、この文脈において意味あるものとなるには、一点だけ、わずかな訂正を必要とする。「神はそのひとり子に世を賜うほどに」という訂正である。(T-2.VII.5:14)


ここでは、「ひとり子を世界に与える」のか「ひとり子に世界を与える」のかという、微妙な違いについて語られています。


文法的には、「ひとり子」と「世(=世界)」という言葉について、直接目的語と間接目的語の位置関係を入れ替えただけなのですが、この僅かな違いが、従来のキリスト教の教えと『奇跡講座』の教えとの間の決定的な違いを表わすものとなっています。


従来のキリスト教では、神の唯一の御子であるキリスト・イエスが全人類の罪をつぐなうために、神によって世界に送られて、十字架にかけられたのちに復活したということになっています。ですから、神の子キリストが、贖罪のために世界に与えられた、ということです。一方、『奇跡講座』では、神のひとり子というのは、イエス・キリストだけではなく、私たち一人ひとりがそのひとり子の一部です。そして、神がそのひとり子に世界を与えたというところは、実相世界を与えたという意味です。すなわち、幻想の中でも、神との一体性を忘れていない状態を与えた、という意味になります。それは、言い換えれば、神から分離したように見えた神の子の心の中にも、神についての記憶が残っている部分があるということであり、それが〈聖霊〉によって象徴されている〈実相世界〉です。


上記の段落では、「実相世界」と明記されてはいませんが、それは聖書からの引用に合わせて語っているからであり、「テキスト」の後の方では、それが〈実相世界〉のことであることが明確にされています。


私は以前、神はそのひとり子に賜ったほどに、この
世を愛してくださった、と言った。神は確かに実相世界
を愛しておられ、その実相を知覚する者たちは、死の世界
を見ることはあり得ない。死は、一切が永遠なるものを
反映する実相世界のものではないからである。神は、あ
なたが自分の分裂した心から作り出した死の象徴の世界に
替わるものとして、実相世界をあなたに与えた。
(T-12.III.8:1-4)


更に、〈実相世界〉という概念は、『奇跡講座』が、その一元論の理論について妥協せずに幻想から目覚める道を教えることを可能にしている概念であるという点において、非常に重要です。これについては、『聖霊のレッスン ― 奇跡講座テキスト第6章Vの解説』の中の説明(189~195ページ)も参照してください。 

[2020年4月12日]

 
 
* * *

 
  ◆上記の引用文 T-12.III.8:1 の中の「神はそのひとり子に賜ったほどに」というフレーズは、『奇跡講座』(中央アート出版社・刊)の中で、「神はそのひとり子を賜ったほどに」となっている版がありますが、「ひとり子を」というのは誤植です。現在、電子版では正しく「ひとり子に」と訂正されています。普通の書籍版では、その後の増刷時には訂正されているはずです。

All The Tools You Need To Build A Successful Online Business

Lorem ipsum dolor sit amet, metus at rhoncus dapibus, habitasse vitae cubilia odio sed. Mauris pellentesque eget lorem malesuada wisi nec, nullam mus. Mauris vel mauris. Orci fusce ipsum faucibus scelerisque.