睡眠中の電話のベル(フロイトの「便宜の夢」)
以前、JACIMフォーラム「講義室」の1つのクラスで、雑談コメントとして、「便宜の夢」という概念について混乱が見られる投稿があり、その概念についての説明を投稿したことがありました。その後、つい最近になって再び、たまたま、別の資料の中で、同じような誤解をしている人の手記が目に留まり、これは誤解されやすい概念のようだと気が付きました。
そこで、最初は講義室内の少人数の皆さんのみに向けて書いた説明でしたが、それをもっと多くの人々にも読んでいただきたいと思い、「ワンポイント解説」用に少し書き換えて、ここでご紹介することにしました。

『聖霊のレッスン – T-6.V.の解説』の中に、以下のような一節があります。
フロイトの心理学で「便宜の夢」という概念があります。それによると、夢は願望の充足の手段なので、誰でも「夢を見続けたい」という傾向があり、例えば睡眠中に電話が鳴ったとき、目覚めて実際に電話に出る代わりに、電話のベルの音を夢の中に取り込んでしまう、ということがあります。そうして、「友達から電話がかかってきて、久しぶりに電話で話をした」というような夢を見つつ、眠り続けます。
これと同じことを、私たちはもっと大きなスケールの夢(=この世界)の中でやっています。- 『聖霊のレッスン』、p.59
(※『聖霊のレッスン』は、JACIMフォーラム「講義室」での講義として提供されましたが、現在は、JACIM BOOKSで、書籍として入手可能です。)
ここで述べられていることについて、上述の二つの誤解の例では、だいたい以下のように解釈されていました。
「夢の中で聞こえる電話のベルの音」というのは、「聖霊からの声」のことだが、夢から目覚めたくない私たちは、聖霊を聖霊と認識せずに、「救急車の音」や「非常ベルの音」と思ってしまい、それを恐れて、そこから逃げ出して、動揺してしまう。だから、そうした動揺は、自我を信じている自分にとっての「赦しのチャンス」だということに気づくことができれば、聖霊に助けてもらえるようになる。
けれども、このような解釈は、「聖霊のレッスン」の講義で紹介された「便宜の夢」の意味とは異なります。
広い意味では、「動揺は、赦しのチャンスである」といった考え方は、『奇跡講座』のどこからでも読み取ることができますが、それを述べるためだけであれば、わざわざフロイトの「便宜の夢」の話を持ち出してくる必要はありません。
「便宜の夢」という概念は、それを使うと明快に説明できる論点があるからこそ、ワプニック博士は多くの解説の中でよく使用していました。
『奇跡講座』を筆記したヘレン・シャックマン博士自身がフロイト学派の心理学者であったため、『奇跡講座』の中には、フロイト心理学の概念や理論が盛り込まれているところがあります。そうした箇所については、フロイト自身が使った概念や用語の意味の通りに読むことには意義があります。
そのような意味において、「便宜の夢」については、以下のように理解することができます。
電話が鳴っている場所は、私たちが普通に生活している現実の世界です。(『奇跡講座』では、この世界を「実在しない幻想」という意味で「夢の世界」と読んでいますが、これはフロイトの理論ですので、それに倣って考えれば、電話が鳴っている場所は、目覚めている時の普通の三次元の現実世界の生活空間です。)
その中で、誰かが睡眠中に夢を見ているとき、心理学的には夢は願望充足の手段ですので、夢の中では、自分の経験したい通りのことを見ます。それが、たとえ普通の「現実」の基準では荒唐無稽なことであっても、願望充足のできる世界なので、夢の中ではどんなことでも起こります。
そこで、その睡眠中の人の部屋で電話が鳴ったとします。そうすると、その電話は、目覚めている時の生活空間の中に存在している物体ですから、もしその現実に合わせるなら、眠っていた人は、眠りから目覚めて、現実世界の中で実際に電話にでなければなりません。それが、普通の反応の仕方です。
でも、夢の世界は、願望充足のためなら「何でもアリ」の世界なので、現実の生活空間から聞こえてきた電話のベルは、夢の中では、その夢を見ている人の好きなように変えてしまうことができます。
ですから、もし夢を見ている人が、「疲れているのでもっと眠っていたい。起き上がって電話に出るのは嫌だ」と思ったなら、その「電話がかかってきた」という事実を、夢の中に取り込んでしまうことができます。その時点で、電話のベルの音を、夢の中で起こっていることとしてしまって、夢の中の空間で「電話に出て、友人と話した」という夢を見て、現実の世界では眠り続けることができます。
ここまでは、フロイトが述べていた「便宜の夢」です。

これと同じことを、『奇跡講座』を学ぶ人たちも、もっと大きなスケールでやっている、というのがワプニック先生の解説のポイントです。
つまり、『奇跡講座』を通して、聖霊からのメッセージを私たちは受け取っていますが、それは幻想の外からやってくるメッセージなので、幻想の中にいる私たち(つまり、夢を見ている私たち)は、聖霊のメッセージの意味を好きなように勝手に解釈することができます。物理的な世界の中にある電話のベルが鳴っているのに、それを夢の中で電話が鳴っていると解釈することができるのと同じように、私たちは、実際には夢(幻想)の外にある〈正しい心〉まで戻らず、夢の中に居続けながら、聖霊のメッセージを希釈や歪曲された形で夢の中に取り込んでしまいます。
言い換えると、幻想の中では自我の願望(眠り続けたいという願望)が優勢なので、聖霊が真理のメッセージを送ってくれていても、それは自我のレベルまで引き下げられて、その真理の「幻想バージョン」として、幻想の中に取り込まれてしまう、ということです。これが、上記の「便宜の夢」で、眠りから目覚めて実際に電話に出るかわりに、「電話がかかってきたという夢」を見て、眠り続けるということに相当します。
フロイトの理論は、世俗的な心理学として、人間であれば誰の中にでもある精神力動を解明したわけですから、『奇跡講座』を学ぶ私たちの中にもその力動があります。それによって、私たちは、無意識のうちに、「真理を夢(幻想)の中に取り込んでしまおう」として、夢から目覚めようとはしない、ということが起こります。
このように、「便宜の夢」の概念を当てはめれば、『奇跡講座』が様々に希釈解釈されたり歪曲されたりしているという現象について、私たちも納得できるような説明ができるので、この概念がしばしば解説の中で引用されている、というわけなのです。
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