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質問105: 「もう、ここには居たくない」

facim q&a

 私は長い間、『奇跡講座』を学んできました。ですから、自分がこのような考えを抱くのは変とだと思えるのですが、私は今、「本当に、これ以上、ここに居たくない」と思ってしまうのです。このような思いが私の心の奥で、毎日、何度も生じます。私に付きまとっている想念です。

 

とはいっても、このコースは自分の心を変えることについて教えているのであり、どこか他の所に行くことを教えているのではないということは、私も理解しています。私はまた、肉体の死は何の問題解決にもならないのだから、自殺は答えではない、ということも理解しています。

 

この世界から出たいという深い憧れのようなものは、実際には、「自分が自我として存在することがもたらす惨めさから逃れたい」という思いの反映なのかもしれません。でも、そこから逃れるプロセスは、あまりに時間がかかります。このことについて、何か助言をいただけますでしょうか。

 

 

回答

「自分はここに居たくないと思っている」と認識することは、『奇跡講座』の学びがもたらす、普通のことであり、予測可能な一つの結果ですが、それだけではなく、実は、非常に重要な結果なのです。このコースは、何度も、何度も、この世界は私たちの家ではないということについて、繰り返し述べています。実際のところ、ここに居たくないというまとわりつくような感覚を経験することについて、次のように美しく描写しています。

 

「しかし、あなたの中には父の家を探す幼子{おさなご}がいて、その子は自分がここでは異邦人だと知っている。・・・・あなたの父がわが子として知っているのは、この幼子である。自分の父を知っているのも、この幼子である。彼は家へ帰ることを深く絶え間なく欲しており、彼の声は少し休ませてほしいとあなたに訴えている。・・・・・・彼はわが家のことを絶え間なくあなたにささやき続ける。」(W-pI.182.4:3; 5:2-3; 7:4)

 

私たちのほとんどが、これまでずっとこの止むことなき声を心の奥底に埋没させたまま、自分の人生全体を過ごしてきたわけですから、『奇跡講座』で、イエスがその声を私たちに自覚させようとしているということは、かなり衝撃的に感じられるかもしれません。けれども、同時に、おそらく私たちが慰められるであろうことは、イエスが私たちが感じていることをよくわかってくれている、ということです。私たちが今、「自分自身だと思っているもの」の土台そのものを脅かす真理を認めなくてはならないということを、どれほど恐れているかについても、イエスはわかってくれているのです。

 

幸いなことに、このコースの中には、こうした状況を耐えやすいものにしてくれる、別のメーセージがあります。イエスは、私たちはここには居ないと告げているのです。

 

「あなたは自分自身を眠らせて、自分が自分自身に対して異邦人となり、誰か別な者の夢の一部にすぎないものとなったという夢を見たのであり、それ以外にはまったく何も起こっていない。」(T-28.II.4:1)

 

彼はさらに、これは夢にすぎず、私たちには夢の内容を制御する力があると述べています。

 

「あなたがまだ眠っている間でも、何を目的として夢を見るかにより夢を選択できるということを、奇跡は教えてくれる。・・・・夢は、あなたが見せてもらいたいと思っているものを描写するという点において、記憶と同じである。」(T-28.II.4:3,5)

 

そうすると、このことが、私たちに重要な鍵を与えてくれます。それは、私たちが「ここに居たくない」という感覚に向かい合うことを可能にし、その感覚が引き起こしている苦痛から、いつの日か解放されることを可能にする鍵です。

 

自我は、「ここに居たくない」という私たちの願望を、物理的な世界から去りたいという希求として解釈させようとしますが、これは、本質的に無駄な努力です。なぜなら、逃れるべき物理的世界は存在していないからです。

 

一方で、聖霊は、この願望を、「目覚めたい」、そして、「苦痛しかもたらさなかった心の状態から去りたい」という、完全に意味のある達成可能な希求であると解釈します。

 

ですから、「私は、これ以上、ここに居たくない」という想念を聖霊に委ねることにより、私たちはそれを、自分の外的な状況のように見えるものについての絶望的な嘆きから、自分の内的な状況を変化させるように駆り立てる「目覚めへの呼びかけ」へと、変容させてもらうことができます。そのプロセスにおいて、この世界は、不快な牢獄から素晴らしい教室へと変化するように見えてくることでしょう。

 

私たちが、一見残酷な外的な力に脅かされ、遅々として進まない岩だらけの霊性の旅路に苛立ち、ここを牢獄のように感じたくなるときには、次の言葉を思い出すといいかもしれません。

 

「この世界について別な見方がある。世界の目的は私がそれに与えた目的とは違うのだから、世界については別な見方があるはずだ。私はすべてを逆さまに見ていて、私の考えは真理とは正反対になっている。私は世界を、神の子の牢獄として見ている。それならば、世界は本当は神の子が解放される場所であるに違いない。私は世界をあるがままに眺めて、それを、神の子が自らの自由を見つけ出す場所として見たい。」(W-pI.57.3)

 

 

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