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質問107: 特別性と自我、恐れと平安、心と頭脳 (3つの質問)

facim q&a

*以下の三つの質問は、同じ人から提出されたものです。

 

質問1:  特別性と自我

「〈特別性〉という自我のゴールを無意識に強化してしまう」という意味で「自我に捕らわれてしまう」ことなく、日常生活に(職場、家庭、家族、友人たち、社会的関係などに)、『奇跡講座』の教えを適用していくことは、できるのでしょうか。

 

回答

とても良い質問ですね。私たちが〈特別性〉を維持するために用いる様々な自覚しにくい手段を自覚できるようになるには、何年にもわたる多くの努力が必要です。ある意味では、「自分はこれをほとんど常にやっている」というつもりでいる方が、「もうそんな自己欺瞞は超越できている」と考えるよりも安全だと言えるくらいです。特に、『奇跡講座』を学び始めて間もない段階においては、それが言えます。〈特別性〉というのは、自我にとっては酸素のようなものです。つまり、それがなければ自我は存在し得ない、ということなのです!

 

したがって、私たちが自我と同一化している間は、〈特別性〉を手放そうとすることは、酸素の供給源を手放そうとするのにも似たことなのです。まるで自分が生きていけないかのように感じられます。だからこそ、イエスは次のように述べて私たちを安心させなくてはならないのです。

 

特別性の死はあなたの死ではなく、永遠の命へとあなたが目覚めることである。あなたはただ、自分の本性についての幻想の中から抜け出て、神が創造したままの自分自身を受け入れるだけである。(T-24.II.14.4:5)

 

ここで助けになることは、〈特別性〉の目的を頻繁に思い出すことです。そして、その目的とは、「偽りのアイデンティティーを、神に創造されたままの私たちの真のアイデンティティーの代用にする」ということです。〈特別性〉は、「神のもとに戻るように」と心の中で私たちに呼びかけている声をかき消す、という目的に役立っています。このことは、「テキスト」の〈特別性〉に関するいくつものセクションにおいて語られていますが、特に第二十四章の最初の二つのセクション(T-24.I;II)においては、重要な主題をなしています。

 

次に、あなたはまた、「特別性の追求は、常に平安を犠牲にして為される」(T-24.II.2:1) ということがどのように起こるのか、その様を見る必要があります。〈特別性〉というものは、とても気持ち良く感じられるものです。けれども、それは途方もなく大きな代価を伴っています。私たちは、そのことについて「理解し、感じてみよう」という意欲をもたなければなりません。もしあなたが、〈特別性〉に伴う重荷を自覚するようになったなら、あなたは、「自分がどのようにしてそれにしがみついているのかを見逃さないようによく見張っていよう」という気持ちを強めるはずです。

 

 

質問2:  恐れと平安

恐れから自由でありながら、同時に完璧な平安の状態にいない、ということはあり得るでしょうか?

 
 

回答

恐れは平安に対する障壁ですから、もし完全に恐れのない状態にあるのなら、あなたが完全に平安に満たされるのを妨げるものは何もないはずです。ただし、『奇跡講座』が語っている「恐れ」というのは、この世界が語る「恐れ」とは違っています。「飛行機に乗るのが怖い」とか、「癌が怖い」とか、「批判されることが怖い」などと言うときの「恐れ」とは違うのです。それは、実は、自我の思考体系の全体を支えている「恐れ」のことであり、ひいては私たちの個人としての存在を支えている「恐れ」のことです。私たちの心の奥に潜む、「私たちは神から生命{いのち}を盗んだので、私たちを処罰し、その生命を取り返すために、神が追いかけてくる」という恐れです。

 

この恐れは、多くの形として表れますが、究極には、「私たちの防衛は、私たちを永遠に守るに充分なものではない、私たちはいずれ捕まり、罰せられ、痛ましくも無へと消滅させられるだろう」という恐れです。それは、今この瞬間において、自分の存在は無意味だ、自分自身が無意味だ、という恐れです。

 

そのレベルの恐れを手放すときは、私たちはまた、自分をそこに導いたものをも手放すことになります。つまり「自分は神から分離することで、神を攻撃した」という偽りの信念をも手放すことになるのです。そうすれば、私たちは平安に満たされるはずです。

 

 

質問3:「心の働きが頭脳とつながっている」と感じられることについて

 

どうして私は、いまだに、「心の働きが頭脳の働きとつながっている」と感じてしまうのでしょうか? それは普通のことなのでしょうか? どうすればこの幻想を超越できるのでしょうか?

 

 

回答

そうです、そのように感じるのは普通のことです。その「つながっているという感覚」を断ち切るのは、きわめて難しいことです。なぜなら、そのとき、真にあなたがしようとしていることは、あなた自身の自己認識を肉体から心へと移行させようとすることだからです。そうしたことは〈赦し〉の実践を通して、あなたが自分の自我から分離していくにつれて、徐々に達成されていくことなのです。

 

もしあなたが、「自分は時間と空間の外側にある心である」という自己認識をもつということが、実際にどのように感じられることなのかを、しばらく思い描いてみようとするなら、あなたは自分の抵抗を実感し始めることでしょう。自分というものについてのあなたの感覚が、根本的に変化し、それは、はっきりと脅威として知覚されるはずです。

 

頭脳を備えた自分の肉体を、単なる操り人形のような存在であると知覚するというのは、普通は歓迎できるような知覚ではありません。だからこそ、このプロセスは一夜にして達せられることはないのです。そして、だからこそ、この変化を起こすために、あなたは必要なだけの時間をかけなくてはならないのです。

 

 

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