質問116: 肉体の癒しについて
『奇跡講座』の中には、「肉体の癒し」について述べているように見える文章がたくさんありますが、それについて説明してください。
私が見る限りでは、このコースは、自分の実相について誤って知覚している私たちの心を癒すプロセスについて、非常に明確に語っている一方で、「健康な肉体は、癒された心の結果である」ということも同じく明確に述べているように思えます。
このことは、『奇跡講座』を学ぶ者としての私個人の生活においては、どういう意味をもつのでしょうか? これらの文章さえなければ、私は、自分の体やその健康状態をまったく無視して生きることに満足できると思うのですが・・・。
私が怪訝に思っているのは、「癒された肉体」というゴールは、このコースの教えの主眼点ではないにもかかわらず、聖霊の声に従えば達成できると期待していいゴールのようにも見えるということです。もし、そうしたことは私たちが考えるべきことではないのなら、どうしてイエスは、わざわざこのようなことに触れているのでしょうか?
回答
あなたのおっしゃる通り、「癒された肉体」というのはイエスの教えの主眼点ではありませんし、私たちの実践のゴールとすべきものでもありません。イエスが肉体についてこのように多くのことを語っているのは、「肉体は重要で、実在する」と彼自身が考えているからではなく、私たちの方が「肉体は重要だ」と考えているからです。また、私たちを心から引き離しておくという自我の戦略の中で肉体がもっている目的を、私たちがまだ認識していないからです。
自我の戦略の重要な部分は、私たちに「自分の肉体は外からの諸々の力によってすぐに傷つく」と思わせておくことです。つまり、病気も癒しも外側からやってくると思わせる、ということです。それゆえ、イエスはそれを訂正しようとしていて、そのために、心と肉体の間にある因果関係を私たちに教えているのです。それが、イエスによる「癒された肉体」への言及のすべてが意図していることです。焦点となっているのは、本当に、「心の力」の方なのです。「癒された健全な肉体をもつこと」ではありません。
もしあなたが、肉体が癒され得るということだけを学ぶのであれば、奇跡は無益である。なぜなら、そのようなレッスンを教えるために奇跡が送り出されたわけではないからである。レッスンは、肉体が病気になり得ると考えた心こそが病んでいたということ、そしてその心による罪悪の投影は何かの原因となったことはなく、何の結果ももたらさなかったということである。(T-28.II.11:6-7)
これが、彼が重視していることです。
けれどもイエスは、私たちが最も理解しやすい身近な環境の中で、聖霊の思考体系について私たちに教えているのです。その環境とは、ほとんどの人にとって、この肉体の世界です。それゆえ彼は、私たちが究極的には肉体ではないということを、肉体という環境を使って私たちに教えようとしているのです。けれども、自分は肉体ではないという認識が訪れるのは、長いプロセスの最後においてであり、ほとんどの人々にとって、そのプロセスが完了するまでには非常に多くの年月がかかります。ですから、私たちの肉体をただ無視することは、『奇跡講座』の原理を学び、適用するためのたくさんの機会を自分に拒むことになってしまいます。私たちの身体的・心理的必要や経験こそが、イエスが使えるカリキュラムを構成しており、それを通して、どうすれば、私たちが自分の肉体レベルの経験を、分離を強めるのではなく取り消すのを助けるような形で解釈し知覚することができるかを、私たちに教えてくれているのです。
「酸素や食物がなければ自分は死ぬ」と思っている間は、私たちは依然として自分が肉体だと思っています。そして、「実在する」と自分が今も信じているものを無視したり軽視したりすることは、私たちの霊的成長を阻むものとなります。
この点についてイエスは次のように私たちに警告しています。
肉体は単に、この物理的世界におけるあなたの経験の一部であるにすぎない。その能力については過大評価され得るし、実際にしばしばそうされている。しかし、この世界においてはその存在を否定することはほとんど不可能である。そうする者たちは、否定の中でもとりわけ無価値な形の否定に携わっていることになる。
(T-2.IV.3:8-11)
繰り返しますが、焦点は常に、私たちの心や考え方を訓練することです。そうすれば、最後には、私たちはもはや限定されることを選択しなくなります。これは、単に肉体を無視することとは大きく違っています。「テキスト」第十八章の「肉体を超えて」というセクションは、次のように述べています。
そこで真に起こっていることは、あなたは限定された自覚という幻想を手放し、融合に対する恐れを失ったということである。
(T-18.VI.11:7)
イエスは私たちがこの段階に到達するための方法を教えているのです。