質問117: 統合失調症の私と『奇跡講座』
『奇跡講座』も、私の統合失調症と同じく、もう一つの狂った思考体系ということはないでしょうか?
私は『奇跡講座』の勉強を始めたばかりで、いくつか、初歩的な質問があります。この世界の思考体系から自分を解放し、それが幻想だと受け入れるということが、私にはなかなかできません。このコースの中の概念を勉強するようになってから、何度か恐ろしい夢を見たのですが、それでも同時に、私はこのコースが自分にはすごく適しているとも感じているようなのです。『奇跡講座』の中に書かれていることは真実だとわかります。でも、真理を見ることができるように自分の古い考え方を捨て去るにはどうすればいいのかが、私にはわからないのです。
私は統合失調症であると診断されているのですが、そのことがこの質問の内容に関連しています。というのは、私は過去において、狂った思考体系を受け入れてしまったことがあって、それが間違っていたということが後で自ずと明らかになったことがあるのです。要するに、私は、過去に自分が非常に間違っていたので、再び自分を何かに没頭させることが怖いのです。どうか、私の観点に立って、このことを眺めてみてください。私にとって問題となっている事柄は、私の心の中では本当に実在する問題なのです。自分の想念や感情をコントロールすることができないのに、同時に、真理や神の愛を希求しているというのがどのような状態なのかについて、どうぞご理解ください。
回答
おそらくあなたを安心させるであろうことから述べましょう。あなたがご自分の人生で遭遇されてきた諸々の問題や、この世界がそれらの問題に与える診断がどういうものであれ、『奇跡講座』が教えているのは、「より深いレベル ― 真に重要な唯一のレベル ― においては、あなたはほかの誰とも少しも違ってはいない」ということです。私たちはみな、同一の「自我の精神疾患」つまり「心の病気」を共有していて、実在しないものを信じ(T-13.V.6:1-2)、真理に対抗して防衛するという完全に機能不全の状態にあるのです。というのも、 イエスが言っているように、「すべての病は心の病である」(P.2.IV.1:1)からです。私たちの誰もが自分の病気をそれぞれ違った形で表現するだけのことです。
だからといって、あなたが個人的に遭遇している特定の困難な状況が些細なことだと言っているわけではありませんし、そうした状況のゆえにあなたが『奇跡講座』の教えの有効性や価値に関するご自身の判断を信頼できるかどうかについて特別な懸念を抱いているということを、取るに足らないことだと言っているわけでもありません。それでもやはり、こうした質問を提起するのは、あなただけではないのです。
もしあなたが、この世界は幻想だという『奇跡講座』の形而上学的前提についての考察を一瞬でも脇に置いて、単に、誰にでも普遍的に共有されているようであるただ一つの問題(すなわち、「自分はしばしば罪悪感や恐れにより身動きができなくなっている」という、私たち全員が助けを必要としている問題)に、焦点を合わせることができるなら、あなたもそうした罪悪感や恐れを解消させるための『奇跡講座』による「特効薬」である赦しを受け入れたい、という気持ちになるかもしれません。
〈赦し〉が意味しているのは、「この世界や他者についての自分の判断は、ただ間違っているだけなのかもしれない」と受け入れる意欲をもつことにすぎません。あなたは、「この世界の実在性を否定する」ということから始める必要はないのです。必要なのは、この世界についての自分の解釈の正当性を否定しようという意欲だけです。あなたの人生におけるこれまでの経験を思えば、あなたはこのことを、受け入れ難い前提だとは思わないはずです。
そして、このステップがあなた自身を解放し始めるのを助けることになります。心の中であなたが自分自身やこのコースの価値について疑問を抱くようにさせている恐れや罪悪感から、あなたを自由にすることになります。あなたが恐れや罪悪感から少し距離を置くことができるようになるにつれて、『奇跡講座』が自分にとって適切な道かどうかがもっと明確になってくるはずです。『奇跡講座』が最終的に自分の道となるか否かは、あなたが最初から知る必要のないことです。また、それを知らなくても、赦しについてのこのコースの優しい教えから、あなたが何らかの恩恵を得ることはできます。
その教えが示唆している多くの事柄の中に含まれていることの一つは、あなたの言われているような「真理を見ることができるように、自分の古い考え方を捨て去る」といったことは必要ない、ということです。単に、自分の古い考え方を尻込みせずに正直に見て、裁き/判断がもたらす痛ましい制限と結果を認めることにより、あなたは次第に、その古い考え方を知的な道具として価値あるものとは思わなくなってくることでしょう。古い考え方に積極的に抵抗したり、それと格闘したりする必要はありません。実は、そうした抵抗は、単に、古い考え方に力を与えるだけです。なぜなら、抵抗するということは、その考え方が実在していて、克服されるべきものだと言っていることになるからです。そのかわりに、優しい眼差しで見るなら、その考え方はただ溶け去っていきます。もともとそれは無でしかないのです。
あなたは、現在、ご自分の症状のために治療を受けたり、薬を飲んだりしているかどうかについては述べておられませんが、『奇跡講座』の中には、外側からの助けを求めてはいけないというようなことは何も書かれていません。自分の限界を認め、自分が受け入れることのできるレベルと形において助けを求めるというのは、『奇跡講座』の教えと何ら葛藤するところはありません。(T-2.IV.4-5)