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質問123:アファメーションは、『奇跡講座』を学ぶ助けになりますか?

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 アファーメーションは、神と私たちとの関係を学び直すときの助けになりますか? 

私がどういう種類のアファーメーションについて言っているかをわかっていただけるように、いくつかの具体例を挙げてみます。

例えば、こういったものです:

 

「私は神の愛の中で安全である」
「私は光であり、愛である」
「私の内なるキリストが私の平安であり、豊かさである」
「私の兄弟は、完璧性から生じている、彼はキリストである」等々。

 

このようにして、自分と神との関係を肯定することで、私たちは神をよりよく知ることができるようになるでしょうか?

 

 

回答

そうした美しい文言は、『奇跡講座』の教えのいくらかを反映してはいますが、それらを繰り返して言うことは、私たちと神との関係に真に影響することはありません。それには重要な理由があります。それは、神との真の関係は、分離を信じることによっても全く変化してはいない、ということです。これまでもずっとそうであったように、そしてこれからも永遠にそうであるように、私たちは神とひとつです。けれども、私たちは、分離することを選択した結果、この真理を忘れ果てています。「忘れる」ということは、分離を選択した結果ですから、「思い出す」ということは、分離を選択しないことによって起こります。

 

これが、単純な問題に対する単純な答えなのですが、私たちは自分の抵抗によりそれを非常に複雑なものにしています。もし私たちが本当に神との一体性を経験したいと望んでいたなら、既にそれを経験していることでしょう。けれども、私たちは抵抗しています。それはなぜかと言えば、私たちは自分が神を思い出したいと望んでいると思っているとはいえ、自分が自我を忘れたいかどうかについては、完全な確信がないからです。これは、〈分裂して二分されている心〉の反映であり、その分裂は、自我を選ぶことにより神を否定するという選択から生じたものです。テキストは私たちに次のように告げています。

 

「あなたの心は神の心とひとつである。このことを否定して、別のことを考えたことによって、あなたの自我はなんとか保たれてきたが、あなたの心は文字通り分裂してしまった。」(T-4.IV.2:7-8)

 

ワークブックが、いくつかの文言を繰り返すようにと勧めている時、その意図は、私たちが自分の考えていることに注意を向けて、いま学んでいる新しい思考体系を自分の生活のあらゆる物事に適用することが可能になるよう、私たちの心を訓練することにあります。ですから、反復のゴールは、私たちの心を「・・体系だった方法で訓練し、世界の人やものごとのすべてについて、これまでとは異なった知覚に導くことである。これらの演習は、レッスンの学びを普遍化する助けとなるよう計画されているので、あなたはいずれ、どのレッスンも、自分の目にする人やものごとのすべてに等しく適用できるということを理解するようになる」(W.in.4:1-2) ということです。

 

『奇跡講座』は私たちに、自分の罪悪感を明るみに出し、その闇を真理の光のもとに運ぶようにと教えています。アファーメーションにより光を闇の中に取り込むのではありません。そのやり方では罪悪感を隠蔽してしまいます。もし、私たちの罪悪感が隠れたまま存続するなら、私たちの無垢性という真理によって、それが取り消されることはあり得ません。ですから、『奇跡講座』が教えている反復は、他の霊性の教えの中で使用されているアファーメーションが目的としているのと同じことのために使われるものではありません。

 

繰り返しますが、『奇跡講座』の最も重要なゴールの一つは、私たちが自分の裁きの想念に徐々に気づいていけるように、そして、それらの源は分離の想念であることが識別できるように、私たちに教えることです。この訓練プログラムが必要とされる理由は、私たちは、自分と神との一体性を忘れているだけではなく、「それを忘れる」という選択をした心があったこと自体も忘れ去っているからです。この忘却には目的がありました。心を忘れたままでいることが、自我による強力な防衛だからです。アファーメションでは、「目的を持った否認」があとに続いたこの「目的を持った選択」を取り消すことはできませんし、神との一体性について学ぶこともできません。

 

「分裂した心で完全なる愛を学ぶことはできない。なぜなら、分裂した心は自らを未熟な学習者としてしまったからである。」(T.12.V.4:3)

 

そういうことであれば、分裂した心を癒すことこそが、私たちが求めていることであり、それにより、私たちは神との不変なる関係を思い出せるようになるのです。『奇跡講座』は、この癒しは、赦しのプロセスによって達成されると教えています。そのプロセスにおいて、私たちは「自分には心がある」ということを学び、それから、「自我ではなく聖霊を選ぶ」ということを学びます。

 

私たちはまず最初に、「実は、自分が神を否定することを選択した」ということに気づかなくてはならないのですが、アファーメーションはその選択を覆い隠してしまいます。自分の選択に責任を持つことが、私たちが「自分には選択の力を持った心がある」ということを学ぶ方法です。それによって、私たちは「神を否定しない」という選択をすることができるようになります。そして私たちは、「自分が神を否定した」という選択が自分の人生に反映されているのを認識することを学びます。その反映は、私たちの毎日の日々を裁きと攻撃であふれさせている全ての分離の想念の中に見出すことができます。

 

これらの想念の中に、「神から分離するという自分の決断」を見ようとする意欲をもつことが、赦しの始まりです。それにより、神の記憶を遮断している罪悪感や恐れを放棄することを、最後には承諾することになります。

 

ですから、私たちが神との関係を再び自覚できるようにするために、『奇跡講座』が教えている道が〈赦し〉なのです。そして赦しが行うことは、世界と肉体という幻想の中で流刑の身となっているかに見える私たちの境遇の原因である「分離の想念」を取り消すことなのです。

 

もし私たちが、ワークブックの演習を行う際に、こうしたステップについて明確に理解しているなら、「肉体を持った個人として神と関わることにより、真理/神を幻想の中へ取り込むことができる」と考えるような誤りを犯すことはないでしょう。あるいは、もしこのような誤りを犯すことがあっても(そして、それは私たちの誰もがよくやってしまうことですが)、私たちは聖霊のカリキュラムに即したワークブックの演習に、速やかに戻ることができます。

 

あなたは、ワークブックのレッスンを行うことを思い出すための方法として、あるいは、その日のどこかで赦しを具体的に適用するための方法として、アファーメーションが助けになると感じているかもしれません。けれども、アファーメーションだけでは、私たちが神の愛を再び自覚できるようにはなりません。重要なのは、私たちが否認してきた「分離するという選択」を私たちの前に再び映し出してくれる「裁きの想念」を、油断なく、観察するという態度を習得することです。

 

この否認こそが、「愛の現存を自覚できなくしている障壁」(T.in.1:7)を保持し続けるのですから、自分が選択したものと、その選択に伴われる苦痛を認識することで、自分には違った選択をする力があることを学びますし、そのようにしたいという気持ちにもなります。これが、『奇跡講座』が私たちに提示している道です。自分は最初から「神の内なるわが家」から一度も離れたことはなかったということを、私たちが再び自覚するところまで導いてくれる道です。

 

「神に向かう旅とは、自分が常にどこに居るのか、そして自分は永遠に何であるのかについての智識を、再び目覚めさせることにすぎない。それは距離のない旅であり、一度も変わったことのないゴールを目指している。」(T.8.VI.9:6,7)

 

 

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