質問131: 〈特別な関係〉が終わって傷ついているとき
私は最近、ある〈特別な関係〉を聖霊に委ねました。相手から「この関係がもたらす精神的苦痛が大きすぎる」と言われたからです。私は『奇跡講座』の教えを知っていますから、私の心の中だけでも、その関係が少しずつ「善意と喜びに満ちたもの」になっていくのではないかと思っていたのですが、そうならないことが理解できません。この関係はまだ私に心痛を引き起こしていて、明けても暮れてもその人のことを考えています。彼を「肉体」として見ないように努めていますし、〈特別な愛〉の想念を投影しないようにしているのですが、少しも楽になる気配がありません。私は何か間違ったやり方をしているのでしょうか? 私にできることは、彼のために祈り、その関係を聖霊に委ねることくらいしかないのですよね? 『奇跡講座』には、私たちの心は繋がっていると書かれていますが、それは彼も同じことを考えているという意味なのでしょうか? 私はとても混乱しています。
【回答】
その混乱を解消するためには、あなたは『奇跡講座』についての重要な事実について理解する必要があります。このコースが語りかけている相手は、この夢の中であなたが「自分」だと考えている個人としてのあなたではありません。あなたの心の中(すなわち、時間と空間という幻想の外側)の「決断をする部分」に語りかけているのです。その〈決断の主体〉には、自我の思考体系か聖霊の思考体系かのどちらかを選択する力があります。ですから、「心は繋がっている」と言われているのは、あなた個人の心が、この世界の中で他の個人の心と繋がっているという意味ではありません。そうではなく、私たちはみな同じ源から生じてきて、同じ思考体系を共有しているがゆえに、私たちの心はすべて実相の中では繋がっている、という意味です。私たちは皆、罪・罪悪感・恐れという自我の思考か、すべてを包含する〈神の愛〉の記憶により喚起される愛と赦しという聖霊の思考か、どちらかを考える能力を持っています。
このコースは、他人を「肉体」と見ないようにするために苦しい努力をするとか、自分の〈特別な愛〉の思いをその人に投影するのをやめるといったことを、あなたに求めてはいません。そうではなく、あなたに心痛を引き起こしている思いのすべてを、裁くことなくただ眺めることができるように、聖霊に助けを求めなさいと言っているのです。そうすることにより、あなたは自分が執念に囚われたり、寂しさを感じたり、落ち込んだりしているときでも、自分自身を受け入れることを静かに学ぶことができるのです。そうするにつれて、あなたの心は次第に善意と喜びに満ちた場になり、それが人間関係におけるあなたの経験にも反映されるようになります。だからといって、形態においては、自分が望んでいると思っているものを常に他人から得られるというわけではありません。けれども、外界で何が起ころうとも、あなたは以前より幸せで心安らかになり始めるでしょう。なぜなら、あなたが求める愛はあなたの内側にあって、他者から受け取る必要があるものではないということが、あなたにわかるようになるからです。
最後にもう一言。このコースは、私たちの心を変容させるための道筋を示しています。その変容は、究極的には、私たちがこれまで知っていた平安と幸せの感覚を遥かに超越するようなものへと私たちを導いていくことができます。しかし、それは少しずつ進む緩やかなプロセスであり、それと同時に、私たちの恐れや抵抗のゆえに、時には私たちを以前より恐れさせたり、混乱させたり、さらに落ち込ませたりするように見えることがあります。このため、このコースの原理を私たちの様々な問題に適用しようとする際には、それが私たちを絶望から喜びへと即座に導く「即効薬」のようなものと考えないことが重要です。このコースを学ぶ私たちには、「あなたが抱いている価値観のすべてを疑ってみようとする」(T.24.in.2:2)ことが必要となるような困難な時期もありえる、ということを覚えておくとよいでしょう。