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質問135: 他の人々の苦しみは、私の心の中だけにあるのですか?

facim q&a

『奇跡講座』の形而上学的理論との関連において、私は以下の疑問点についてしばらく前から気になっていました。

他の人々の苦しみは、どのくらい実在性のあるものなのでしょうか? 「自分には苦しみ(悲しみ、痛みなど)があると知覚している人々」というものが、私の外に存在しているのでしょうか? それとも、人々についてのこうした知覚は、私の心の中だけにあるものなのでしょうか?

もっと具体的に言いますと、他の人々が(特に私の元妻が)、いろいろな種類の問題を抱えていると知覚することには、私にとって、何かひっかかるものがあるのです。(もちろん、実生活のレベルでは、私たちは常に、人々の助けになることなら何でもするべきだということは、わかっていますが。)でも形而上的なレベルから見るなら、そうした知覚は、単に、私の心の中にある苦しみについての知覚にすぎず、「他の人々の中にある」という意味での「外にあるもの」ではない、ということなのでしょうか?

 

回答

その通りです。苦しみは本当に、「外」にあるわけではないのです。なぜなら、外には、本当に何も無いからです。分離の夢の中で知覚されるものは何であれ、「自我に耳を傾けるか、聖霊に耳を傾けるか」という心の選択の反映です。『奇跡講座』の教えによれば、すべての苦しみは、「神がわが子と共有している一体性が、分離の夢によって粉々に砕かれることがありえる」という信念によって引き起こされている、と教えられています。「分離している」ということが、そのまま、「苦しむ」ということと同じなのです。ですから、形態において苦しんでいるように見えるか否かにかかわらず、分離を信じている人は誰でも苦しんでいます。自我の「喜び」さえも、苦しみのカモフラージュであり、分離という幻想を信じ続けることがもたらす苦しみを、心に気づかせないための目くらまし戦法なのです。



したがって、最初に覚えておくべきことは、すべての分離した者たちが苦しんでいる、ということです。神がご自身とひとつのものとして創造したのが神の子だというのに、その神の子の心が、「苦痛に満ちた物理的宇宙の中で肉体の中に生きる存在として限定されてしまうことが可能だ」と信じました。そう信じたことから生じている壊滅的な結果ゆえに、誰もが苦しんでいる、ということなのです。人生の浮き沈みや、快楽や苦悩は、自我の思考体系を受け入れたことから生じた苦しい結果に気づかせないようにするための、自我の企みの一部です。だからこそ、このコースの学習プロセスの重要な部分の一つは、肉体を持った人生の経験の根底にある不幸に触れることなのです。



このことについては、以下のように、全く忌憚なくきっぱりと述べられています。

 

ひたすら不幸に献身しているあなたは、まず最初に、自分が惨めであり、幸せではないと認識しなければならない。聖霊はこの対照性なくしては教えることができない。というのも、あなたは不幸こそが幸福だと信じているからである。(T-14.II.1:2-3)


肉体たちの住むこの世界で「幸せ」を見つけるために費やされた努力やエネルギーについては、歯牙にもかけないような物言いです。(笑)


 
分離して肉体と同一化するという心の決断は、痛ましいほどの真理の歪曲であり、苦痛を引き起こすことにしかならない虚偽に他なりません。すべての苦しみの源はそこにあります。他人の痛みを知覚することによって引き起こされるかに見える動揺を含めた「すべての苦しみ」の源が、そこにあるのです。ですから、あなたのおっしゃる通りです。他の人々の苦しみによってあなたが動揺するというのは、あなた自身の苦痛がそこに反映されているということなのです。


このことは、他人の痛みに無関心になっていいという意味ではありません。このコースが教えているように、真の共感とは、「他人の痛みに動揺するとき、自分も相手と同じくらい痛みを抱えている」ということを理解することから始まります。どちらも同じ間違いを犯しています。自我と同一化することを選択したという間違いです。また、どちらも、別な選択をすることのできる心を持っています。このような考え方をすることで、痛みの真の原因が明らかになり、真の癒しへと心を開くことができます。それと同時進行で、形態のレベルでは、自分自身や他の人を慰めるために役立つと思われることは何でも行うのは、もちろん順当なことです。


このコースの究極のゴールは、私たちが分離の夢から目覚めることによって、すべての痛みと苦しみから解放されるように私たちを導くことです。これは、赦しのプロセスを通して罪悪感が取り消されたときに達成されます。幻想を信じる信念が弱まるにつれて、罪悪感が薄れて行き、それによって苦痛も和らぎます。赦しの一瞬一瞬が、心の中の分離の想念の癒しを発動させます。ですから、自分自身の苦しみであろうと、他人の苦しみであろうと、「苦しみ」に対する最も思いやりのある反応とは、赦しによる癒しが知覚を変容するままに任せようという意欲なのです:

 

死にかけた世界が求めているのは、単に、それが癒されるように、あなたがほんの一瞬の間、自分自身への攻撃をやめることだけである。(T-27.V.5:5)

 

[2024年4月1日]

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