質問142: 繰り返される不幸のパターン
つい最近、気が付いて、ショックを受けたことがあります。それは、およそ5年前に私の生活の中で起こった一連の出来事(複数の友人を次々と失い、仕事も、家も失いました)が、今、当時と似たような状況の中で、同じような形で繰り返されているようなのです。すべてが崩壊しつつあるように思えます。
私は当時と同じことを繰り返したくありません。5年前のそれらの出来事の後に続いた状況は、私の人生で最も暗く、孤独で、貧困に苦しんだ時期だったからです。私は自分が、大規模なリアリティー番組を装った詐欺のようなものの被害者であるかのように感じています。そして、それを阻止することは私にはできないように思えて、恐怖を感じます。自らを守ろうとしている自我が、攻撃を甚だしく激化させているように思えます。私が自我を手放してしまわないように、自我が私の人生に酷い状況を作り出しているかのようです。
このようなことが起こるのを阻止するために、私にできることは何かあるでしょうか? ある友人の話によれば、こうした出来事が最初に起こったときに、私は特定の進路の方向へ進む選択をすべきだったのに、それをしなかったために、今度こそ正しく選択できるように、今、同じ状況が繰り返されているのではないか、とのことです。もしかすると、私は些細なことに過剰反応しているのかもしれませんが、もし再び、すべてが崩れ去るような状況になって、それを私が変えることができないというのなら、せめて、何が起ころうと心の平安を保てるようになりたいものだと思うのです。
回答
あなたが『奇跡講座』を学習中なのかどうかについては述べられていませんでしたが、自我が何を企んでいるかについてのあなたの推測からは、あなたが『奇跡講座』の原則について、ある程度は理解されていることがわかります。「テキスト」の中にも、以下のような一節があります。
試練とは、以前に学びそこなったレッスンが再度あなたの前に提示されているものに他ならない。 したがって、あなたは、前回は選択を誤ったところで今回はよりよい選択をすることができるようになり、そうして、以前の選択があなたにもたらしたすべての苦痛を免れることが可能となる。 (T.31.VIII.3:1)
けれども、ここで言われていることは、常に、他者についての私たちの知覚の<内容>である「裁き」と、そこから生じる苦痛に関することのみなのです。私たちの人生で展開されるかに見える出来事の、具体的な形態について述べているではありません。そして、『奇跡講座』の中には、「正しい方向に進めるまで、痛みや苦悩のサイクルを繰り返さなければならない」などと書かれてはいません。そうだとしたら、それはまるで、返済されなければならない何らかの「カルマの負債」のようなものが存在する、と言っていることになります。そういったことは、自我の思考体系の中では真実かもしれません。でも、そもそもこのコースの目的は、私たちが自我の思考体系を退けて、正気を選択できるようになるために、そうした自我の狂気を暴き出すことなのです。
それには、どうすればいいのかということですが、私たち全員が学ばなければならないのは、自分の心の中の決断を意識化することです。かつてその決断をしたことにより、私たちは、自分自身を「自分が犯したすべての罪ゆえに、処罰されるに値する罪深い罪人」と見るようになっているのに、今はその決断が無意識の中に埋もれています。それらの「罪」というのは、「私たちに愛のみを差し出している神を、私たちが攻撃した」と見なされた最初の「罪」から始まったものでした。
そのように、私たちが「自分は愛を攻撃した」と心の奥底で信じているということは事実なのですが、その信念について意識しなければならないというのは、その信念の妥当性を疑問視できるようになるためです。また、その信念に必然的に伴うものだと私たちが信じている苦悩や痛みについても同様に、それらを意識しなければなりません。なぜなら、私たちの人生で起こる出来事に、必然性はないからからです。さらにもっと的確に言えば、私たちの人生で起こる出来事に対して私たちが付与する解釈も、必しもそう解釈しなければならないというわけではないのです。
言い換えれば、私たちは生活の中で起こっているように見える出来事から、自分は被害を受けていると感じることはできますが、その「被害を受けている」という感じ方は、あくまでも一つの解釈にすぎません。そして、もし私たちが、「外界の出来事に対して解釈を付与するのは自分である」ということを受け入れてもいいと思えるなら、そのとき、私たちはイエスとつながり、別の解釈を提供してもらうことができます。その解釈とは、「誰にも罪はない」という解釈ですが、その「誰にも」の中には、特に自分自身も含まれているということを忘れてはいけません。
そのようにして、将来についての恐れを煽り立てているのが自我であることをあなたが認識して、さらにそれはあなた自身についての間違った前提に基づいた恐れであると理解し始めるなら、あなたはその声に耳を傾けることを続けるべきかどうかについて、疑問を抱き始めることができます。なぜなら、その声は、誰の幸せも願っていない (T.15.VII.4:3)からです。けれども、あなたがひとたび自我の声を退けるなら、その奥には別の声があります。その別な声は、常に、あなたの完全な幸せ(W.pI.101)のみを意志しているのです。
[2024年10月16日]