質問148: 自己主張について
「権威の問題」についての質問です。
幼い頃、私がよくやってしまう癖のような行為があったのですが、父に、「そんなことは、男の子のすることではないからやめなさい」と言われました。でも母は、それを「かわいらしい」と思ってくれて、成長すれば自然にやめるだろうから放っておけばいい、と言いました。ところが、今では、それが私の性格や人々との関わり方の一部になっています。
この自己主張が「権威の問題」であるとしても、私はこのままでいいのでしょうか? それとも、たとえ私たちにとって、自己主張を手放すことが、自分に恐れを抱かせるものであったとしても、『奇跡講座』は、私たちにそれを手放すよう求めているのでしょうか?
回答
『奇跡講座』は、霊性における進歩のために何かを犠牲にするようなことは、私たちに求めていません。そんなことを求めるのは、「自我の神や自我のイエス」だけです。本当のイエスが私たちに求めるのは、私たちの価値観と行動に関して、「それは何のためのものか?」、「それがどんな目的に役に立つのか?」と問う習慣を養うということだけです。彼は、私たちは常に二つのうちのどちらか一つを選択するという決断をしている〈決断する心〉であるということを、私たちにもっと自覚してほしいと思っているのです。その二つの選択肢とは、「神や他者から分離し続けるか」、または、「自分の〈分離〉の想念を取り消して、私たちはみな同じ利害を共有し、究極的には同じアイデンティティーを共有しているということを学ぶか」、どちらか一つを選ぶ選択です。それこそが、「私たちが何を行なって、何を考えているか」ということについての、唯一の適切な意味なのです。
ですから、もしあなたが言及されている行為について、「目的」という文脈で考えてみるなら、そこで何が起こっているのかを、よりよく理解できるかもしれません。そうすれば、あなたの関心の対象は「行為」から「心」へと移り、あなたの救いは行動レベルの変化に依存するものではないということに、気づくことができるようになります。
自己主張というものは、自我の理想です。とはいえ、長年の間、その反対のことをしてきたことに対する修正として、自己主張の段階を通過することは、必ずしも悪いことではありません。自我のかわりに、イエスや聖霊を内的なる教師として選んでいるとき、あなたは「すべてのものやすべての人に愛と優しさだけで応える愛」の中心に居ます。心の中のそうした状態が、その後、あなたの人生の様々な状況において、適切な形で表現されることになります。
それは、主張の一形態であるかもしれませんが、差異を強調して、敵対的な人間関係へと導く「自我バージョン」の自己主張とはなりません。あなたが心の中で自分が選択している目的を明確にすることに集中すれば、そこからあなたの行動が流れ出るようになり、葛藤の中にいることはなくなります。あなたの思考と行動の間に一貫性が生じます。この一貫性が、イエスが「正直さ」と呼んでいるものであり、これが〈神の教師〉の二つめの特徴 (M.4.II)です。『奇跡講座』は、実は、私たちが行動のレベルで何をすべきかについては何も語らないのです。
最後に、あなたのご質問の中の情報だけでは、あなたの問題が単なる「権威の問題」なのかどうかを判断するのは難しいということを、付け加えておきます。いずれにしても、私たちは皆、権威者との関連で問題を起こしがちであることは確かです。その理由は、私たちが「自分は神を犠牲にすることによって自分の存在を獲得したので、神は私たちを罰し、私たちが神から奪ったものを取り返すために、私たちを追いかけてくる」と信じているからです。
(※「権威の問題」については、もう一つのQ&A【質問149】も参照してください。)
[2025年4月30日]