質問21: 『奇跡講座』の「知的」レベルについて
どこかで読んだり聞いたりしたことですが、『奇跡講座』はすべての人のためのものではないとのこと、また、何人かの『奇跡講座』権威者は、このコースはどちらかと言うとインテリ層や教養ある人々のために意図されたものであるとまで発言しているとのことです。
私にはこのような言明は非常に危険だと感じられます。こういった主張は本当のことなのでしょうか。むしろ、分離を通して救済を追求する一つの形にすぎないのではないでしょうか。つまり、『奇跡講座』を理解して実践できるだけの教養ある人々という、特定の種類の人々の中に一つの〈特別性〉のレベルを設けたいという願望なのではないでしょうか。
そのような言明と、「テキスト」の中の「すべての者が招かれている」という記述とをどのように和解させればいいのでしょうか?
回答
あらゆるタイプの人々が『奇跡講座』から恩恵を受けることができます。このコースから学び、それを自らの霊性の道とするためには、その人が知識人である必要はありません。けれども、ご覧になればすぐにおわかりのように、『奇跡講座』は、知的に高いレベルで書かれており、三部作のどこを見てもその教えには、高度な形而上学的、神学的、心理学的な概念が統合されています。その大部分は、無韻詩の形で書かれています。ですから、こうした分野に知的に興味をもたず、素養もないという読者や学習者は、このコースのかなりの部分を理解するのに困難を覚えることになります。
けれども、だからと言って、そうした人にとって『奇跡講座』を読むことや「ワークブック」の演習を実行することが助けにならない、というわけではありません。もしその人が、このコースに出会った後、より愛情深くなり、神の愛に安心感を抱くようになり、怒りや憂鬱や恐れなどを感じることが少なくなっているのであれば、このコースの目的は達せられたのです。他方で、高度な教育を受けた人々でも、様々な理由から、『奇跡講座』はまったく肌に合わなくて理解できないと思う人々は大勢います。こういう人々は、自分たちの必要や傾向にもっと適した別の道を見つけることでしょう。
ですから、『奇跡講座』はすべての人のためのものではないという発言は、このコースが意図的に人々を除外していると言っているのではないのです。『奇跡講座』自体が、このコースは、他にも何千もある普遍的なコースの形態のうちの一つにすぎない(M-1.4)と述べています。
このコースがすべての人のためのものである必要はないのです。いくつかの宗教は、自らが唯一の真の宗教であり、神と和解する唯一の道だと言明しています。『奇跡講座』はそのようなことは言いません。そうではなく、その全体が一貫して示唆していることは、すべての人が最後にはその人を神のもとへと導く道を見出すだろう、ということです。
その道が『奇跡講座』である必要はないのです。