質問25: 『奇跡講座』に関する疑念について
20年以上前、このコースに出会って間もないころ、私は一つの疑念に悩まされました。
それは、このコースはヘレンとビルによる創作なのではないのだろうか、というものでした。つまり、二人には精一杯の善意があったとはいえ、これは一種のプロジェクトか実験のようなものだったのではないだろうか、ということです。フロイト、プラトン、シェークスピア、聖書などといった、ヘレン自身からの影響を考えると、これは誰かが創作できるものであるようにも思えます。
以上のことは、単に、私個人の地獄のような生活から私を救う答えとなるもの(『奇跡講座』のこと)が「真理でなかったらどうしよう」という、私の怖れだったということが、今はわかります。このような疑念を抱くのは、私だけでしょうか?
回答
あなたが言われているような何らかの疑念を一度も経験しない人は、ごくわずかです。「用語の解説」の最後にある「エピローグ」の中で、疑念や、絶望さえも、生じることはあるだろうが、終わりは保証されているのだから、心配しないようにという意味のことを、イエスが述べているとき、きっと、あなたのことも念頭に置いていたはずです。
ひとたびこの旅が始まればその終わりは確実だということを、忘れてはならない。途中で疑いが何度も去来するだろう。それでも旅が終わることは確かである。神から任せられたことを成し遂げられない者はいない。このことを忘れたときには、あなたは神の言葉を胸{こころ}に抱いて神と共に歩んでいるということを思い出しなさい。これほどの希望が自分のものだというときに、絶望できる者などいるだろうか。絶望のように見える幻想の数々が訪れるかに見えるかもしれない。しかし、どうすればそれらに欺かれずにいられるかを学びなさい。どの絶望の背後にも実相があり、神が居る。・・・・終わりはまさしく確実であり、神に保証されている。(C-ep.1:1-8, 10)
たしかに、あなたの疑念は、あなた自身が考えておられる通りのものに関連していると見て良いでしょう。つまり、地獄から脱出するためのこの道が、出所の疑わしいものなのではないかという、あなたの恐れです。
けれども、「救いに対する恐れ」というセクションで、イエスが述べていることに沿って言えば、あなたの恐れは、本当は、このコースは有効であり、確実に効果を発揮するということを恐れる気持ちだと言う方が、より正確ということになるでしょう。(T-13.III)
自我としての私たちが一番望んでいないことは、自我から解放されることです! ですから、私たちは自我の状態に居続けることを正当化するようなありとあらゆる機会を捉えようとするわけです。たとえ自分の心の平安を犠牲にしても、です。狂気じみていると思いますか? まさにその通りです!
しかし、だからこそ、私たちは、私たちと共に同じ思考体系に閉じ込められてはいない教師を信頼することを学ぶ必要があるのです。「信頼」は、進歩した神の教師の特徴としてイエスが「教師のためのマニュアル」に挙げている第一の特性です。イエスはそこで、信頼することを学ぶプロセスにおいて人が通過するいくつもの段階について論じています。(M-4.I)
あなたが疑念を抱くことは正常なことであり、『奇跡講座』を学ぶほとんどの人々がイエスのメッセージを真剣に受け止めて、実践し始めるときに通過する一段階であるとして、受け入れてください。このプロセスを最後まで見届けることに対する私たちの抵抗は、私たちの想像を絶するほど強大なものです。ですから、思考の逆転を目指すこのコースの学習者なら誰にとっても必要不可欠なのは、信頼に加えて、忍耐と柔和さということになります。
あなたが希望と平安を経験し始めるにつれて、この道があなたにとって正しい道であるという確信が増していき、疑念は減少するでしょう。そうでない場合は、あなたは別の道へと導かれていくでしょう。
私たちはイエスの考えを信じる必要もなければ、受け入れたり歓迎したりする必要さえないと、イエス自身が私たちに告げています。
ただそれらを使うよう求められている。使うことにより、それらがあなたにとって意味あるものとなり、真実であることが示されるだろう。
(W-in.8:5-6)
私たちをこんなにも信頼してくれる教師を、私たちが信頼せずにいることなどできるでしょうか!
究極的には、仮にこのコースがヘレンとビルによる創作だったとして、それで何が変わるというのでしょうか? 重要なのは、このコースの中の概念 ー それが何を言っているのか ー ということだけです。この教材はそれ自体で独自の価値があります。私たちを助けるのはイエスという人物ではなく、彼のメッセージのみであると、イエスが言うとき、彼が意味しているのもこのことです。とはいえ、イエスは、私たちが各人各様の私的なやり方で彼の愛を自らの人生に受け入れるようになることを望んではいると思います。(C-5.6)