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質問33: 特別な愛と真の愛

facim q&a

 私は『奇跡講座』を学び続けているうちに、この世界において一般に「愛」と呼ばれている感情は、このコースの中で言われている「愛」とはまったく違ったものだということを理解し始めています。実際のところ、多くの場合に、私の自我は「愛」という概念を、多くの非常に機能不全な思考や行動を覆い隠すために用いている、ということを私は発見してしまいました。私たちがこの世界の中で愛として理解しているものと、このコースの中で言われている愛とはどういう関係にあるのでしょうか? そして、それをどのように用いれば自分の人生を導く指針とすることができるのでしょうか?

 

回答

 『奇跡講座』の中で言われている「愛」と、この世界において一般に「愛」と呼ばれている感情との間には違いがあるというご指摘は、まったくその通りです。両者は同じものではありません。

 

この世界の愛は、常に、このコースが〈特別な愛〉と呼ぶものであり、それは〈特別な関係〉の根幹を成すものです。それは、このコースが述べている愛とは正反対であるというだけでなく、実際のところ、憎悪を覆い隠す仮面なのです。

 

神からの特別な愛を望むという密かな願望から生まれた特別な関係の中で、自我の憎悪が勝利をおさめる。なぜなら、特別な関係とは神の愛の拒絶であり、神からは拒まれた特別性を、自己のために自ら確保しようとする試みだからである。(T-16.V.4:1-2)

 

私たちは、人であれ物であれ自分が〈特別な関係〉を形成している相手に対しては、密かに次のように言っていることになります。「神は私が望んでいるような特別な愛で私を愛してくれなかった。だから、私は自分が生きるために無くてはならないと思う特別な愛を、あなたを使って手に入れることにする」と。

 

したがって、私たちが「愛」と呼んでいるものは、神の愛の代替です。それだけでなく、このコースは、それは憎悪であると私たちに告げています。

 

・・・限定された形で自分が関わる兄弟の誰のことも、あなたは憎んでいる。(T-21.III.1:3)

 

この「憎悪」は、私たちが互いに異なっていて、不完全であり、愛に飢えている、という間違った知覚に基づいています。

 

〈特別な愛の関係〉においては、お互いの必要が満たされるための合意が形成されていて、それによって私たちは、神からの分離と見えるものにより残された虚空を満たそうとします。そして、「探せよ、されど、見つけることなかれ」(T-16.V.6:5)という自我の命令に忠実な、この神の愛の代替は、私たちがそれをうまく機能させるためにどんなに努力したところで、決して私たちの必要を満たしてはくれません。最も充実した「愛」ですら、最後は死で終わることになります。

 

このコースが私たちに何をするように勧めているかと言えば、自分が関わっているすべての〈特別な愛の関係〉を、この新しい観点から正視するように、ということです。

 

これは非常に衝撃的なことに思えるかもしれませんが、そうすることによって、私たちは、次のような新たな目的と新たな解釈を受け入れてみてもいいという気持ちをもてるようになります。

 

神聖な関係は、それとは違った前提から始まる。各自がすでに自分自身の内側に目を向け、そこにいかなる欠如も見なかった。自らの完成を受け入れているので、自分と同じく全一な他者とつながることにより、自らの完成を延長させる。彼にはこれらの自己の間の相違は目に入らない。相違とは、肉体のみに関するものだからである。したがって、彼が見るものの中には、彼が獲得したいと思うようなものは何もない。彼自身の実相が真理であるがゆえに、彼はそれを否定しない。
(T-22.in.3:1-6)

 

覚えておくべき重要なことは、〈特別な関係〉を形成することは罪深いことなのではなく、普通のことであり、それが取り上げられてしまうわけではない、ということです。実際のところ、もし私たちがそれらを聖霊に預けて〈神聖な関係〉へと変容させてもらうなら、それらは私たちの人生において有用なものとなり得ます。

 

すでに繰り返し述べてきた通り、聖霊はあなたから特別な関係を奪うことはせず、それらを変容させようとする。 (T-17.IV.2:3)

 

このようにして、他の人との間に私たちが経験する愛は、夢の中で神の愛を反映するものとなり、神の愛の代替ではなくなります。

 

 

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