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質問60: 『奇跡講座』と「カルマ」についての2つの質問

facim q&a

質問・その1

『奇跡講座』は、カルマについては、どのようなことを教えているのでしょうか?

 

回答

「カルマ」というのは東洋の宗教思想の中に見出される因果の法則を表す言葉であり、『奇跡講座』は「カルマ」という言葉自体を使ってはいませんが、明らかに、多くの箇所でこの概念について述べています。

 

直線的な時間という概念が、自我の世界における「カルマ」の中心的側面を成しています。『奇跡講座』では、原因と結果は分離したものではないと述べられており(T-26.VII.13:1)、分離の思考体系においてのみ、両者は区別できるものに見えます。そして、カルマ、すなわちこの世界の原因と結果の法則が作動し得るのは、分離と時間の世界の中だけです。もともとは自我が、分離(および、神を攻撃したことの結果としての罪悪感と処罰)という現実を確立しようとして原因と結果という概念を編み出したとはいえ、ひとたび私たちが (自らの選択により) この世界の思考体系の中で生きるようになったなら、カルマはニュートラルなものとなります〔訳注〕。こうした分離も罪悪感も、もちろん、『奇跡講座』の観点から言えば、実在していません。けれども、私たちが分離の実在性を信じているということの副産物として、原因と結果の法則も信じているわけですから、イエスは、その原則の柔和な適用の仕方を私たちに教えているのです。

 

〔訳注〕 「カルマがニュートラルなものとなる」というのは、『奇跡講座』の学びの観点から見れば、自我の作り出したすべてのものと同じく、「カルマ」も、自我の目的のためにも聖霊の目的のためにも使うことができる、という意味。参照:「創造されなかったものは罪深くもなければ、無罪でもなく、善でも悪でもありません」 (W-pII.294.2:2)など。

 

自我は、この世界において、私たちが行なったことや行わなかったことのすべてから不可避的に起こる結果があると、私たちに信じさせようとします。善行は良い結果をもたらし、悪行は悪い結果をもたらす。そして、維持されなければならない二元的な均衡というものがあり、私たちはこの世で自分が選んだすべての選択の結果としての負債を支払わなければならない、というものです。

 

けれども、イエスは焦点を世界から私たちの心へと移行させます。そして、私たちが真に下している唯一の選択は、心の中で自我の思考体系か聖霊の思考体系かのどちらかを採る選択であるということを、私たちが学んで認識できるように助けてくれます。そして、原因と結果は、心の中でのみ真に意味をもちます。どちらの思考体系も、それによって私たちが心の平安を経験するか否かという意味においての結果をもたらします。そして、現時点における私たちの平安は、現時点において私たちが選択することのみにかかっていて、過去に下した決断とはまったく何の関係もありません。

 

このように理解することが、時間と空間の中で自分の行いの結果を経験することを要求するかに見えるカルマの輪廻から、私たちを解き放つ潜在力をもっています。そして、いわゆる「カルマの負債」と呼ばれるものから私たちを解き放つための、『奇跡講座』の実践的方法が、〈赦し〉なのです。

 
 

   

質問・その2

私は、2、3ヶ月前に 『奇跡講座』 の中で読んだ覚えがある一節を、もう一度、見つけたいと思っています。そのとき、私はそれを 「カルマ消去の一節」 と名づけました。というのも、それは、人が赦したとき、すなわち贖罪を受け入れたとき、実際に起こった出来事が違ったものとして思い出されることになる、といったことを示唆しているように思えたからです。つまり、記憶の中で、知覚される過去が、その状況に関わっていたすべての人々にとって変化するかのようだ、と思えました。上手く説明できないのですが、どの一節だったかについて、多分これだろうと思われるものがありましたら、教えていただけないでしょうか。

 

回答

すぐに思い浮かぶ美しい文章が、二つあります。多分、そのうちの一つが、あなたがもう一度見つけたいと思っている一節だと思います。このどちらも、「〈赦し〉は私たちを時間の外側へと引き上げ、それにより私たちを、時間に縛られた自我がもたらしている結果らしきものの一切から解放することができる」 という、『奇跡講座』の素晴らしい教えを伝えています。もしこのコースがそれ以外のことを教えていたなら (つまり、カルマの概念が必然的に意味しているように、「自我の取り消しには必ず時間がかかる」ということを教えていたなら)、自我は実在するということになり、神からの分離が本当に起こったということにならざるを得ません。

 

しかし、『奇跡講座』 の中心的な実践法である〈赦し〉が依拠している根本的な前提は、「分離は実相においては一度も起こったことがない」 というものであり、それがすなわち〈贖罪〉の原理が述べていることに他なりません。ですから、真理においては、幻想以外のいかなるものも取り消される必要はないのです。

 

以下が、「テキスト」の中のその二つの箇所です。

 

 
テキスト、第5章、IV.8:1-6

かくも神聖なあなたが、どうして苦しむことなどできるだろう。あなたの過去はその美しさを除いてすべて過ぎ去っており、祝福の他には何一つ残っていない。私はあなたの優しさのすべてと、あなたが抱いたことのある愛のこもった考えの一つひとつを保存してきた。私はそれらのもつ光を隠していた誤りを除去してそれらを清め、あなたのためにそれらをその完璧な輝きの中に保ってきた。それらは、破壊を超越し、罪悪をも超越している。それらはあなたの中に居る聖霊から生じたものであり、私たちは神が創造するものは永遠であると知っている。
(T-5.IV.8:1-6)

 


テキスト、第15章、I.7:6-7; 8 ; 9

・・・自我による時間の使い方によれば、恐れからの逃げ道はない。というのも、自我の教えによる時間とは、永遠に復讐を要求しつつすべてを包み込むものとなるまで罪悪感を募らせていくための、教育の仕組み以外の何ものでもないからである。

聖霊は、今、このすべてを取り消す。恐れとは現在のものではなく、過去と未来のみに属するものであり、過去と未来は存在していない。一瞬一瞬が過去からきれいさっぱりと切り離され、その影が未来に及んでいないとき、現在に恐れはない。一瞬一瞬が、神の子が過去を離れて現在に姿を現わす清らかで穢れのない生誕の時である。そして、現在は永遠に延長していく。それは実に美しく穢れなく、罪悪感から自由なので、そこには幸せ以外の何ものも存在しない。いかなる闇も思い出されることはなく、不滅性と喜びが今を満たす。 

これを学ぶのに時間はかからない。過去と未来がなければ、時間とは何だろうか。あなたがこれほどまでに完全に誤って導かれるには時間を要したが、本来のあなたであるためには、少しも時間がかからない。幸せと平安を教えるための教具として時間を使う聖霊のやり方を、練習し始めなさい。今この瞬間を取り上げ、それを、存在する時間のすべてだと考えなさい。ここでは、過去からあなたに達し得るものは何もない。あなたはここにおいて、完全に赦免され、完全に自由であり、まったく咎められていない。聖性が再生したこの聖なる瞬間から、あなたは恐れることなく、時間による変化の感覚もなく、時間の中を進んでいくだろう。 (T-15.I.7:6-7; 8 ; 9)

   

 

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