質問61: 『奇跡講座』の学習から何が得られるでしょうか?
『奇跡講座』を学ぶことで得られる最終的な成果とは、どのようなものなのでしょうか。自分が望む通りに自分の人生を送れるようになるのでしょうか。『奇跡講座』の「テキスト」第21章には、次のような記述があります。
私が見ているものについての責任は、私自身にある。私が経験する感情を選択するのは私自身であり、私が達成したいゴールを決めるのも私自身である。そして私の身に起こるかに見えるすべては、私が求めて、求めた通りに受け取るものである。(T-21.II.2:3-5)
こういったことは、明らかに、斬新な考え方というわけではありませんし、多くの人々が聞いたことのあるものです。しかし、自分の人生において、ここに言われていることを実感できて、その通りの効果をあげることができる人は、たとえいたとしても、ごくわずかです。私自身も含めて、これができていない人々は、何か間違ったやり方をしているのでしょうか?
回答
『奇跡講座』を学び、その原理を実践することから得られる最終的な成果は、平安、そして、すべての罪悪感からの解放です。(M-28.3:4-5)
あなたが引用された文言も含めて、『奇跡講座』の中の多くの文章は、初めて読んだときには、まるでこのコースの目的は、自分の人生を自分が望む通りのものにしていく方法を教えることだと暗示しているように見えるかもしれません。しかし、時間をかけて学習していくにつれ、それが『奇跡講座』の意図ではないということが明白になってきます。あなたが引用された文が語っているのは、形態のレベルのことではなく、内容のレベルのみにおいての、感情や経験の選択に関することです。つまり、私たちが経験することが、愛となるか恐れとなるか、平安となるか葛藤となるか、幸福となるか苦痛となるか、ということです。
このことを明確にしている記述はたくさんあります。「ワークブック」の初めの方では、二つのレッスンが次のように教えています。
- 私は自分の最善の利益を知覚していない。 (W-pI.24)
- 私は何が何のためにあるのかを知らない。 (W-pI.25)
すなわち、私たちは何が自分自身に幸福や喜びや平安をもたらすかを決められる立場にいない、ということを認めるようにと、私たちに求めているのです。その決定は、私たちの導き手である聖霊に任されています。
その存在は、過去、現在、未来にわたる事実のすべてを知っている。自らの審判が、それに何らかの関わりがあるあらゆる人々や一切のものごとにどのように影響するか、そのすべてを知っている。そしてこの存在の知覚には歪みがないので、誰に対してもまったく公平である。 (M-10.4:8-10)
尋ねなさい。そうすれば、聖霊は答えるだろう。その責任は聖霊にあり、聖霊だけがそうした責任を担うに適している。そうすることが、聖霊の機能である。質問を聖霊に委ねることが、あなたの機能である。あなたは自分ではほとんど理解していない決断について、責任を取りたいと思うのだろうか。あなたには、間違いを犯すことのあり得ない教師がついていることを喜びなさい。彼の答えは常に正しい。あなたは自分の答えについて、そのように言えるだろうか。
(M-29.2:7-14)
けれどもこれらの文言でさえ、誤って理解されたり解釈されたりする可能性はあります。というのも、これらの文言の意味について、私たちは早合点して、「自分で定義している通りの幸福(それは、たいてい、「自分の必要を満たす」ということ)を経験するために自分がこの世界の中で必要としているすべてを、聖霊が供給してくれる」ということを述べているのだと結論してしまうことは、たやすいからです。
しかし、繰り返しますが、それは『奇跡講座』の意図ではありません。焦点は心のレベルで変化をもたらすことです。それにより、私たちが自分の身辺で、あるいは自分自身に対して、何が起こっても起こらなくても、それに影響されることが、次第に少なくなっていくことです。「テキスト」の中の一文がこの点を明確にしています。
だから、世界を変えようとするのはやめなさい。そうではなく、世界についてのあなたの心を変えることを選びなさい。(T-21.in.1:7)
『奇跡講座』が私たち一人ひとりの中にもたらそうとしている変化というのは、「裁き」から〈赦し〉への変化です。というのも、「赦された者は一切を有している」(T-3.V.6:3)からです。これは、物理的な意味で言っているのではありません。そうではなく、自分がもとより受け継いでいる愛を欠いていたり、失ったりすることは不可能だということを覚えているという意味で、「一切を有している」ということです。そうして、私たちは外側の世界を眺め、そこでどのような戦闘が激しく展開されているように見えていても、それに関わりなく、平安だけを見ることになります。