質問67: 幽閉された意志(T-2.III.3:3-4)
私には 『奇跡講座』 の中の以下の一節がよく理解できません。
あなたはぐずぐずと時間をかけることも、どこまでも先延ばしすることもできるが、創造主はあなたが誤った創造をする能力に限界を設けたため、あなたは創造主から完全に離れ去ることはできない。幽閉された意志は、その極限においては、まったく耐えられなくなるような状況を生み出す。 (T-2.III.3:3-4)
誰が私たちの意志を幽閉したのでしょうか? 神でしょうか?
回答
私たち自身が、自分が真に誰であるかを否認することにより、自分の意志を幽閉したのです。
私たちの意志は本来は神の意志とひとつです。それはつまり私たちは神が意志することだけを望む (T-8.IV.7:1-2; T-11.III.3; T-14.III.14) ということです。私たちが今居るこの世界における限定された状態においては、それが厳密に何を意味しているのかを知ることはできません。ただ一つ、言えることは、神の子としての私たちの本当の機能は、神と共に天国において創造すること、すなわち、限界なく愛を延長させることである (W-pI.192.1) ということだけです。私たちは自分が真に誰であるかを否認したので、自分の本当の機能を自由に果たすことができなくなっています。そして、このままではいずれ耐えがたい苦痛へと行き着く以外にありません。
私たちは自分の意志は神の意志から分離していると信じています。たとえば私たちは、自分がしたくない何かをするようにと神は私たちに求めることがあると、信じています。イエスについても同じことが言えます。彼が私たちに求めていることが私たちが自分のために意志していることに逆行すると、私たちは時々考えます。私たちは〈特別性〉を愛していて、それを放棄したくないのですが、イエスからは、「〈特別性〉への私たちの執着が、私たちが真理を知ることを妨げている」と教えられるからです。(T-24.II.4-5) その結果、私たちは、常時、葛藤と欲求不満を抱えた状態にあります。私たちが、自分には、自分だけの分離したアイデンティティーがあると信じている間は、私たちにできることは誤創造することだけです。つまり、自らを欺いて、自分は何か価値があり賞賛に値することに従事していると思い込むのです。
あなたが引用した一節において、イエスが教えているのは、私たちは彼からも神からも分離した者として、偽りのアイデンティティーの中に居続けることはできるが、そのように選択したからといって、私たちは分離や自分の個別の自己を実相にすることはできない、ということです。私たちの一体性という真理は、永遠に、私たちの心の中に生き続けます。それを埋没させることはできますが、消滅させることはできません。そして、どれくらい長くかかるとしても、いつかは、自分がすべてについて、特に自分自身について間違っていると知っていることから生じている深い内面的な苦痛とフラストレーションから、私たちは「別な道」を求める叫び声を上げることになります。あなたが引用した一節のすぐ後に続く箇所(T-2.III.3:5-7)は、このことを述べています。
彼の助けを求めることが、自分自身による自分の幽閉から抜け出す第一歩です。だから彼は、次のように教えているのです。
あなたは、自分の意志が私の意志から分離しているという信念によって、本当はあなた自身である神の意志から、自分を除外している。・・・・神と神の被造物の間の分離というものは存在しない。あなたがこのことを悟るのは、あなたの意志と私の意志の間に分離はないと理解するときである。私を受け入れることにより、神の愛をあなたの上に輝かせなさい。私の実相はあなたのものであり、神のものでもある。あなたの心を私の心につなげることによって、あなたは、神の意志は一なるものだという自覚を表明していることになる。(T-8.V.2:3, 8-12)