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質問9: 学習グループを作ることについて

facim q&a

私はこれまで数年間、『奇跡講座』を学んでおりますし、心理学者でもありますので、このコースの原理に沿って生きようとしている人たちのためのワークショップとサポート・グループのようなもの、あるいは、そのどちらかを始めたいと思っています。私が考えているのは、基本的には、人々が他者の上に自分が投影しているものが見えるよう手伝うこと、そしてそのあとグループで一緒に聖霊に助けを求める努力をすることです。こうした活動は、『奇跡講座』の原理に沿ったものと言えるでしょうか?また、これに関して何か他にご提案やご意見をいただけますでしょうか? 私に分かっているのは、自分が学ぶ必要のあることを、自ら教えなくてはならない、ということです。

 

回答

あなたの質問に対し結論的な答えを先に述べるなら、『奇跡講座』の中には、「私は何をすべきか」といった、行動に関する指針は全く存在しないということです。

イエスは、彼のコースは、原因(心)についてのコースであって、結果(肉体または行動)についてのコースではない(T-21.VII.7:8)と、私達に念を押しています。ですから、私達の唯一の機能は、自分の自我を退けるための助けを求めることであり、そうすれば私達は自由になって、何をするにせよ(または、しないにせよ)、それが、その状況に関る人々全員にとって、最も助けになり、愛に満ちたものとなるよう導いてもらえるでしょう。以下の一節は、『奇跡講座』のこの非常に重要な教えの典型的なものです。

 

「あなたの任務は愛を探し求めることではなく、あなたが愛に対して築き上げてきたあなた自身の中の障壁のすべてを探して見つけ出すことである。真実であるものを探し求める必要はないが、誤っているものを探し出すことは確かに必要である」  (T-16.IV.6:1,2)。

 

ですから、グループを始めるという考えを、あなたがどのように進めていくべきか(または、進めるべきでないか)について知ろうとする前に、まずは、そうしたグループを持ちたいということが自我による執着となっている場合がありますから、もしそうした執着があなたにあるようなら、それを聖霊に差し出してください。あなたの自我がすっかり退いて安全になったという確信を持ってよさそうなら、あとはただ聖霊の導きに従うだけです。

もう一つ注意すべき点は、どんなグループにおいてもそうですが、特にあなたが考えておられるようなグループにおいては、一人で行なわれるべき難しい内的作業は避けて通ってかまわないと思ってしまいたくなる誘惑があるということです。そうした個人的作業/努力は、このコースを学ぶ人たちが自分の自我を聖霊のもとに運ぶために求められているものですが、そのプロセスを希釈し、その「努力/作業」をグループに移し替えることで、回避されてしまいます。うまくすれば、グループは、私達全員が取り組むよう求められているこの個人としての努力/作業をはかどらせますが、悪くすると、自我の特別性を強めてしまうだけでなく、自分自身の決断や誤った知覚を変化させるための心の力を低下させることになってしまいます。

  

参照: ◆ワンポイント解説: 『奇跡講座』のスケールの大きさ

 

[2009年9月20日]

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