質問95: 心について、どのようにイメージすればいいのでしょうか
私は『奇跡講座』を15年以上学んできました。心を変えようとするとき、つまり、自我ではなく聖霊を選ぼうとするとき、私はどうしても自分の頭脳のことを考えてしまいます。でも、このコースは、頭脳は考えることをしないと教えています。私はすごく視覚的な人間なので、何についてでも、イメージとして「見る」必要を感じてしまうようなのです。だから自分の心については、自分の外の上の方にあるとイメージしています。
ですから、お聞きしたいのですが、心はどこにあるのでしょうか? そして、よりよい選択をしようとしているとき、心について、私たちはどのように考えればいいのでしょうか。心がメッセージを投影するために頭脳を使うというのなら、頭脳については、「心から通信を受け取る受信機のようなもの」とイメージしてかまわないでしょうか?
回答
そうですね。そうしたイメージから始めるのもいいと思います。ただしその前提として、心を、頭脳と肉体の源として捉えていることが必要です。つまり、頭脳と肉体は、心が、「自分は心ではない」と思い込むための方法として作り出したものだという前提です。
あなたを含めて多くの人々が、何らかのイメージを思い浮かべる必要を感じているということ自体が、この精神力動がどれほど功を奏しているかを物語っています。心には物理的/定量的な次元はありませんから、心は何らかの場所に存在するわけではありません。そうしたことは、私たちには考えもつかないことのように思えますが、たいていの場合、確かにその通りで、私たちにはそのことを概念化することさえできません。心は一定の場所にあるのではありません。ある神秘家は、神について次のように描写したことがあります。「神とは、その中心があらゆる場所にあり、その外周がどこにもない存在である」と。これは、頭脳にとっては、まったく意味不明です!
同じように、イエスは、次のように問いかけて、私たちが自分だと思っている自己の実在性に疑問を投げかけるよう促しています。
この世界に生きている「あなた」とは、誰だろうか。(T-4.II.11:8)
ですから、よりよい選択をしようとしているときには、あなたが頭脳から心へと戻っていくところを思い描いて、その心の中には決断をする主体である中心部があって、その中心部から、心は、心の中の自我の部分と聖霊の部分のどちらを自らの実相とするかを決めることができる、と考えてみるといいかもしれません。そして、その選択は、その後、あなたの肉体を通して形として表現されます。そうして、聖霊の思考体系と同一化する頻度が増えてくるにつれて、心は次第に、「心はただ心でしかなく、心としてのアイデンティティーは肉体や頭脳とは何の関係もない」と気づいていくようになります。
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【JACIMによる注】
「心」や「決断の主体」については、講義ビデオ 『原因についてのコース ~奇跡講座の概説~』 や、JACIM別館のQ&Aの中にも、詳しい説明があります。