質問97: 実相世界に到達したかどうかは、どのようにして分かるのでしょうか?
自分が実相世界への橋を渡ったかどうかは、どのようにしてわかるのですか?
(*訳注: T-16.VI.「実相世界への橋」参照)
渡ってからまた戻ってくるということも可能ですか?
橋の途中で行き詰ってしまうということはあるでしょうか?
私は時々、自分が実相世界にいるように思うことがありますが、そう思えないときもあります。自分が実相世界にいるかどうかが確実にわかるしるしのようなものは、ありますか?
どうすれば、自分がそこにいるということを疑念や疑問を抱かずに知ることができるのでしょうか?
『奇跡講座』について私が知っていることに照らして考えれば、イエスは実相世界に到達しました。その他にも、一般に知られている人々の中で、実相世界までたどり着いた人々はいますか?
回答
実相世界への橋を渡りきったときには、あなたは疑念も疑問も抱かずに、ただそれを知ることになります。
そのような時がくるまでは、あなたは「間違った心」と「正しい心」との間を行ったり来たりします。だから、あるときにはそこに到達したように感じることがあったり、別なときにはそう感じられなかったりするのです。
そして、橋の途中で行き詰るということは、あり得ません。けれども、もちろん、くずくずしていて歩みを遅らせるということはありますから、それが「行き詰っている」と感じられることはあるかもしれません。
実相世界に到達した他の人々については、この世界の側からは、それを見分けることは殆ど不可能です。私たちの罪悪感が、私たちが何を「見る」かを決定しますから、私たちに罪悪感がなくなっているのでない限り、実相世界に居る人を、確信をもって認識することはできません。
イエスの十字架刑を目撃していると想像してみてください。その場に居合わせて、彼が苦痛も苦しみも怒りも感じず、攻撃もしていないと「見る」ということを、想像してみてください。その出来事をそのように「見た」人がいたかどうかはわかりませんが、いたとしてもほんのわずかだったということには、疑いの余地がありません。なぜなら、罪悪感を抱いている人々がその出来事を見たなら、福音書の中で様々に述べられている通りの出来事として彼らがそれを見ることを、彼らの罪悪感が要求したはずだからです。